第三十二話 ユルバ砦での戦い⑧
私は一冊の本を取り出し掲げて見せた。
「これは魔王が持っていた手記です。これは私の愛読書でもあります。もう何度も読み返しましたが、断言しましょう。彼は希有なる人物だ」
これは私の偽りない本心だった。敵であった魔王の思想に傾倒するなど、本来なら許されないことだ。しかし手記を読めば読むほど、彼が偉大な人物であったことがわかる。間違いなく魔王ゼルギスは歴史に残る傑物だ。
「魔王ゼルギスは群雄割拠する魔大陸を統一しました。そこまでなら歴史上にもいた覇王と同じですが、彼はそこから農業を改革しては人口を増やし、産業を生み出しては商業を発展させた」
魔王の才は軍事だけにとどまらす、農業や産業と幅広い分野で多くの功績を成した。しかも魔王はさらに魔術の奥義を極め、魔物を自在に生み出し、魔導船までつくりあげた。
その結果海を渡り、我らが大陸にまで侵攻してきた訳だが、それで彼の偉業が損なわれるわけではない。魔王ゼルギスは間違いなく歴史上二人といない人物だ。彼を超える人物は、もうこの先出ないかもしれない。それほどの男だったと私は考えている。
「この本は私に大きな閃きを与えてくれました。何度読んでも新しい発見がある」
読み始めた当初は言語を覚えるためだったが、今では魔王ゼルギスの思想を知り、考えを理解する為に読んでいる。いずれこの本を読み解き、本を出したいぐらいだ。
「私はこの大陸で、最初の魔王研究者と言えるでしょう」
偉大な人物を最初に見出した人間として、私は少し鼻が高い。
光栄なことだと言わんばかりの私に、バルバル将軍は複雑な顔をしていた。どうとっていいのかわからないのだろう。
「だっ、だったらなんだと言うのだ!」
バルバル将軍は何か不吉な予感がしたのか、この話を切り上げようとしていた。だがまだだ、私はまだ話したい。ここからが本番だ。のるかそるか。
「この本の中に、貴方のことも書いてあります。研究者として、そのことを伝えるべきかと思いまして」
私が言うと、将軍の残された瞳が見開かれる。
「貴方の名がわかったのも、この本に書かれていたからですよ。そうでなければ、さすがに魔族の名前はわからない」
私は軽く本を掲げた。
手記の中には、配下の将軍のことが書かれている項目もあった。配下の将軍の中に、凍結魔法を得意とするバルバルという名前があったのだ。
「なんだ! 一体魔王様はなんと書いていた!」
やはり気になるのか、将軍は問うてくる。
私は内心ほくそ笑みながら、口を開く。
「貴方を心配していましたよ。実力はあるが思慮に欠けると」
私が言うと、バルバル将軍は目を伏せて唸った。
「ただこうも書いていました。気高く、魔王軍の名を汚さぬ男、経験を積めばケルゲラ将軍やガレ将軍を超え、後の魔王軍を率いる器だとも。期待されていたようですね」
私がさらに続けると、バルバル将軍は驚いた顔をしていた。
「あと最後に、また皆で昔のように馬で遠駆けをしたいものだと書いてありました。無事に故郷に帰ってくるように願っていたようです。魔王ゼルギスは貴方達重臣を、大切に思っていたようですね」
私が締めくくると、バルバル将軍ははらはらと涙をこぼした。
「ああ、魔王様! 申し訳ありません。私は貴方様の名を汚しました。それなのに、そのように思っていてくださったとは! 何故魔王様が亡くなられたとき、そばにいなかったのか、このようなところに来るべきではなかった。魔王様と共にいるべきだった。そうすれば、魔王様を殺させることなどなかったのに、なぜ私はこのようなところに来てしまったのか!」
バルバル将軍の声には、悔恨の情が込められていた。
涙を流す敵将軍に、兵士たちが好機とみて前に進もうとするが、私は手で制して止める。
今はそういったことはしないほうがいい。
私は静かにバルバル将軍が泣き止むのを待ったが、それほど時間はかからなかった。彼は涙をぬぐい、顔を上げて私を見る。その表情にはもう怒りや後悔はなく。気高い決意だけがあった。
「よろしいですか? これが私の伝えたかった全てです。私としてはもう少し貴方とお話をしたかったのですが、残念ながら我らは敵同士、貴方を討つしかありません」
私は将軍を見た。たとえどれほど尊敬している相手でも、敵であれば討つしかない。そこは変わらない。
「では、魔王の後を継ぎし者よ、その首を頂戴します」
私は手を挙げ、すでに騎乗している兵に号令を出す。
兵たちはすでに準備できていると、突撃姿勢を見せる。全騎で突撃すれば、必ず討ち取れるはずだ。
「フッ、ハハハハハッツ」
百の騎兵を前にして、バルバル将軍は突如高笑いを上げた。
気がふれたかのような声だったが、彼の目は正気そのものだった。
「うぬぼれるな! 小娘! そして人間どもよ!」
笑った後、バルバル将軍は雷のごとく一喝し、私たちを睨みつける。
「余は魔王ゼルギスの後を継ぐ魔王バルバルぞ! 貴様らごとき猿に、くれてやる首などないわ!」
魔王バルバルの体からは膨大な魔力があふれ出し、青白い光が周囲を覆いつくす。
「貴様らなどにやらせはせん! 魔王は負けぬ、魔王が討たれてなるものか!」
青白い光が広がり、周囲の温度が急激に低下していく。
「いけません、退避です! 下がって!」
私は退避を命じた後、すぐに馬に乗り後ろに駆けだす。兵士たちも危険を察知し馬を返して魔王バルバルから離れる。
「急いで!」
「ロメリア様、お早く!」
「ロメ隊長。貴方が遅い!」
私を追い抜きレイとアルがせかす。くそっ、馬の扱いには自信があったが、二人の方が上手くなっている。
私は馬に鞭を入れ、全速で駆ける。
背後で蒼い光が強くなった瞬間、突風と冷気が吹き荒れ背後から白い靄が迫る。
「くそっ、最後の魔力だ! 炎よ、一瞬でいい、極限まで高まれ!」
「風よ、ロメリア様を守れ!」
アルとレイが後方に向けて魔法を放ち、炎と風が冷気を防ぐ。
一瞬だけ冷気が弱まり、直後背後で巨大な爆発が起きた。冷気を伴った衝撃波が全身を襲う。
私は必死に馬の首にしがみつきながら、振り落とされないように何とか耐えた。
衝撃が収まった後、私の体は全身に霜が付き、白く染まっていた。
「みんな、無事ですか!」
私はしがみついていた馬から体を起こす。体を動かすと、張り付いていた薄い氷が割れてこぼれていく。とりあえず自分は生きている。手足も動く。馬も大丈夫そうだ。
「ロメリア様、無事ですか?」
「ロメ隊長、生きてます?」
すぐ近くにいたアルとレイが訪ねる。
「ええなんとか、兵は無事ですか? 逃げ遅れた者は?」
「多分大丈夫です」
馬を返して後ろを見たレイが報告する。私も後ろを見ると、私の背後に兵はいなかった。どうやら私が最後尾だったようだ。
「しかしすごいな、たった一瞬でこんな魔力を練るなんて」
後ろを見たアルが見上げながらつぶやく。まったく同感だった。
私がいた背後には巨大な氷の山が出来ていた。
氷山は周囲を覆いつくし、砦の前に広がる畑は一瞬にして氷結地獄となっていた。
そしてその氷の中心で、魔王バルバルが自らの体も凍りつかせていた。
魔力が切れたからか、それとも気温差があったからか。巨大な氷山に亀裂が走る。亀裂は徐々に大きくなり氷山全体に広がっていっていく。
そして最後には音を立てて、粉々に崩れ去った。魔王バルバルの遺体とともに。
もはやどれが魔王の躯なのかもわからず、ゼルギスの後を継ぎし者は、戦場に消えた。
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