第9話 宝石の輝きは時に人生の輝きに勝る。
切り取った袖で口を縛ったが、男爵を完全に黙らす事は出来ない。
まだ声を出す元気はあるようだ。
「せいっ!」
ロトカはトーリ男爵の腹に一発お見舞いをして気絶させる。
「さってとー、お宝お宝♪」
まずはトーリ男爵がさんざん地面にのたうち回って、ガチャつかせていた指輪を外して行く。
「綺麗なルビーですね。おーよしよし。すりすり」
人差し指にはブリリアントカットされた大粒のルビーが輝いている。あまりの愛しさに外した指輪を頬に擦りつける。
ブリリアントカットは別名アイディアル(理想的な)カットとも呼ばれる。
ダイアモンドの持つ鉱石としての物理量、光の屈折率や幾何学的な特徴から最も輝く様に考えられたカットである。
ロトカの表情は「これが至福の時...」と言わんばかりにダラシなく緩んでいる。
人に見せたらギョッとして二度見してしまうだろう。
先ほどの血も涙もない冷酷さは、すっかり消え失せている。
まるで我が子を抱きしめる聖母の如く...表情はともかく雰囲気はその如くだ。
「あーサファイヤちゃんも可愛い!こんな変態おじさんに買われて辛かったですねえ」
あまりの愛おしさに悶絶するロトカ。
外套でゴシゴシ擦った人差し指でサファイヤの表面を擦り擦り撫でる。
実はあまり知られていないが、ルビーとサファイヤは構成元は同じ石なのだ。その鉱物の名前をコランダムという。純粋なコランダムは元来無色透明だが、そこにある物質を含むようになると美しい色が着くのだ。
鉄を含むとサファイヤに、クロムを含むとルビーになる。
ただサファイヤとルビーは価値としては全く異なる。鉄は星を構成する要素として約35%を占めており、珍しくはなく、その分布は広い。しかしクロムはそうそうお目にかかれる元素ではなく、生産地が限られてくるのでルビーの方がずっと高価なのだ。
サファイヤ、ルビー共にコランダムに含まれる鉄やクロムの成分比は1%未満である。たったこれだけしか含まれていないのにも関わらず、これだけ見るものを魅了して止まない色をその身に宿すのだ。そこに神秘を感じずにはいられない。
また、鉄やクロムを含むと色が変色する鉱物としてベリルがある。ベリルが鉄を含む様になるとアクアマリン、クロムが含まれるとエメラルドに名を変えるのだ。
「っああぁぁ。もう堪りません〜!」
これだけ立派な宝石で、重さもずっしりあるのでカラットもかなりの物に違いない。
カラットは宝石の質量を表す単位だ。1カラットで200mgを表す。カラットはその宝石の価値を決定付ける指標の1つだ。他には研磨状態や透明度、色なども加味される。
「これも忘れずに取って行かなくては」
ロトカの目を引くのはトーリ男爵の指輪だけではない。男爵が座っていた椅子の肘おきにあしらってある竜、に加えられた直径6cm程のルビーもだ。これを忘れてはならない。
ロトカは万力を込めるとその玉は外れた。
ロトカの興奮は留まるところを知らなかった。
気が付けばトーリ男爵の付けていた指輪、計10個と2つの玉を机の上に並べ始めていた。トーリ男爵が人脈と金の力で収集した至高の品々。それらが燦然とロトカに輝きかける。
ロトカはあらゆる角度から眺めたり、配置を変えてみたりして鑑賞に夢中だ。仕舞いには壁にかけてあったガラスのランプまで手に取り、光の当て方まで凝っていかに美しく魅せるか、という課題に没頭していた。
コンコン
ロトカを現実世界に引き戻したのは、控え目なノックだった。
「トーリ男爵様、取り調べが長時間に及んでいる様ですが、何か問題でも有りましたか?」
このデブじじいはトーリというのか。知りませんでした。いや、そんな事はもうどうでも良いです。
ロトカは素早く宝石類を外套のポケットに入れて、扉の後ろで待ち構えた。