第五話 にくをきる剣
ハシラルの国の、ヤルバタヤの町。
ここは昔は王都から馬車で一日といった所にあり、昔は村にしては大きいね、と思われる程度の大きさの村だったらしい。
古代遺跡のそばにあるヤルバタヤはゆっくりとした速度で発展していたが、その古代遺跡に刃の塔が出現してから、さらに加速がついたという。
もともとハシラルは小国なものだから、塔から現れる刃魔に対抗するには兵が少なすぎた。そのため王は外国からも腕に覚えの冒険者を呼び込み、刃の塔の脅威に立ち向かおうとした。
見返りは特に何も用意できなかった。
だが、刃の塔の内部では魔石という様々な道具に加工できる石が取れ、しかも刃魔もそれを落とすことがある。
ハシラルの王府はその魔石の買取を約束することで、冒険者を釣った。
その魔石は当然どこか外国に売りつけるのだろう。なんにせよとにかく買取のため王府から吐き出された金が冒険者に渡り、滞在費としてヤルバタヤの町に出回るものだから、この町は一時的な好景気に見舞われていた。
そしてそんな冒険者達がよく立ち寄る区域がある。
冒険者が落とす金を目当てに出店してきた武器屋などが密集する区域だ。冒険者の刃魔狩りに役立つ、様々な物が売り出された区域。
俺がヤルバタヤに来たばかり、つまり二年前はこの辺もテントや仮設小屋の店ばかりだったが、最近はしっかりした石と木の造りの建物が目立つようになった。
その中の、とある建物の前。俺は言った。
「いいか。ちょっとここで待ってろ。勝手にどっか行ったりするなよ?」
「はーい!」
蒼い衣服の美少女、自称蒼覇光剣ちゃんは元気よく返事をした。
周囲を見渡してみたが人通りは少ない。冒険者の大半は朝の魔石狩りに出かけたんだろう。
俺はにこにこしている少女を置いて店を振り返る。三階建ての建物の間にねじ込まれたような細い造りの店。その入り口をくぐった。
中は薄暗かった。
左右の棚で通路が作られてはいるがとても狭く、天井からは布やらビーズをつないだ装飾品やらが垂れ下がっている。魔法の付与効果のある装備品だろう。棚にはトカゲの干物みたいな物が並んだりしている。
雑多な店だった。俺はその通路を進み、一番奥のカウンターの向こうに座っている、黒い三角帽子をかぶった老婆に話しかけた。
「婆さん、聞きたいことがある」
「誰かと思ったらケイディスかぃ。近頃はとんと顔を見せんで」
カウンターの手前にある椅子に座った。
この婆さんは魔女だ。ヤルバタヤの町で冒険者のための薬の調合をやっている。他にも、色んな知識を授けることで冒険者を助けている。
「左目の魔石はどうなったね? 以前何とかしてくれと泣きついてきおったが」
「相変わらずさ。何ともなってねえ。でも今日は違う用事で来た」
「いくら出す?」
婆さんはそう尋ねてきた。知識もタダじゃないのだ。俺は財布の袋から銅貨を七枚先払い。
「それ以上払えるかは婆さんの情報次第だな」
「何が知りたいね?」
「剣が人間になるってことはあるのかい」
婆さんはしわくちゃの顔をややうつむかせてしばらく黙っていた。だが、右手の指を一本立てた。
俺が銅貨を一枚追加しようとすると、婆さんは首を横に振る。
「マジか? 銀貨⁉︎」
「知っとるからの」
俺は渋々銀貨を一枚カウンターに置く。素早く取った婆さんは言った。
「そもそもお前さんがそれを知らんのがよくわからんの」
「何?」
「器物に溜まった魔素……精気を呼び起こし、魔獣と化して使役するのは巫術剣士の得意とすることじゃろうて」
俺は記憶を辿ってみる。
巫術剣士だった親父の記憶だ。
たしかに親父は生前、巫術剣士にはそういう術があると俺に話したことがある。
古い道具を使わなければならないと親父には言われた。長い年月で器物に溜まった気を操るのだと。
俺は言った。
「違う、そういうことじゃない」
親父はその術を見せてくれたこともある。その時は壺だった。壺に足が生えて歩いたのを覚えてる。けどあの女の子は……。
「丸っきり人間になるってことだよ。たとえばその……女の子とか」
婆さんはうつむいて銅貨を五枚取り出してカウンターに置いた。
「釣りじゃ」
「わからねえってこと?」
「場合によってはできる者もおるかもしれぬ。じゃが少なくともババが知っとる限りではそれほどの域に達した術者は聞いたことがない。そもそも器物にそこまでできるほど気が溜まることがあるのか……」
「グローリーウェポンなら?」
婆さんはしばらく俺をじっと見た。だが首を横に振り、
「グローリーウェポンならあるいはそうかものう。じゃがそもそも、あれほどの器の気を操れる使い手の方がおらぬじゃろうて」
そう呟いた。
俺はカウンターの五枚を取って席を立った。
外に出ると、例の女の子は建物の地面の隅に咲いている花をしゃがんで眺めてたが、俺が出て来たのに気づいたのかパタパタと走って来た。
「主様、お話終わった?」
「ああ……まあ……」
「じゃあさ、何か食べようよ! なんかさ、この状態すごくお腹が減るの!」
「……おまえ、金持ってる?」
「持ってないよ!」
とてもいい返事だ。俺はため息をついて歩き出した。
次に俺たちは近くの定食屋へ行った。
テーブルについて注文の料理が届くなり女の子はとても美味そうにガツガツと食べていた。それとは反対に、俺はげんなりしていた。
「主様、どしたの? 美味しくない?」
「味を楽しむ気分じゃねえ」
「どしてぇ?」
財布の中身が気になっていたからだった。無職になったというのに何でまた俺は見知らぬ女の子に飯など奢っているんだろう。
俺はあらためて女の子……蒼覇光剣を観察した。
見た目は普通の人間だった。いや普通以上の美少女だったが、それはいい。剣も飯を食うんだなと思ったがそれもいい。
俺は尋ねた。
「おまえ……本当に蒼覇光剣なのか?」
「そう言ってるでしょ?」
「でも、何で急に人間に……」
「だから主様の魔法で」
「俺そんな魔法使ってねえよ。その前にまずやり方もわからねえ」
さっき婆さんとも話したが、巫術剣士の術にはたしかに器物を操るものがある。
だが俺はそんな術知らないのだ。
親父は俺に簡単な精霊魔法なら教えたが、そういう高度なものは教えたがらなかった。そんなものは知らなくていいと。
「ええー? でもあたし、主様の左目からたしかに魔力を感じたんだけどなぁ」
「左目?」
「うん。その左目から声がしたよ?」
「何て」
「おれのおんなになれ……あんななさけないおとこよりおれのほうがずっといいぜ……ククク……こいよ……あんなやつのことはわすれさせてやるよ……」
「俺そんなこと言ってねえよ! だいたいクククて何だよ!」
「そんなこと言われてもたしかに聞こえたもん。それで、あたしその声を聞いてると体が熱くなってきちゃって、あー! 溺れちゃうー! みたいな。ね?」
「ね? って言われても」
「それでね? さらに主様のあっつい精をぶっかけられて! あー! もうダメ! あたしもうこの人のモノなんだわ! 身も心もこの男の人に支配されてしまうんだわ! 何もかも奪い去られてしまうのだわ! たっぷりオスの匂いを刻み込まれて、この人の手で快楽へ堕ちていくのだわー! って!」
俺は視線だけで周囲を見渡してみた。
定食屋には二人ぐらいの客が席に。カウンターの向こうには店の亭主がいる。そいつらが俺たちの方を見ていた。
「あのな」
「何?」
「声を落とせ」
「何でー?」
「人聞きが悪い」
「そう?」
蒼覇光剣は居住まいを正すと、目の前の皿の肉をナイフで切る。すっと撫でただけで綺麗に切れていた。俺の方はノコギリみたいにゴリゴリ押し引きしてやっと切れる、固い肉がだ。
「それで……何で俺についてくる?」
「だってあなたがあたしの主様だから」
「初対面だぜ」
「うーん? 一目惚れ?」
「あのな……」
俺は一度肉を切る手を止め、
「おまえは蒼覇光剣。だよな?」
「そだよー」
「蒼覇光剣には持ち主がいた。冒険者パーティ蒼い狼牙のリーダーだ」
「アーハン?」
「つまりおまえの主は俺じゃなくて、蒼い狼牙のおっさんってわけだ」
「えー! やだー!」
蒼覇光剣はテーブルを両拳でドンと叩いた。
その仕草自体は女の子らしく可愛らしいものだったが、声が大きかったものでまた注目を浴びた。
「声を落とせったら」
「やだよあたし! あいつ嫌い!」
「何でだよ。剣が好き嫌いとかあるのか?」
「あるに決まってるよ! だってあいつ、ねー聞いてよ!」
「う、うん聞くよ」
「あいつ、全然斬らないんだよ⁉︎」
俺は蒼覇光剣の顔をまじまじと眺めた。鼻息荒く俺を見つめる少女の顔。
俺は尋ねた。
「えっと……何の問題が?」
「あのね、あいつさ。ずっとあたしのこと鞘に入れっぱなしにしたまんま、えっと、たぶん部屋かどこかに飾ってたんだよ」
「……?」
「あのね。あたし、声は聞こえるんだよ。感じるって言った方が近いけど。それでね? あの持ち主、なんかお友達を集めてあたしのこと見せびらかしてたみたいなの」
友達……冒険者のパーティ仲間か?
「見せびらかせてどうしたんだよ」
「だからさ、すごいだろー! って」
「はあ?」
「グローリーウェポン。すごい。それ持ってるワシ。すごい。みたいな。それでね、それで全っ然、なんっにも、斬らないの!」
蒼覇光剣は肉を口に放り込むと、
「むしゃむしゃ、もうあたし退屈で退屈で……」
「戦闘に持って行かなかったってことか? 刃の塔とか」
「うん。なんか、高い金出して買ったのに傷がついたらどうするんだー! って叫んでたのは聞こえた」
そして彼女はまた肉を切る。
そう言えばあのおっさん、たしかにこの蒼覇光剣を手に入れるのにだいぶ金を使ったって話してな。
たしかに冒険者の中には刀剣類のコレクターはいるが、あのおっさんがそのタイプか。
俺は言った。
「それはそれでいいんじゃねえか? 宝の持ち腐れとは思うけど、おまえとしては傷がつかずに済むだろ」
「えーやだよー! それじゃあたし何のために生まれたんだからわかんないじゃん! あたしは斬りたいの!」
「斬りたい」
「そう! 生き物の柔らかな肉に侵入し、骨を断ち割り、血しぶきを飛ばし、その矮小な命を刈り獲り……‼︎」
「落ち着いて」
「そういうことをしたいの! あたしはそのために鍛えられたんだから!」
元気のいい美少女だと思っていたらただのサイコだった。
「だからあたしはあんな奴は主だとは認めないもん! だから主様のもとへ……」
「俺だって斬らないぞ」
蒼覇光剣はきょとんとした。
俺は補助屋だ。武器も鈍器である十手。剣の扱い方なんかほとんどわからない。
ましてや剣から人間になった美少女の扱い方なんか。
俺はそもそも最初から人間だった女の扱いだってわからない。童貞なんだぞ。
「えー斬ろうよー! 片っ端から切り刻んでやろうよー!」
「声が大きい」
蒼覇光剣は客の一人を指差し、
「あの人なんかどう? さっきからこっちを見て何か文句でもありそうなあの人!」
「どうって、やらないから」
「手頃な肉!」
「手頃じゃないから」
「やいっそこのあんた! かかってきな! 物言わぬ肉片に変えてあげるよ!」
「変えないから」
俺が蒼覇光剣をなだめようとしていると定食屋の亭主が怒鳴った。
「おい! もう帰ってくれないか! 他のお客さんの迷惑だぞ!」
ごもっともだった。
俺はテーブルに代金を置いて、まだ吠えている蒼覇光剣を連れ入り口へ向かう。
「まったく……ち◯ぽみたいな武器持ちくさって!」
亭主の声が背中にぶつかった。
俺は言い返してやりたかった。
ち◯ぽだけじゃない。ま◯こみたいな武器も加わったんだぞと。
だが何も言えず、逃げるようにそっと店を出たのであった……。