第五十七話 グエンナ隊の魔の手
城館の中庭で倒れる住民を助け起こし、カルスは逃げるよう促した。
住民はふらつきながらも起き上がり、互いに助け合いながら裏門を目指す。中庭に倒れていた住民の歩みは遅いが、逆に押し合うことなく避難が出来ているため、先ほどまでよりはまだましだった。
カルスは周囲に残った住民がいないかどうかを確かめる。死んでいる者以外は、互いに助け合い裏門へと向かっていた。ソネットを抱えた自分も逃げなければいけないが、住民を置いてはいけなかった。
「頑張れ、急ぐんじゃ」
カルスは最後尾の住民に肩を貸し、声をかけた。その直後、背中に激痛が走り、カルスは前に倒れた。
痛みに跪くカルスに、肩を貸した住民が背後を振り返り悲鳴を上げた。
カルスも肩越しに背後を見ると、杖を持つ魔王軍の兵士カルゴが立っていた。カルスは足元を見ると、黒い礫が転がっているのが見える。
「お前たち、逃げろ」
カルスは立ち上がりながら剣を抜き、カルゴと対峙する。
魔族を見て住民たちは恐れをなし逃げていく。逃げる住民を魔王軍の兵士カルゴは追おうとはせず、カルスを見てにやにや笑っていた。
「やぁ、ご老体。そのいでたちから、どこかの貴族とお見受けしたが、おしめを代えながら戦われるおつもりかな?」
カルゴはカルスの腕の中で泣くソネットを見る。
すぐに半身の構えをとって、カルスはソネットを隠すが、赤子を抱えながら戦いなどできるものではなかった。
「まぁ、そっちの事情は関係ないし、好きにされるとよかろう。儂は小隊長の命令通り、敵を倒すだけよ」
カルゴの言葉を聞き流しながら、カルスは背後を見て、ソネットを託せる住民を捜した。だがすでに誰もが逃げており、託せる相手は誰もいなかった。
「では行くぞ。ほれ、ほれほれ」
カルゴは杖に光をともすと、黒い礫を数個ずつ放ってくる。
カルスはとっさに体でソネットをかばう。たった数回攻撃を受けただけで、カルスは全身血だらけとなっていた。
体が思うように動かず、避けることすら敵わなかった。
カルスは血を吐きながら剣を大地に突き刺し膝をつく。
「おや、もう終わりかな? ご老体。まぁ、老体は互いに一緒だが」
カルゴがけらけらと笑う。魔族の歳などわからないが、口ぶりを聞く限り、年を取っているようだった。
しかし情けなかった。まるで体が言うことを聞かない。若い頃ならば少なくとも避けることはできただろうに。
「さて、面倒だが、逃げた者を追いかけるか」
すでにカルスを倒した気でいるカルゴは、住民が逃げた裏門を見てつぶやく。だがその杖はカルスに向けられており、杖の先には光がともり、魔法を放つ準備は整えられていた。
カルスは自分の最後を呪った。今更自分が生き残ろうとは考えていない。しかし赤子一人助けることが出来ない自分が、無念で仕方がなかった。せめてソネットだけでも誰かに託したかった。それさえできれば、自らの命など惜しくはないのに。
カルスは自分の無力さに目を伏せる。礫の魔法が放たれ、鮮血がカルスの顔を覆った。
だが痛みはなく、顔にかかった血は自分の物ではなかった。
驚いて顔を上げたカルスの目に飛び込んできたのは、修道服を着た女の姿だった。
女が身を挺してカルスをかばったのだ。しかし鎧を着ているカルスならまだしも、ただの女があの魔法を受ければ――
カルスをかばった女がその場に崩れ落ちる。その顔を見てカルスはただ驚いた。
「なぜじゃ、お前は」
カルスは自分をかばった女の顔に見覚えがあった。それは捕らえた癒し手の女、ミアだったからだ。
だが分からない。自分はこの女を捕らえて拷問したのだ。恨まれる覚えはあっても、助けてもらう理由がない。
「どうして、なぜ助けた」
カルスにはなぜミアが、自分を助けたのかわからなかった。
いや、そもそもなぜここにいるのか? どさくさに紛れて逃げ出したのなら、なぜ真っ先に逃げない。
倒れたミアが体中から血を流しながらも起き上がった。その瞳はカルスを、その腕にいるソネットを見ていた。
その顔には間違いなく安堵の表情があった。この状況でミアは自分ではなくソネットを気遣っているのだ。
「うーむ、敵である儂を無視して何やら感動的な場面じゃの。しかし若人よ。一つ言っておくと、年長者を無視するでない」
カルゴが魔法の礫を再度放つ。その魔法はわざと直撃させず、カルスや女の体をかすめ痛めつけるように放っていた。
「大体だ、わしはそういうのが嫌いなんじゃ。戦場の中で気づかいや優しさ、気高さとかを持ち込む輩が」
カルゴは顔を歪めながら、ミアを見て吐き捨てた。
「戦場に不純物を持ち込むでない。戦場は純粋に殺し合いを楽しむ場所だ。卑怯や狂気は良くても誇り高さとかいらん」
独自の理論を展開するカルゴは、新たに魔法を杖の前に浮かべた。
黒い礫が放たれると思いきや、杖にともされた光からは、奇妙なものが杖の先から生み出された。
それは子猫ほどの大きさの、小型の竜だった。
「なんだ、それは?」
カルスは見た物が信じられなかった。カルスの知る魔法とは、炎や電撃を操り爆発を起こすものだ。生命を作り出すなど聞いたことがなかった。
「ああ、そういえばお主たちの魔法は遅れているんだったな。儂は礫を飛ばすなどよりも、こういう魔法が本来の専門でな」
カルゴが話す杖の先では、産み落とされた小型の竜が、鋭利な牙を並べた口を大きく開き叫んでいた。まるで本当に生きているように、それぞれが動いている。
「肉を与え、疑似的な生命を生み出す魔法だ。別にこやつらに餌を与える必要はないんじゃが、おぬしらのように戦場に余計なものを持ち込んだ輩には、ちょっとした罰を与えることにしておる。ほれ、お前たち。そこの二人と赤子を食い殺せ。体を齧られ、食い殺されれば優しさや気高さなど、何の意味もないと知れよう。戦場で慈悲の心を出したことを、後悔しながら死ぬがよい」
カルゴの言葉に、小型の竜たちが温度のない瞳でカルスたちを見る。
そして獲物と見るや、一斉にとびかかってきた。
「くそ、来るな」
カルスは剣を振るい小型の竜を倒そうとしたが、小さいうえ俊敏な竜はカルスの剣を跳びはねて避け、カルスの手足にかみつく。女の悲鳴が聞こえ、ミアの手足にもかみついていた。
「離れろ、離れんか」
カルスが剣を振るい、ミアを襲っていた竜を追い払う。その時ようやく一匹をしとめることが出来たが、生み出された竜は数が多かった。小型竜は小さく弱いが、こちらの体力を奪う程度の力は持っている。
このまま体を齧られ出血が続けば、そのうち動けなくなる。そうなれば本当に体を齧られ死ぬこととなる。致命傷を与える力がないだけに、その死は長く苦しいものとなることが容易に想像できた。
「くそ、くそ、くそ」
カルスは闇雲に剣を振るったが、ただ空を切るばかりだった。
疲労から剣を地面に突いたとき、一斉に竜たちがとびかかってくる。
カルスは死を覚悟したが、次の瞬間、小型竜の背後から黒装束の兵士が現れ、刃をきらめかせた。
銀光一閃。カルスの目に見えたのは初太刀のみ。その後いくら刃が放たれたのか、とびかかってきた小型竜の首が全て落とされ、地面に落ちていく。
「無事ですか、ミア様」
一瞬で小型竜を切り伏せた兵士は、カルス達を背にしながらミアの安否を確かめる。
「ジニさん」
ミアが兵士の名前を呼ぶ。遅れて現れたのは、ロメ隊が一人ジニだった。
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