第八話 カシュー地方①
カシューへの旅路は愉快なものとは言えず、馬車の中は愚痴の言葉で埋め尽くされていた。
今も馬車ではカイロ婆やがぶつぶつと文句を言い、夫であるカタン爺やは聞こえないないふりをして相手にせず、私もそれに倣った。
「まったく旦那様は、奥様は」
すでに何度も聞いた言葉だが、婆やは私のカシュー行きに反対のようだ。
確かにこれは一見すると婚約破棄されたような不出来な娘を、勘当同然に地方に飛ばしたように見えるだろう。
私が自分から言い出したことだと説明したが、婆やは取り合わない。二人の態度がひどすぎると今も言っている。
「だってそうでございましょう。ロメお嬢様は三年もつらい旅をしていたのですよ。それなのにあの王子ときたら、最初に旅についていったロメお嬢様をこともあろうに捨てて、あんなどことも知れない女と婚約するなど、ひどすぎます」
教会公認の聖女を捕まえてその言葉はまずいが、もうたしなめるのにも疲れた。
「そんな傷心のロメお嬢様が、やっと帰ってきてくれたというのに、奥様はただ泣くばかりで、旦那様も何も言わない。これではあんまりです。せめて、せめて何か一言あるべきです」
確かに、叱責の言葉が飛んでこなかったのは意外だった。ばあやの言うような温かい言葉は期待していなかったが、何もないのも拍子抜けで怖い。
「それに使用人たちも使用人たちです。ロメお嬢様がカシューに行くというのに、だれもついていこうとしない。まったく呆れました」
カシューへと都落ちをする私に同行してくれたのは、カイロ婆やと夫であるカタン爺やのみだった。
「別にいいのよ、彼らにだって考えがあるでしょうし」
華やかな王都から離れるのもいやだったろうに、好んで辺境に行きたがる者はいない。
「しかしですねぇ」
婆やはまだぶつくさ言っていたが、もう聞き飽きた。
「婆や、いい加減にして、全ては私が決めたことよ」
「ですが、ロメお嬢様。これから行くカシューの地は辺境も辺境。魔物も出るっていうじゃありませんか。そんな地にお嬢様を行かせるなんてあんまりです」
「知ってるわよ。私が決めたんだし。でもそんなに悪い所じゃないわよ。自然が豊かでいい所よ」
それしかないとも言えるが。
「お嬢様は、行ったことがあるのですか?」
「一度だけね」
カシューには一度行ったことがあった。旅の途中、予定外の出来事で立ち寄ることになったのだが、そのおかげで面白いことも知ることができた。
「はい、もう愚痴はそれぐらいにして頂戴。やらなきゃいけないことはたくさんあるんだから」
馬車はすでにカシューに入っている。のどかな田園風景が広がっているが、時折畑があり、街道沿いの町の柵が壊れているのが見えた。
おそらく魔物の被害だろう。街道にまで被害が出ているとするなら問題だ。奥地の村落ではさらにひどいことになっているはずだ。事前にわかっていたことだが、これは実地で調べる必要がある。
「爺や、悪いけれど御者に言って馬車を止めてもらって。ちょっと寄り道しましょう」
馬車の方向を変え、辺境のさらに奥地を巡回した。
寄り道をしたおかげで予定よりも五日も遅れて、私は新居に定めたカルルスに到着した。
そこは四方を壁に囲まれた砦だった。
カルルスは王国で最も東に位置する砦だ。北は山にふさがれ、南は湿地。東には荒野の先に隣国とつながっている。
隣国とは過去に戦争の歴史があり、現在は小康状態。隣国に対する守りとして、ここカルルス砦が作られたが、カシューに戦略的価値はなく、襲撃される心配はほぼない。
東を守る最前線のはずだが、弛緩した空気が砦には漂い、門の両脇を固める二人の門番も、槍を杖にしてあくびをしていた。
魔王軍は王国の西に展開しているため、ここが主戦場から遠いことも原因の一つだろう。
「まぁ、カルルスとはこんなところなのですか」
武骨な砦を前に、婆やはめまいを起こしていたが、ここがそういう場所であることは知っていた。
私が欲していたのは、美しい邸宅でも整えられた庭でもない。兵士が駐屯できる軍事施設だ。
「お嬢様、こんなところに住むことはできません。今すぐミレトの街に戻りましょう。あそこならもう少しまともな生活が出来ます」
「私はここでやることがあるの。ミレトに行きたいのなら婆や一人で行ってちょうだい。なに、どんなところも住めば都よ」
身分を告げて門を開けてもらい、中に入る。
カルルス砦の中は広々としていた。資料によれば、最大千人は駐屯できる規模だとあったが、見たところ兵士の数は五十人ほどしかいない。記録上では百人はいるはずだが、演習か巡回警備にでも出かけているのかもしれない。
とりあえず馬車を降り、爺やには荷物を下ろしてもらい、婆やには住む場所の掃除をしてもらう。何か仕事を与えている間は、少しは静かになってくれるだろう。
二人が仕事をしている間、私はまずここまで護衛してくれた人たちをねぎらった。
「ここまで送っていただきありがとうございます。私のわがままで日にちが延びてしまった分は、お父様から追加で報酬を出すようにお願いしてあります。この手紙にそのことが書いてありますので、お父様に渡してください」
したためた手紙を渡し、護衛の方たちには帰ってもらう。
護衛を返した後は、少し手が空いたので砦の中を見せてもらう。
ざっと見たところ、砦の状態は十分とは言えなかった。
人数が少ないのは仕方がないにしても、士気が低い。兵士たちに緊張感がなく、見知らぬ私が動き回っているのに、だれも呼び止めない。
貴族の服を着ているから遠慮しているのだろうが、仮にもここは軍事施設。案内も付けていない見知らぬものが動き回っていれば、ふつう呼び止めるだろう。
それに装備も貧弱だ。貴族であれば武具の類は自分で用意するものだが、ここにいるのは農村から徴兵された者たちばかり。彼らには国から武器が支給されるはずなのだが、槍や剣などはあるが、砦の防衛に必要な弓や弩の数が少ない。軍馬もそれほどそろってはいないようだ。
東の守りであるため、砦自体はしっかりとした作りだが、中身は備わっていないようだ
一通り見て回ると、爺やが荷物を下ろし終え、応接室に荷物が運び込まれていた。持ってきた書類を確認しておこうと荷物をほどき書類を見ていると、護衛を連れた小太りの男性が部屋に入ってきた。
着ている鎧には見事な装飾が施されているので、他の兵士より身分が高いことは一目でわかった。
「お待たせして申し訳ありません。そしてよくおいでくださいました、ロメリアお嬢様。私がこの領地の代官を任されておりますセルベクと申します」
小太りの男性が柔和な笑みを浮かべて頭を下げる。彼は代官であり、この砦を指揮する最高指揮官でもある。この砦は彼のものと言っていい。
「セルベク代官殿、ごきげんよう。これからよろしく頼みます。ところで早速で悪いのですが、一つお願いがあります。どうやらこの地方には、頻繁に魔物が出没しているようです。隊を編成して討伐にあたるべきでしょう。私が指揮を執るので、兵士と武器、食料などを提供していただきたい」
開口一番の私の言葉に、セルベクは驚いた後笑った。
「さすがは王子と旅をされただけのことはありますね、勇ましいことですが、領地の守護は私の仕事です。ロメリアお嬢様にはお部屋にいていただかないと」
「そうしたいのは山々ですが、その仕事が滞っているようですね、村のあちこちから、魔物の襲撃の報告が上がっているようですよ?」
「そんなもの、村の者が金目当てに言っている戯言です。連中は少しでも困ったことがあると泣きついてくるのですよ、困ったものです」
セルベクは切って捨てようとしたが、私は騙されない。
「そんなことはありません。魔物の出没は本当です。ここに来るのが遅れたのは、来るときに寄り道をして、被害を確かめたからです。実際に被害が出ていましたよ」
まだ大きな被害となっていないが、魔物の数は次第に増えている。大規模な討伐をしなければ、いずれ大きな問題となるだろう。
「そうですか、それはこのセルベク一生の不覚。すぐさま討伐隊を組織しましょう。しかしお嬢様はここにいていただきます」
「いいえ、私も同行します」
「お嬢様、いったい何の権限があってそのようなことを言われるのです? 確かにここはグラハム様の領地ですが、貴方には何の権限もないのですよ?」
確かに、伯爵令嬢でしかない私には、本来何の権限もない。委任状が無ければの話だが。
「権限ならばあります。ほら、ここに委任状があるので確認してください」
書類を見せると、セルベクの顔が驚きに固まった。そこにあるのはお父様直筆の委任状だ。これがあればカシューの中で私にできないことはない。
お父様は生活費や、使用人などの人事を好きにさせる程度のつもりで渡したのだろうが、これがあれば砦の兵士も扱える。その気になればセルベクさえも挿げ替えることが出来るものだ。
「こ、こんなもの、ただの紙切れだ。いくら伯爵令嬢でも、女の命令など兵士は聞かない。それにグラハム様もそんなことのためにこれを渡したのではないはずだ。撤回するよう手紙を送ればそれで終わりだ」
セルベクは後ろの兵士たちに目配せする。兵士たちはセルベクを見てうなずいた。
子飼いの兵士であろうし、今日初めて見た貴族より、付き合いの長い代官を選ぶのは普通だろう。
「ですが、あなたの首も危ないのでは? 魔物を放置したせいで税収は右肩下がりです。お父様がこの事実を知ればどうなることか?」
辺境であり、もともとの数字が大きくないため注目されていないが、お父様が知れば即刻首を挿げ替えられるだろう。
脅され、セルベクの目の色が変わった。
「お嬢様、勘違いされては困ります。私はグラハム様よりお嬢様をしっかりお守りするように命じられております。もしお嬢様が私の言うことを聞いていただけないのであれば、心苦しいですが、部屋で謹慎していただくことになりますぞ」
力に物を言わせた軟禁宣言。告げ口の手紙を出す隙すら与えるつもりはないのだろう。しかしそれも予想通り。
「ああ、そうでした、もう一つ書類を渡すのを忘れていました。写しですが、これもあなたに差し上げましょう」
さらにいくつかの書類を見せると、セルベク代官の顔色が一気に悪くなった。
そこに書かれていたのは、代官の数々の不正行為の証拠だ。
公金の横領に税の着服。新たに畑が作られても報告せず、逆に災害で畑がつぶれ、税収が減ったと報告している。
「こ、これはその、りょ、領地を運営するためには仕方なく。誰もがやっていることだ」
「領民を思ってのことですか、それは素晴らしいですね。しかし武器を横流ししたのはまずかったでしょう。しかもそれが盗賊に流れ使われたのは大失態です」
税の着服程度であれば、書類の間違いや他の者が横領していたと言い逃れをすることもできるが、武器の横流しはさすがに言い訳できない。
場合によっては反逆罪にも問われる重罪だ。
不正の証拠をつかまれ、代官の目に刃が宿る。一見すると無能そうに見えるが、この代官はなかなかに肝が据わっている。
それに、記録では前の代官は面白い死に方をしていた。意外に食わせ者のようだ。これは今夜にでも殺されるかもしれない。
「お嬢様、どうやら私の言った意味が分からなかったようですね。おい、お前たち。すぐにお嬢様を塔の最上階にお連れしろ。誰にも会わせず一歩も外に出すな」
代官の命に兵士たちが歩み寄るが、抵抗する気などさらさらない。
「分かりました、したいようにしてください。貴方がお父様にどんな言い訳をするのか楽しみです」
「どういうことだ!?」
「それは写しだと言ったでしょう? 私が手紙を送らなければ、原本が公開されるように手筈を整えてあります」
「なっ」
セルベクは目を見開いたが、どうでもいい。
「さぁ、兵士どの、私の部屋に案内してください。手間はかけさせませんよ。誰かと会いたいとも言いませんし。手紙の一通も出す気はありませんから」
「ちょ、ちょっと」
代官が私の腕をつかんだが振りほどく。
「女性の体に触れるとは、失礼にもほどがありますよ?」
自分でもたまに忘れるが、こう見えても貴婦人の一人なのだ。
「お、お待ちください、お嬢様。なにをお望みです」
「いえ、もういいですよ、お願いは次に赴任される新しい代官にしますから」
にっこりと笑って返事をすると、代官は今にも泣きそうな顔をした。
「いえ、私がやります。私にお命じください」
セルベク代官は早々に折れてくれた。
うなだれる代官を見て、内心一息つく。
とりあえず最初はうまく行ったが、これでようやく一歩目だ。あと何歩進めばいいのか、考えると少し憂鬱になる。だがすぐに気を入れ直した。まだまだ先は長いのだから。
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