第十九話 金貨二枚の申し出
親父の夢を見た。
夢が夢だとわかるのは今に始まったことじゃない。
親父は俺に背を向けて、椅子に座って酒を飲んでいた。
時々親父はそうしていた。
俺はその背中に近づいて、十手の使い方を教えてと言った。
親父はチラリとこちらを見て、首を横に振る。
そしてまたコップに酒を注いで……
自分が立ってるんじゃなくて横たわってるのに気づいた。
目が覚めたらしい。窓から日の光が射し込んでいる。
なにか甘い匂いもするな。すぐ近くから……。
「うーん、むにゃむにゃ」
ベッドの隣りにランスァが寝ていた。
「うわっ! なにやってんだおまえ!」
「うにゃ? 主様おはよー……」
「おはよーじゃねえんだよおまえ男のベッドに潜り込んでおまえ」
俺は慌ててベッドから飛び降りた。
「えー、いいじゃん別にー」
「よかぁないよおまえ男女がおまえひとつのベッドなんておまえ……」
床に脱ぎ散らかしていたズボンを履く。
おかしいな、昨日はたしかにふた部屋取ったはずなんだが、なぜかランスァは俺の部屋にいた。
慌ただしくベルトを締めつつ、出入り口の扉に目をやる。
鍵にあたる、内側からかけられる金属製の小さなフックがあったはず。
だが鍵は、それを打ち付けていた木製のドア部分が丸く切り取られ、くり抜かれた木ごと床に落ちていた。
俺はランスァを見やる。奴は伸びをしながらあくびしている。
……ひょっとして、この扉弁償するの俺だろうか。しゃがんで鍵を手に取っていると、ランスァが言った。
「ねー主様、今日はなにするの? また塔にいく?」
「あー……どうしようかな」
鍵のついた木はきれいに丸くくり抜かれている。それを元の穴にはめ込みつつ考える。
「昨日マンティスホースの魔石がけっこういい値段になったからな……二、三日はガッついて働かなくていいんだけど」
木はすっぽりはまった。と言うよりきれいに入りすぎて向こう側に落ちてしまった。扉を開いて拾う。
「うーん……主様ってそれでいいの?」
「なにがだよ」
俺は振り返った。ランスァは相変わらずベッドに寝そべって、こちらを見ていた。
「ただ塔にいってさ? 刃魔を倒して、魔石っていうのを売ってさ」
「ああ」
「それっていつまで続けるの?」
いつまでって……。
「いつまでって言われても」
「人間ってさ。歳を取ると戦えなくなるでしょ? 主様、魔石集めっていつまで続けられるのかな?」
「えーと……さあ……」
「さあって……」
ランスァはベッドの上で座り直した。
「主様ってさ、なんかないの?」
「なんかってなに」
「こう……夢とか!」
「夢?」
「なんていうの? これがしたい! とか、将来どうなりたい、とか……」
俺はまた鍵をはめ込みながら考える。
「あー……安定した生活がしたいかな」
「えー……覇気がないー! なんかもっとこう、ないの⁉︎ 欲しいものとかさ!」
ランスァは体を揺らしてベッドを揺さぶりつつそう言った。
欲しいもの?
「あー……舟とか欲しい……かな?」
「舟! いーじゃん! 舟で、どーするの⁉︎」
「んー……舟に揺られてただ一日ぼーっとするとか?」
盛大にため息をつかれた。
「なんか主様、おじいちゃんみたいだよ!」
「はあ⁉︎」
俺は振り返った。
「もっとこう、ね⁉︎ あるでしょ! 男たるもの! もっと欲しいものが!」
「たとえばなんだよ」
「国とか!」
「いきなりスケールがでけえよ」
ランスァは駄々っ子のようにベッドで跳ねつつ、
「覇ー気ーがーなーいー! もっとこう覇道を求めようよー!」
「なんだよ覇道って……」
「男としてどうなの⁉︎ あたしが一緒に寝ててもなんにもしないしさー!」
「なにもするわけねえだろ、そんなよく知らない間柄なのに」
「枯ーれーてーるー!!!」
なんのこっちゃ。
宿の鍵をブッ壊して通るのがこいつの覇の道なんだろうか。宿屋の主人が迷惑するだろうに、まったく……。
そう考えつつ、もう一度鍵をはめ込もうとした。
と、思ったら扉がない。
入り口に誰かが立っている。その人が扉を開けきってしまったようだ。俺はしゃがんだまま見上げた。
若い女だった。
白いローブの上から軽鎧を着込んでいるが、その胴当てに刻み込まれた紋章に見覚えがある。ハシラル王府の騎士団の紋章。
女は切れ長の瞳の美女だった。そいつが俺を見下ろして言った。
「朝から失礼。ハシラル騎士団、ヘレン・ビランディと申す者だ。貴殿はケイディス殿だろうか?」
俺はしばらく彼女の腰にある細い剣を見ていた。
理由はないがなんとなく目を向けてしまう。柄を護るためのグリップガードがついているところを見るとレイピアのようだ。グリップガードは高価そうな金色だった。
「あの……ケイディス殿ではないのだろうか? 部屋を間違えたかな」
「あ、いや、俺がケイディスだ」
俺がうなずくと、
「少しお話があるのだが、よろしいだろうか?」
俺は少しランスァを振り返った。あいつはキョトンとした顔でヘレンと名乗った女を眺めている。
「どうぞ」
部屋に入れて、備え付けのテーブルのそばにあった椅子をすすめた。
「それで……どんなご用件で?」
ヘレンが椅子に座ったのを見届け、俺も別の椅子に座ってから尋ねた。
ハシラルの正式な騎士だ。それがわざわざ俺のような冒険者に会いに、場末の宿まで訪ねてくる。理由はさっぱり思いつかない。
「貴殿は、セルゲイロという名の冒険者をご存知だろうか?」
ヘレンが口にした名を、記憶の中で探してみる。
すぐに思い出せた。
「名前だけは聞いたことがあるよ。会ったことはないが。たしかグローリーウェポンを持ってる奴だ」
セルゲイロ。中年の男で、幅広で湾曲したブレードのショートソードのグローリーウェポンを持ってることで、俺たち冒険者の間では少しは名が知られていた。
「ソロの冒険者。パーティを組まない変わり者だって聞いてる。それが?」
「行方不明になっている」
よくあることだった。
俺はこの町の冒険者すべてと顔見知りってわけじゃない。それでも、最近あいつの姿を見ないななんて冒険者同士の噂は十日に一回は聞く。
俺は言った。
「刃魔にやられたんじゃねえのか? もしくはたんに、ヤルバタヤの外にいるだけか」
「町の外には行っていないはずだ」
「どうしてわかる?」
「セルゲイロはヤルバタヤの人間ではない。家族が別の町に住んでいて、彼はここへ出稼ぎに来ていた……と聞いている。家族のところへ出向いたのだが、まだ帰ってきてはいないとのこと」
「ふうん?」
「ヤルバタヤの冒険者にも尋ねて回ったが、ここ数日セルゲイロの姿を見た者はいなかった」
なら刃魔だろう。
ソロ冒険者というのはこういう時に困るのだ。刃の塔の中で死んだとしても、それを外まで伝えてくれる仲間もいない。そうして生きてるんだかいないんだわからない状態でみんなを心配させる。
「俺も見てねえよ」
「そうか……」
ヘレンはテーブルに目線を向けた。
長いまつげだった。なんだか力になれなかったことが気まずく感じられてきた。
「あの……悪いね。俺はセルゲイロとは知り合いってわけじゃないからあんまりよくわからなくって」
「いいのだ。用件はそれではない」
ヘレンは顔を上げた。
「実は貴殿に頼みがある。刃の塔へ行って、セルゲイロを見つけてきてほしいのだ」
「ええ?」
「言ってしまえば、彼の遺体……もっと言えば、セルゲイロの私物を回収してほしい。特に彼の剣。ご存知か?」
グローリーウェポンのことだろう。
「まあね」
「それを回収してほしい。せめてご遺族に届けたいのだ。もちろん報酬は用意してある。金貨二枚だ」
「どうして俺に?」
ヘレンは首をかしげた。
「貴殿が塔に詳しい冒険者だからだ。他にも何人かの冒険者に声をかけてある。早い者勝ちだ」
「でもあんたは俺の名を知っててここへ来た」
ヘレンは、ああそのことか、という風にふっと笑うと、
「実は貴殿のことを調べさせてもらった。なんでも最近パーティを解雇されたそうで」
「う」
「しかも雷槍のディーンのパーティ」
「それがどうしたんだよ」
「かつて一度は刃の塔の最上部まで辿り着いた一級のパーティだ。つまり雷槍のディーンのパーティは、塔の内部を知り尽くしている。違うか?」
まあ、そうではある。
なんせ二年も最上部を目指してあの塔をウロウロしていたのだ。そこいらの冒険者よりは詳しいつもりだ。
俺は言った。
「セルゲイロは単独の冒険者だ。そんなに上には行けねえと思うけど」
「うむ、だからだ。そう手間はかからないと思うが」
俺は少し考え込んだ。
いくら上の方には行っていないとは言え、塔は広い。地上の祭壇部ともなると横にも広いのだ。
「セルゲイロはグローリーウェポンを持ってるよな」
「うむ」
「見つけたとして俺がちょろまかすと思わないのか?」
俺は肩越しに後ろを見る。ベッドの上のランスァが退屈そうに窓の外を見ていた。
あいつは蒼覇光剣。何も考えてなさそうな女の子に見えるあいつだって、元は金貨百枚のグローリーウェポンだ。
セルゲイロの剣がそれほどの値になるかまでは俺にはわからないが、いずれにせよ売り払えば金貨二枚のお駄賃よりは稼げるだろう。
だがヘレンは言った。
「セルゲイロの家族……幼い子がいるのだがな。最近お父さんが帰ってこないと泣くのだそうだ。生存は絶望的かもしれないが、せめて彼の遺品だけでも届けてあげたいなぁと……」
俺は自分の顔の筋肉が動くのを感じた。
渋い顔をしてるんじゃないかと思う。ヘレンはそれを見てかニヤリと笑った。
「なんとなく貴殿はそういう男じゃないかと思っていたのだ。なに、是が非でも見つけろというわけじゃない。塔に行ったついでに気をつけてみてほしいというだけだよ」
彼女は椅子から立ち上がり、
「考えておいてくれ。もし見つけたらヤルバタヤの役所までご一報を。それではこれで」
そう言うと一礼し、入り口へ向かう。
俺はその背中に声をかけた。
「ディーン達にもこの話を?」
ヘレンは頭だけ振り返り、
「いや。彼らは忙しそうだから候補から外した」
そう言って部屋を出て行った。




