第五十二話 散花
わずか一度の激突で、完膚なきまでに殲滅されたロベルク同盟の兵士達を見て、塔の上にいた領主達は色も言葉もなくしていた。
耳に聞こえてくるのは悲鳴のみ、阿鼻叫喚の地獄絵図が丘の上で繰り広げられていた。
「なっ、なんだあれは、何が起きている?」
カルスには目の前の現実が受け入れられなかった。
勇壮なロベルク同盟の兵士百五十が、無惨にも殺されていた。先ほどまでは雄々しく声を上げていたというのに、いまや聞こえてくるのは悲鳴のみ。いや、その声すら途絶えつつある。
「ぜ、全滅したのか」
カルスは呆然と丘の上を見た。
もはや動いているロベルク同盟の兵士はおらず、魔王軍のみ。しかもその魔王軍は倒れた者すらおらず、横陣は全く崩れていなかった。
悪夢としか言いようのない光景に、カルスの顔色は紙のように白くなる。
「カルス殿! これはどういう事ですか!」
弾けたような声を発したのはギルマン司祭だった。
「そうだ、話が違いますぞ」
「一体どうしてくれる」
「我々の兵をむざむざと」
ギルマンの言葉を皮切りに、ロベルク同盟の領主たちが一斉にカルスに詰め寄った。
カルスは何も言えなかった。損害を被ることは覚悟していたが、あれほど簡単に殺されるとは思っていなかった。ここにいる誰もがそうだっただろう。
ギルマン司祭や領主達が盟主であるカルスを責めたが、一拍の拍手が場を沈めた。
「皆さん、魔王軍が動きましたよ」
手を叩いたカーラが窓の外を見て、敵軍の動きを知らせた。兵士たちを皆殺しにした魔王軍は、次は城館を獲物にしようと、一斉にこちらに向かってきていた。
「いっ、いかん。早く逃げねば!」
敵軍の進軍に領主たちは今すぐにでも逃げ出そうとしたが、その背中にカーラは白い視線を浴びせかけた。
「おや、逃げるのですか? 昨日までは、自分達は命懸けの戦いをしていると豪語していたのに、本物の命の危機が迫れば逃げ出してしまうのですか?」
カーラの言葉に、我先にと逃げ出そうとしていた領主たちの足が止まった。
「別に良いのですよ? どうぞお逃げください。私は常々考えていたのです。命懸けであることは、それ自体はなんの意味もないということを。死んで何かが為せるわけではありません。皆さんは命をお大事に」
カーラはつまらぬものは見ていられぬと視線を外すと、ギルマンと領主はそそくさと逃げ出した。
塔に詰めていた兵士たちも逃げ出し、残っていたのは、カルスとカーラだけとなった。
「カルス。まだいたのですか?」
「カーラ。お前はどうするつもりだ」
「私には取らなければならない責任があります」
「まて、敗戦の責任はわしにある!お前がとる必要は無い」
「もちろんです。私がとるのは兄である貴方を止められなかった事に対する責任です」
カーラの言葉はカルスの胸を抉った。だがカーラの目に宿った炎はカルスを許さなかった。
「私は、この領地を統べる者として、貴方の暴走を防げなかった責任があります。この責任は、誰かが取らねばなりません。ですが私一人が死ねば面子は立ちます。カルス、貴方はお逃げなさい。これは領主としての命です。そして必ず生き延び、自らの行いの結末を、後世に伝える語り部となるのです」
カーラの苛烈な言葉に、カルスは後ろにさがった。
「あなたは命懸けだったのでしょう? その戦いに失敗して生き延びたのなら、その生き恥を後世に晒しなさい。それがロベルク同盟百五十の命を、無駄に散らせた贖罪です」
「そんな、わしは、ただ……」
「ただなんだというのです? 私もソネアも、ロメリア様も止めたではないですか。それを聞かず戦争を始め、挙句大きな犠牲を出したのです。ただで済むと思ったのですか?」
妹の冷ややかな言葉に、カルスはその場で崩れ落ちた。
そんなカルスを見限り、カーラは一人で塔を降りた。
すでに塔の内部にいた兵士達は逃げ出し、誰もいなかった。中庭からは叫び声を上げる人々の声が聞こえてきた。ロベルク同盟の兵士が皆殺しされた事が、避難してきた民衆に伝わったのだろう。
カーラは塔を降りて表門のほうに向かった。表門では一人の兵士が油を撒いていた。
「カーラ様? どうしてここに?」
「ロメリア様の兵士の方ですね、油は撒き終えましたか?」
「はっ、はい。カシュー守備隊のメリルと申します。油は全て撒き終えました。あとは……」
メリルは壁にかけてある松明を見た。
「後は火をつけるタイミング、ですね」
カーラはうなずきながら、火をつける難しさを理解した。
避難してきた人々を逃がす為には、ギリギリまで待つ必要がある。だが、それは魔王軍を近づけることを意味する。限界まで引き付ければ逃げる暇が無くなり、敵の攻撃にさらされる。だが少しでも敵を引き付ければ、その分助かる命も出てくる。まさに命懸けというにふさわしい仕事だ。
「火は私がつけます。貴方は避難しなさい」
「カーラ様! それは!」
メリルはその言葉の意味を理解した。
「下がりなさい。これは領主としての私の仕事です。貴方は貴方の仕事をしなさい」
カーラは自らの決意を告げた。
人にはやりたい事と、やらなければならない事がある。望むと望まざるとにかかわらず、その時はやってくる。
「……わかりました」
メリルがうなずき、裏門へと走っていく。
直後、表門に岩が当たったかのような衝撃が走った。鋼鉄の鋲が打たれた門が軋み、大きく揺れた。魔族が門をこじ開けようとしているのだ。
二度目の衝撃で閂に亀裂が走り、折れそうになる。
カーラは震える手で松明をとり、握り締めた。
三度目の衝撃で閂がへし折れ、四度目の衝撃で門が撃ち壊される。
門が倒れるように開かれ、巨大な魔族達が門をくぐり入ってきた。
爬虫類の眼光がたいまつを持つカーラを射すくめる。
カーラはおびえることなく、松明を持ったまま両腕を広げた。その姿は、裁きを待つ信徒のようだった。
裁きの代わりに放たれたのは黒い刃。魔族の槍がカーラの胸を無慈悲に貫く。
胸に槍を受けたカーラがそのまま後ろに倒れ、手に持つ松明が油の撒かれた床に落ちた。
炎が絨毯のように広がり、死せるカーラの体を包み込んだ。
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