第六話 蟻人掃討戦④
「ハメイル王国め! 魔石まで渡していたのか!」
すでに私たちは魔石を使い切っている。蟻人が隠し持っていたのだ。まさか魔石まで渡しているとは思わなかった。
「オットー! 誰か前線を塞いで!」
オットーは倒れてピクリとも動かない。生死を確認しようにも近づけない。前線に穴が開き、蟻人がそこから雪崩込んでくる。
カイルが周囲の兵士を引き連れて穴を防ごうとするが、すでにぎりぎりの状況だったのだ、兵が足りず、空いた穴を塞ぎ切れない。
だがもう予備兵力を使い切り、手が空いている者などいない。
いるとすればそう、私だけだ。
「コルツ、ベルト、バン。私について来い!」
私は刃を掲げ、旗持ちと喇叭兵と共に穴に向かって突撃する。
「ロメリア!」
「ロメリア様?」
先生やミアさんが後ろで止めるが、あの穴を防げるのは私たちしかいない。
丘を一気に下り前線にまで駆け寄る。
「そこの兵士、こちらに。あそこをふさいで! そこの三人。こちらに来て」
前線に立ち兵を指揮しようとするが、混戦の中で、まともな指揮がとれない。兵たちも目の前の敵で精いっぱいだ。
部隊を再編しないといけない。怪我をした兵の収容。孤立した味方への支援。
やらなければいけないことはいくつもあるのに、そのどれも出来ない。
もどかしさが全身を貫く。もっと、もっとうまく出来る気がするのに、なぜ出来ないのか。
「ロメリア様、引いてください」
後ろで兵士が叫ぶが、もはや引くに引けない。何とか兵を指揮しようと叱咤するが、ついに前線を突き破り、兵隊蟻の一体が飛び出てきた。
「させるか!」
私は装甲のように黒く輝く外骨格めがけて、細身の剣を突き刺す。
特注であつらえたこの剣は、名工が打った一振りだ。だが剣先は虫の外皮を滑り、わずかに傷跡をつけるのみ。
「くそっ」
前に立つ私に、蟻人が複眼でにらむ。左右に分かれた顎を開いてガラスをこすったような声を上げる。
石器の槍が振るわれる。私は剣で受けようとしたが、剣を弾き飛ばされ、兜に衝撃を受ける。
衝撃で尻もちをついたが、体に痛みはない。兜が外れて飛んで行ったが、おかげで衝撃を逃がしてくれた。
傷はない。しかし動けなかった。複眼に敵意を宿した蟻人を前に、足に力が入らなかった。
蟻人が石槍を突きだしてくる。
死ぬ!
石の槍に頭を貫かれる未来が想像できた。
その時だった。
突如世界が一変した。
視界から色が消え、音も聞こえなくなる。時間がまるで停止したかと思うほどゆっくり流れ始めた。
(なんだこれは?!)
不可思議な感覚に戸惑うが、不思議と怖くはなかった。
ゆっくりとした時の中で、蟻人の複眼の一つ一つが視認できた。繰り出される石器の粗く削られた断面や、粗末な木の棒のささくれさえも見て取れる。
時が停滞した世界で、私は全てを見ることが出来た。だが見えるだけで、体は全く動かなかった。自分に向かって迫る死を、ただ眺めていることしかできない。
遺跡から出土したような粗末な武器が、私の眼前にまで迫る。だがその直前で棍棒が私の横から突き出され、蟻の複眼を叩き潰した。
「無事か、ロメリア!」
棍棒を振るっていたのはヴェッリ先生だった。必死の形相で慣れぬ棍棒を振るい、何度も何度も蟻人の頭を叩き潰す。
私は立ち上がり、周囲を見回した。
「お、おい。ロメリア。大丈夫か?」
背後で先生が棍棒を振るいながら蟻人を防ぐ。後ろにいて見えないはずなのに、先生がどう動いているのかが分かった。
不思議な感覚だった。
死を前にしての一時的な感覚かと思ったが、そうではなかった。不可思議な現象はまだ続いている。
世界からは色が消え、灰色と黒に染まる。
紺碧の空すら今の私には灰色だ。だが見えづらくなったということはない。視界はむしろよりはっきりとし、地面の草や舞い上がる土ぼこり、飛び散る血のしずくさえも見える。
耳もおかしい。周囲では兵士たちの怒声や武具がぶつかる激突音が巻き起こっているはずなのに、そう言った音はどこか遠くに聞こえる。しかし先生の声や迫りくる敵の足音。助けを求める兵士のか細い声などは、まるで耳元でささやかれているようにはっきりと聞こえた。
「おい、ロメリア。くそ、来るな」
何より変なのは、周りが手に取るように感じられることだった。
背後で戦っている先生の動きが、見ていないのにわかる。
先生だけではない。周囲にいる多くの兵士たちの動きが、蟻人の動きがわかる。まるで空から戦場を眺めているように、俯瞰して見える。鳥にでもなった気分だ。
この現象が何かはわからない。でもできそうな気がした。いまの私になら出来る。
「ロメリア、もうここはだめだ。撤退しろ。お前だけでも逃げろ」
先生が蟻人を抑えながら叫ぶ。
確かに戦線はすでに崩壊し、混戦となってしまっている。敵を受け止める中央がこうも入り乱れてしまっては、当初の作戦は崩壊したと言っていい。
「いいえ、今から戦線を再構築します」
「再構築って、お前、ここからは無理だろう」
確かに、これだけ入り乱れていては、もう指揮系統も何もない。命令を出すだけでも一苦労だ。
でも何となくだけれど、今なら出来る気がする。
私は近くに突き刺さっていた自分の剣を手に取り、指揮棒のように指示を出した。
「レッセン、ウーフ、コレル! こっちに来て戦線の構築を手伝いなさい」
目の前の蟻人を倒し、次の敵を探していた兵士に指示を出す。予備隊にいた三人。名前はあっているはずだ。
呼ばれた三人は驚き私を見る。驚くのはわかるが、今は時間が惜しい。
「早く来なさい! 先生や癒し手を守るのです。旗持ちのコルツはそこにいますね。喇叭兵のベルトとバン。早くここに来なさい。セルン! その敵を倒したら後ろにいるボーアを援護。倒したら二人ともこっちに来なさい。ビールス! 左に負傷したマイルズがいるから引きずってこちらに連れてきて、ゴッセン、アント、フーキ、ソシュー。右から蟻人が三匹きますよ。迎え撃って」
混乱する戦場の中、私は周囲から手を付けていく。驚きつつも兵が集結し集まり始める。周りに兵が集まったことで、私たちの安全は確保されてきた。
「先生、私が兵を集めますので、部隊として再構築して防衛線を築いてください。ミアさん、負傷者を集めます。治療してください。カールマンは負傷者の選別を。軽傷、重傷、死亡の三つに振り分けて対処してください。軽傷の者は止血させて戦線に復帰させてください。重傷者はまずは止血して延命を。本格的な治療は後回しです」
死者については指示を出さない。非情だがそれが最も死者を減らす手段だ。
「お、おう。わかった」
「はっ、はい」
先生とミアさんたちは驚きながらも指示に従ってくれる。戦場のこんなところで部隊の再構築や治療をするなど思っても見なかったのだろう。私も想定していなかったが、今なら出来るしやれる。
「ベルト、バン! 喇叭を吹いてください、集結の合図を。この旗に集えと周りに呼び掛けてください」
ある程度兵が集まれば、周囲の兵士は勝手に集まってくれる。近場を喇叭兵に任せて、戦場の混戦の中で、まとまった動きを見せていたグレイブズの一団に剣を向ける。
「グレイブズ!」
戦場の混乱の中、私が矢のように声を飛ばすとグレイブズにまで届く。
声が届いたことにグレイブズ自身も驚いていたが、無視して指示を出す。
「左に兵士が三人孤立しています。それと後ろから敵が迫っていますよ! 隊を二つに分けて救助と防衛に向かいなさい! ミーチャは左に一人、前に二人味方がいます。敵を倒して合流しなさい。セイ! 貴方は突出しすぎです。後ろの味方と合流を! ベン・ハンス隊! 貴方たちは前に、敵の集団が来ますよ!」
戦場で奮闘しているロメ隊の面々にも指示を出す。
「ボレル・ガット隊! 左に三人。さらに左にもう一人。そこから後方に四人の兵が孤立しています。救助に行きなさい。救助し終えたらここに集結。グレン・ゼゼ隊、貴方たちはそのまま敵を防ぎなさい。あとで必ず助けに行きます!」
後方から矢のように指示を飛ばす。周囲では激突音や叫び声が響き、声などかき消されそうな騒音だが、私が剣を向けて声を上げると、ちゃんと声が届いて相手がこちらを見るから不思議だ。
周囲では喇叭の音を聞いて、兵士たちはだいぶ集結してきている。負傷者の治療も始まり、軽傷者は戦線に復帰し、死にそうだった重傷者も、かろうじて一命をとりとめている。
後方の混乱は収まりつつあるが、前線がひどい。カイルが獅子奮迅の働きをしているが、蟻人が津波のように押し寄せ死体を乗り越えて襲ってくる。グランとラグンの部隊がこちらに援軍を寄せてくれているが、それでも近づけないほどだ。
蟻人の部隊から、矢のように突撃してくる一団が見える。狙いは奮戦するカイル。一人で戦線を支えているカイルをへし折り、勝敗を決定づけるつもりだ。
すでにカイルは敵に埋もれるようにして戦っている。得意の機動力も生かせず、のしかかられるように攻撃されれば、死ぬしかない。
「オットー! 起きなさい!」
私は地に倒れ伏し、ピクリとも動かないオットーを叱咤する。私の声が響き渡った直後、死んだと思われていたオットーが目を見開き、飛び起きた。
「おおおおおおっ!」
跳ね起きたオットーは勢いもそのままに特大の槌を振るい、雄叫びと共にやってきた蟻人の群れを一振りで一掃した。




