第5話 動く何か
今日も今日とて闘技場は観客で溢れかえっていた。
街の中の平和な日常生活ではお目にできない人間とモンスターの命を懸けた戦い。
コロシアムの観客席はそこそこの入場料を取られるだけあって、設備にも金がかかっている。
研究の粋である透明な障壁はかなりの強度を誇る。維持費はかかるが、闘技場で出場するモンスターの本気の攻撃でも破ることは不可能なほどだ。
破壊に至る衝撃の6割くらいを安全上の上限として、細かなモンスターの攻撃を加味し,コロシアムで使用するモンスターの種類を決定している。
建設費や能力者などを雇うその他もろもろの費用は当時の王国の年間予算の2割程だった。もちろん一括で支払ったわけではないが、それでもかなりの費用を計上したことは言うまでもない。
これだけの費用を国民の血税で払ったのは決して王のわがままではない。
闘技場建設を希望する国民の声があまりに大きくなりすぎたため、国側も無視するわけにはいかなかったのである。
何故、これほどまでに国民が建設を望んだのか。それは娯楽の少なさが理由だ。
普段の生活、身近な娯楽というのは賭け事、演劇、買い物、など何十年も同様だったので新しい物が欲しくなったというのが理由である。
人間の好奇心以外の何物でもない。
それに賭け事で得られる興奮、観客席の安心感、命を懸けた戦いの狂気などが合わさって熱気が最高潮に達する。
そんな観客たちは何も知らない。モンスターや死刑囚の死体がどのように処理されるかを。というかそもそも興味がないのだろう。
死体は闘技場の地下数十メートル下の竜の口と呼ばれる焼却炉で処分される。闘技場で使われるモンスターの死体は穢れているという宗教上の理由から素材は売られずに燃やされるのだ。
万が一、解体でもされて素材が盗まれては目も当てられない。そこで警備兵が何人か、焼却が完了するまで常駐しているのだ。
「今日の死刑囚は全然ダメだったな。話にならん。全然賭けにならなかったぜ」
「前回はアレンシアの死刑囚だったからな。それと比べたらそうだろうな」
ボリスは猫背、キリアンはピシッと背筋を伸ばした姿勢で竜の口の前の定位置に突っ立っていた。
「エリートジャイアントにやられるとはなあ。もうちょっと頑張ってくれねえと」
「そんなこと言うお前は一対一で勝てるのか?」
「そんなん無理に決まってるだろ」
顔も知らない死刑囚のことを、罵りながら自分も無理だと言い張るオリス。
エリートジャイアントは全身緑色ででっぷりした身長2メートル以上あるモンスターだ。
個体差はあるが、腰ほどまでの長さの太く短いこん棒を獲物としている。
数は少ないが、中には技を使う個体もいるらしい。このモンスターを単騎で殺すことが出来れば中の上くらいの実力だ。
「動きが遅いのは良いんだが、一撃が重すぎるんだよなあ。一発食らったら当たり所によっては簡単に死ねる」
「素早い盗賊職や遠距離から攻撃する魔法使いがいれば全く違うだろう。リンド軍司の唱えた戦術論では、まとめると交互に攻撃することが最善だと書いてあった。ジャイアント種はそんなに賢くないからな。注意の先が他の対象に移りやすい。一対一と多対一では大きく攻略レベルが異なるモンスターだな」
「ふーん。で、キリアンは一対一で倒せんのか?」
「そ、そんなことはどうでもよいのだ!我々警備兵で集団から孤立して戦うことなど...」
キリアンは勉強家で張ったが実技が苦手だった。つまりそんなに戦闘能力は高くないのだ。
痛い所を突かれたキリアンは理論武装してオリスに対抗する。
「ふ~ん。ほーん...おいっ!隊長殿がおいでなすったぜ」
オリスは適当に相槌を打っていたが、実際にはキリアンの話など微塵も聞いていなかった。
そんな中ドアの向こうから聞こえてくる、独特の靴の音からガンツ小隊長が来たことを機敏に察した。
前回、ガンツ小隊長に呼び出しを食らった時はかなり長時間に渡って特殊警備兵は何たるかをこんこんと説かれた。
足が痺れて終わった後もしばらくまともに歩けなかったくらいだ。
「おう。ご苦労さん!今日はまともにやってたみたいだな。結構結構!おおい、運んで来い!」
ガンツ小隊長がどかどかと部屋に入ってくる頃にはキリアンも話を途中で切り上げていたので前回の二の舞にならないで済んだ。
隊長の後ろから同僚がモンスターの死体の山を運んでくる。それを手伝いにキリアンとオリスも小走りで向かった。
「やっぱり3枚門があっても臭ってくるな。やっぱあと1枚くらい必要だろ」
モンスターの死体の臭いは中々取れにくい。竜の口を建設する祭には課題として当然、臭いの事も考えられ対策も講じられた。
1枚1枚の門には臭いを打ち消す液体が混ぜ込まれているが,長年にわたる死体の累積と、門の開け閉めにより臭いが漏れて、門外にも臭いがこびりついていた。
この状態で街に出たりしたら、問題になるので警備兵や闘技場関係者の出入り口付近には水を浴びる場所が設置されていた。
「ううぉいしょ!」
ガンツが渾身の力を込めて門を上げていく。
「っふう。終わったぜ。おい、死刑囚の死体も持ってきただろうな?前回は面倒なことになったからな」
前回から制度が変わり、死刑囚の死体もモンスターと一緒に焼却するようになったのだ。
これを失念していたガンツは門を再度開けなくてはならなかったのだ。
「ひでえな。頭がひしゃげてるじゃねーか。これじゃあ顔もわかんねーな」
死刑囚の死因は試合を見なくてもはっきりしていた。エリートジャイアントのこん棒で頭の右側面を行かれたらしい。
眼球は1つ飛び出しており、頭部から出た導線の様なもので地に落ちないでいられた。
それを担ぐ担当者もさすがに顔をしかめており、全員明後日の方向を向いていた。
「よしまだ入るなよ。下の床を開けっから」
焼却されてガンツの目の前にある骨山を床を開閉させて下に落とすべく、側面のレバーを下げた。
「おー、全部落ちて行ったぜ...ん?なんだあれ?」
ガンツはいつものように骨の山が落ちていく様を見ようと下をのぞき込む。
大きなものが下に落ちていく様を見ると何となく気持ちいのだ。
部下たちはガンツのこの姿を見て何度も尻を蹴飛ばしてしたに落としてやりたい念に駆られたことか。
そんなガンツは視界の先に広がる穴の底で何かが動いた気がした。