第四十九話 それぞれの覚悟
まずい、まずい、まずい!
カシュー守備隊所属、ロメ隊の一人であるカイルは、シュロー、ジニ、レット、メリルと共に焦りながらミカラ領の城館を駆けた。
状況は最悪だった。首尾よく城館に忍び込み、囚われたミアを救う準備に取り掛かったところ、どこから現れたのか、魔王軍が出現した。
幸いにも、魔王軍はすぐに襲い掛かってこなかった。周辺の住民が魔王軍に気づいて、城館に逃げ込んでくる余裕さえあった。
城館やその周辺にいたロベルク同盟の兵士たちは、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。だが敵は、ロベルク同盟の兵士たちが準備を整えるのを待つことすらした。
その意図するところを、カイルは正確に理解していた。そしてこの後におきる惨劇のことも……。
カイルにとって幸いなことは、城館にいた兵士たちの注意は外に向いていたことと、逃げ込んできた村人たちで城館の中は混乱し、自分たちの姿を見られても誰も気に留めなかった点だ。
カイルたちは、ミアが囚われている地下牢を目指した。
そして地下牢に到着すると、鍵を開錠し、牢屋で倒れているミアを助け起こす。
「ミアさん、大丈夫ですか?」
カイルは拷問され、傷ついたミアを助け起こした。
その傷ついた姿を見ると心が痛んだが、それにすら構っている余裕がなかった。
「カ、イルさん?」
揺り起こされ、ミアがうっすらと目を開けてカイルの名前を呼んだ。
「どう、して?」
「ロメリア様の策です。ソネア様が助け出せれば良し。もし失敗したら、我らが助ける予定でした」
「……で、ではソネアさんは? ソネアさんは無事ですか。あの人は!」
カイルが説明したが、状況がすぐに飲み込めなかったミアは少し呆然としたあと、目を見開いてソネアの安否を確認した。
「大丈夫です。ソネア様は無事です」
カイルはソネアの無事を請け負った。ソネアが去ったあとに魔王軍が出現したが、魔王軍の現れた場所や、ソネアが向かった先は方向が少し違っているため、安全だと思われた。
「そうですか、ソネアさんに怪我はないんですね。よかった……」
自分のことを棚に上げて、ミアは安堵の息を漏らした。
「さぁ、我らと共に逃げましょう。ロメリア様が待っています」
カイルがミアを抱き起す。するとそこに銅鑼の音が響き渡った。
「この音は何です?」
ミアが問い、カイルたちは目を見合わせた。真実を言うのは気が重い。だが仲間であるミアに、嘘をつきたくはなかった。
「魔王軍です。どこから現れたのか、魔王軍が出現しました」
「魔王軍、ですか?」
「はい、魔王軍の小部隊が我らの包囲網から逃れて、ここにまで来たようです。しかしここにはロベルク同盟の兵士もいますので、我らは先に逃げましょう」
ミアの問いに対して、カイルは意図的に真実を隠して答えた。
だがミアは嘘の気配に気づいたのか、問い直した。
「本当に大丈夫なのですか? ここの守りで、魔王軍を倒せるのですか?」
ミアの問いにカイルたちは目を見合わせた。
正直、あの敵を目にしたとき、カイル達ロメ隊の自信は完膚なきまでに打ち砕かれていた。
これまでいくつもの戦いを経験し、何度か覚醒を行ってきたカイルたちは、自分たちは強いと思っていた。
蟻人戦やバルバル軍との戦いでも、自分たちの力は通用したため、その自信は実力に裏打ちされたものだと思っていた。
だがあの丘にいる魔王軍。あれはだめだった。自分達とは格が違う化け物だ。
ロメ隊でも抜きんでた力を持つアルやレイですら、ようやく互角と言える化け物たち。それが丘の上に何体も集まっていた。
カイルたちの自信など雲散霧消し、ただ逃げることしか考えられなかった。生き残るためにはそれしかない。
おそらくこれから起きるのは虐殺だ。あの敵を前に、ロベルク同盟など抵抗もできないだろう。しかも連中は戦い慣れているのか、あえてロベルク同盟に、準備を整える時間すら与えた。
敵がすぐに襲い掛かってこないのは、ミカラ領の人達を逃がさないためだ。
突然襲われれば、人は慌てて逃げ惑う。だが攻撃や防御の準備を整えれば、そこにしがみつき、逃げる選択肢が無くなってしまう。
城館にはミカラ領の村人が逃げ込んできているが、ここはもはや連中の餌箱だ。城館にいる兵士や村人は、敵に蹂躙されて皆殺しになるだろう。
「強い、のですか?」
ミアはカイルたちの顔色を見るなり、すぐさま状況を理解した。
カイルは顔色に出てしまったことを後悔したが、もはや遅い。
「こ、ここにも敵が押し寄せるのですか? 村人たちは? ミカラ領の人達はどうなるのです?」
ミアの問いに、カイルたちは答えられなかった。
「そ、それは、ここはロベルク同盟の本拠地ですから、彼らが自分で何とかするしか……」
カイルの苦しい言葉に、ミアは目を見開いて叫んだ。
「それはだめです。ここはソネアさんの領地ですよ。その領民を見捨てることなどできません!」
「ですが、彼らは我らに反旗を翻しました。貴方だって……」
カイルはミアの体を見た。
人々を癒し、助けに来た者に対して、そのような仕打ちをしたのは彼らではないかと言いたかった。しかしミアは傷ついた顔でありながら、貴族のような威厳を放った。
「それは関係ありません。貴方たちは何をしに来たのです? ロメリア様はこの地を救うと約束したのですよ? ここで敵を見過ごし、人々を見捨ててなんとするのです」
ミアのあまりに高潔すぎる刃は、カイルたちの心を引き裂いた。
「そ、れは……」
自分より年下の小娘に言われ、カイルは正直怒鳴りたかった。
戦うのはお前じゃない! 命を懸けるのはお前じゃない! 無茶ばかりを言うな! 勝てないものは勝てないんだ! 死にたくない、死にたくないんだ! お前に死ねという権利があるのか!
怒鳴り散らしたい欲求にかられたが、カイルはその言葉を呑み込んだ。顔は苦渋に歪み、胸は恐怖で張り裂けそうだった。
しかしある時を境に、カイルの顔は感情が抜け落ちたように穏やかになった。
「……わかりました、やりましょう」
カイルは突然、戦うことを了承した。
「できることは少ないですが。この命ある限り、ここの人々を助けましょう」
「お、おい」
カイルの決断に、仲間の一人であるレットが非難の声を上げた。
あの敵に立ち向かうということは、死ねという意味だからだ。
勝手に自分たちの命を懸けたことに、他の三人のロメ隊も怒りの目でカイルと見たが、カイルは決意を秘めた顔で四人の仲間を見た。
「ミアさん。いえ、ミア様。少しお待ちください。仲間と話します。おい、外で話そう」
カイルはミアに断りを入れた後、ジニ、シュロー、メリル、レットの四人の仲間と共に牢屋を出た。
「おい! どういうことだ。我らの命令はミアさんを助けることだ。ここの連中を助けることは命令に無い」
牢を出るなり、メリルが非難した。
確かにメリルの言う通り、余計な仕事をする必要はない。ここの連中に対してそんな義理もない。それはカイルにもわかっている。
「わかっている。だがやろう。やるべきだ。やるんだ」
カイルは何度も言いなおし、決意を訴えた。
「なぜだ、どうして? なぜ連中のために?」
ジニが、訳が分からないと問うた。
その気持ちはカイルにもわかる。確かにこの領地の者たちは、ミアをさらい暴行した。味方というよりは敵に近い。
「わかっている。だが俺たちのためにやるべきだ。お前たち、ここで殺される人々を見捨てて、ロメリア様に会うつもりか? どんな顔で見捨てたことを報告する?」
「そ、それは」
カイルに問われ、シュローは言葉につまった。
「もちろんロメリア様は俺たちを責めない。命令にはないことだったし、戦力差が違いすぎる。逃げたって誰も責めはしない。だがそれでロメリア様の前に立てるか? あの人のそばにいる資格があるか?」
カイルの問いかけは、四人の心を打った。
「ロメリア様は太陽のようなお方だ」
カイルは自らの主を評した。
それはシュロー達も同じ気持ちだ。そばにいるだけで、温かい気持ちになれる。
だが太陽は優しさだけではない。自らに恥じることのない者には、その炎は暖かな温もりを与えてくれるが、後ろ暗さから顔を背ける者には、容赦なく身を焦がす炎となる。
「ここで逃げだせば、誰も責めない。だがもうあの方の側にはいられない。たとえロメ隊にいられても、心は遠く離れてしまう」
カイルには、逃げだした自分の末路が容易に想像できた。
一度太陽に身を焼かれれば、逃げ出すしかなくなる。だが完全に逃げることもできず、安全な日陰から、ロメリアとその仲間たちを羨望のまなざしで見上げることとなるだろう。かつては自分もあそこにいたのだと愚痴りながら。
「それだけはごめんだ。そんな人生だけはごめんだ。そんなことになるぐらいなら。ここで死んだほうがましだ。ここで死ねば、きっとロメリア様は涙を流してくれるだろう。一生我らのことを忘れずにいてくれる。それでいいじゃないか」
カイルの言葉に、四人の仲間たちの顔は歪んだ。
死にたくないという恐怖。生きたいという欲求。人として当然の本能が荒れ狂っているのが分かる。
しかし四人は四人とも、同じような顔をして、最後も同じような表情に落ち着いた。
四人全員が諦めた様な、それでいて口元がわずかにほほ笑んでいる決意の表情をしていた。
「わかった、やるよ……」
メリルが、諦念にも似たため息をつく。
「まったく、やってられないよな! ロメリア様に似たのか、いい女すぎる。付き合う方の身が持たない」
ジニが喚いた。だがその顔は笑っていた。
「ミーチャが粉かけていたが、あれは難物だな。うまく行ったにしても、尻に敷かれるに銀貨一枚」
レットが軽口をたたく。もう笑うしかないという顔をしていた。
「そもそもうまく行かないに金貨一枚だ。あとここで生き残ったら、俺が口説く」
シュローの言葉に、ジニ、メリル、レットが笑った。
カイルは仲間たちを見た。
敵は強大で、数も多い。それに立ち向かうということは、死ぬと決まったようなものだった。にもかかわらず、仲間たちは笑っていた。
「よし、行こう!」
カイルの言葉に、四人の仲間がうなずいた。
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