第九話 カシュー地方②
セルベクとの交渉を終えた後、私はあてがわれた部屋でまず着替えをすることにした。
ドレスを脱ぎ捨て、この前仕立てたばかりの服に腕を通す。
襟の大きな黒い上着だ。三年前には見なかった型で、ジャケットというらしい。西の大国、ヒューリオンで最近作られ流行しているそうだ。袖口や襟元に金の刺繍が施されていて、なかなか見栄えがする。
胸元には白で鈴蘭の刺繍が施されている。
下は白のズボン。ぴったりと肌に張り付き、足の形が見えてしまうが、馬に乗るときは邪魔にならないだろう。さらに黒の長靴を履き、腰に軽い細身の剣を装備して一応完成。すべて特注の品だ。女用の軍服という物がないため、一から作るほかなかった。
戦場に出るときは、この上からこれも特注の鎖帷子と胸鎧を着る予定だが、今日はいいだろう。
軍装に身を固めて外に出ると、広場では代官が用意してくれた兵士たちが整列していた。
大変友好的な話し合いの結果、セルベク代官は早速私の望みをかなえてくれ、兵士二十人。軍馬三頭。荷馬車一台。魔法の力が込められた爆裂魔石三つを提供してくれた。
しかし兵士を見ると、代官の心の内が分かるというものだった。
与えられた兵士はみなどれも若く、体格もよくない。今年集められた新兵ばかりだった。
とはいえ、不正を盾に文句を言うつもりはない。私は彼を脅したのだ。快く精鋭部隊を貸してもらえるとは思っていない。
それに、これはこれでいい。癖のついていない新兵。まずは彼らを鍛え上げ、一人前の兵士にすることが私の仕事だ。
まずは彼らにやる気になってもらおう。
「聞いていると思いますが、これから領内を跳梁する魔物を一掃する討伐隊を結成します。あなた達には存分に働いてもらうつもりです」
私がまず一声をあげると、それぞれから失笑が漏れた。
「何で俺達がそんな事を。貴方の王子が、いや貴方を捨てた王子が倒してくれるんでしょう?」
生意気な顔の青年が言うと、周囲から笑いが漏れる。
貴族を笑うと面倒なことになるが、安い矜持を振りかざすつもりはない。
「貴方、名前は?」
「アルと申しますが? お嬢様?」
二十歳そこそこの青年が答える。
「アルですか、悠長なことですね」
辺境にいるとこうまで緩くなれるのか、少しあきれる話だった。
「はい?」
「王子率いる討伐軍が来ると言うが、それはいつの話です?」
「え?」
「ですからいつ来るのかと聞いているのです。いったいいつ来るので?」
「それは……」
言い淀むアルに、私が代わりに答えてやった。
「答えは永遠にこない、です。王都の兵が、こんな辺境を守るために出兵してくれるわけがないでしょう」
王都が討伐軍を編成することは間違いないが、それらは交易路や主要都市の防衛に充てられる。こんな辺境のカシュー地方に派遣されるわけがない。
「そんなことだと、世間知らずと笑われますよ」
年下の小娘に世間知らずと言われ、さすがにアルは顔をしかめ、兵士たちも機嫌を悪くするが、彼らはもっと焦るべきだ。
「私はあなた達より年下ですが、魔王軍の怖さはこの中の誰よりも知っているつもりです。王子と一緒に旅をして見てきましたが、魔王軍に滅ぼされた村や町というのは、それはもう悲惨なものです」
思い出すだけでも胸が痛くなる光景だ。
「家も畑も失い、生き残った者たちは逃げて逃げて荒野をさすらい。金もないから街にも入れず、凍死するか病で死ぬか、あるいは飢え死にのどれかしかありません。しかし彼らはまだ幸運と言えましょう。魔王軍や魔物に殺された者たちの悲惨さと言ったら言葉がありません。魔王軍は捕まえた人間を奴隷にするか、なぶり殺しにするかのどちらかです。魔物たちは生きたまま人間を食います。その死にざまと言ったら。『やめろ、俺を食わないでくれ』と屈強な男が泣き叫ぶ声は、今も耳に残っています」
私が見てきた戦場の地獄を語ると、兵士たちは声を失くしていた。
今年集められた新兵達には、ちょっときつい話だったかもしれない。私も初めてその光景を見たときは、何日も眠れずにすごし、一刻も早い魔王討伐を心に誓った。
どうしようもない王子とその女達についていったのも、ひとえに殺された人、これから殺されるかもしれない人たちを思ってのことだ。
「アルの言う通り、近々王子が討伐軍を結成されるでしょう。しかしその結果、どうなると思います?」
あの王子がうまく戦えるとはとても思えない。
だが魔王が倒され、補給路も断たれた魔王軍はさすがに戦力を維持できない。どれだけ手間取っても、討伐軍は最終的には勝ちを拾えるはずだ。
「彼らの本国は海を渡った向こうの魔大陸にあり、帰る船はありません。討伐軍に蹴散らされた魔王軍の残党は、本国に逃げかえることができず一斉に四方へと広がり、各地で軍閥化し自分たちの国を作ろうとするでしょう。当然こういった辺境の地は格好の狙い目となります。今はまだ被害は少なくて済んでいるかもしれませんが、いずれ連中は必ず来ます。それがあなた達の故郷でないとは、誰にも言えない」
近い将来、確実にくる現実を指摘され、兵士たちがうつむく。
彼らの脳裏には、故郷の家族や恋人のことがよぎっているに違いなかった。
「別に王国のため、私のために戦えとは言いません。あなた達はあなた達の故郷のために戦うべきなのです」
兵士たちの中で、何人かの目つきが変わる。自分たちで故郷を守らなければならないと言う火がついたのだ。しかし大部分はうつむいたままだった。戦闘経験のない新兵である彼らは、自分たちが魔王軍や魔物と戦い勝てるとは思えないのだろう。
生存本能を考えれば当然のことだ。だからその本能をくすぐってやろう。
「故郷を守るためとはいえ、あなた達をタダで使うつもりはありません。ちゃんと褒美は考えています」
私は持ってきた革袋を取り出し、中から一枚取り出して見せた。
小さな歓声とともに、四十の瞳が私の指先に吸い込まれるように集まる。
私がつまむ黄金色の物体は、ピカピカに磨き上げられた金貨だった。
ここで暮らす支度金として、お父様にもらった金貨だ。それも貴族が国家に税金を納める時に用いる大金貨で用意してもらった。
「これ一枚で、優に三年は遊んで暮らせますよ」
驚きの声とともに、生唾を飲み込む音が聞こえた。
二十人が一心不乱に黄金を見つめている。
「働きに応じて褒美を出します、大手柄を立てれば、この金貨はあなた達のものです」
私の言葉に兵士たちは色めきたった。
黄金とは不思議だ。ただの綺麗な金属でしかないのだが、多くの人の心を惹きつける。
見せびらかすように金貨を左右に振ると、全員の視線が一斉に動く。
さらに袋から金貨をつかめるだけつかみ、見せびらかす。そしてよく見えるように、ひとりひとり鼻先にまで近づけて見せて回った。
こうすることで、黄金の臭いをかがせることができるらしい。
もちろん黄金に臭いなんて存在しないが、心で臭いをかがせることが重要らしい。
以前、旅で知り合った商人がやっていた手だ。
金のためなら何でもする最低の商人だったが、人を動かす手法に関してだけは長けていた。
商人いわく、金と脅しで動かない人間はいないと言う。
黄金に取りつかれた人間の言葉だが、ある程度は真実なのだろう。事実兵士たちの目は明らかに変わっていた。
故郷を守るという大義に、黄金の魔力。
正義だけで人は動けず、欲にかられる人間はここぞと言う時にもろい。二つが合わさることで、一つの力となる。
ようやく兵士たちをまとめることが出来たが、これで二歩目。次は実戦だ。
ここまでは事前に計画を練っていたことだが、ここから先はさすがに思い通りとはいかないだろう。
うまくやれるか自分でも分からない。
だがやるしかない。人々を救うにはそれしかないのだ。
多分明日も更新します
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