第七話 母との別離
領地に戻り、本当の実家と言える城館に帰ると、私は忙しく動き回った。
まずは服を用立てる必要があった。王都では間に合わせのドレスを着ていたが、ドレスは正直好きじゃない。動きやすい普段着が欲しかったが、私の望むものは普通に売っていないので、特注であつらえる必要があった。仕立て屋に赴きデザインを伝え、十着ほど作らせる。
さらに工房に行き、体に合う装備を見繕った。ほかにも人をやっていくつか人物調査を行い、お父様の部屋から勝手に拝借した資料を精査したり、地図を書き写したり、忙しい毎日を送った。
忙しさで言えば、お父様やお母様もそうだった。
特にお母様は毎日泣くことに忙しく、悲鳴や泣き声が聞こえてこない日はなかった。華やかな王都から、こんな田舎に戻ったことが納得できないらしい。
慰めるメイドたちが大変そうだが、それも仕事とあきらめてもらおう。
お父様も竜涎香で得た大金を、どう使うかで毎日迷っているみたいだった。
財務記録を見て思うに、お父様は目の前の金に弱い。もう少し長期的な考えを持てばいいと思うけれど、女の私が口出ししても仕方ないので黙っておく。
しかし家族の会話は相変わらずなかった。お母様は部屋にこもったきり出てこないし、お父様とは食事時に会うのだが、決まりきった挨拶だけで、他に話題がない。
どう接していいのかわからないまま、私の準備が終わった。仕立て屋に注文していた服はそろそろ出来上がるし、予定していた物資もそろった。あとはお父様と話をつけるだけだ。
「お父様、少しお話があります」
午後のお茶を楽しんでいるお父様のもとに赴き、話を切り出す。
「長旅の疲れをいやすために、辺境のひなびた場所で、少しゆっくりしようと思っているのです」
もちろん嘘だが。
「……どこに行きたいのだね?」
「カシューです」
カシュー地方は、王国の東の果てにある辺境だ。北は険しい山に覆われ、東は敵国。南は荒野と何もないところだ。
「わかった、好きにしなさい」
予想通りお父様は許可を出した。何かと手を焼かせる娘が自分から辺境に引っ込んでくれるのであれば、願ったりだろう。
「はい、好きにさせてもらいます。ただお父様、私あそこで不自由したくありませんの。お父様に迷惑はかけません。その代わり、あそこでは自由にさせてもらいたいのです」
ちょっと我儘娘っぽくねだってみる。
「……わかったいいだろう」
言質はもらった。後で正式な書類にしてもらおう。
「いつ立つのかね?」
「できるだけ早く。旅の途中護衛をつけてもらえますか?」
カシューは辺境で魔王軍の手はまだ伸びていない。しかし魔王軍が放った魔物が野生化している。盗賊が出ることも考えられるので護衛は必須だ。それに現地を視察したい。お金は節約したいから、護衛をねだっておこう。
「わかった、手配しておこう」
拍子抜けするほどお父様は私の言うとおりにしてくれる。お父様なりに気を使ってくれているのだろうか?
「お母様には、一応お別れをしておこうかと思います」
下手をするともう二人には会えないかもしれない。三年前はできなかったが、今回はちゃんとしておくべきだろう。
それがいいだろうとお父様も同意し、私はその足でお母様の部屋に向かった。
お母様の寝室に向かうと、外にまで泣き声が響いていた。私はため息一つして覚悟を決める。
「お母様、ロメリアです。入りますよ」
ノックをした後、部屋に入る。
広い寝室は散らかり放題だった。洋服に靴。宝石類に下着やハンカチなどが散乱していた。
「ああ、ロメリア。どうしましょう。もうこの世の終わりだわ」
私を見るなり、開口一番にそんなことを言い出した。お母様はこの世の悲劇と災厄を見つける天才だ。
やれメイドが冷たいだの、友人が私を蔑ろにしているだの、商人が粗悪品しかよこさないだの、ペットも自分になつかないだの、森羅万象が自分をのけ者にしようとしているとわかるらしい。
そして嘆きながら、決して私の顔を見ようとしない。
普段ならそれでもいいが、これが最後になるかもしれないのだ。
「お母様!」
延々と続く愚痴を聞くにも飽きて、わたしは大きな声を出してパンと手をたたく。
声と音に驚き、お母様が目を見開いて私を見た。
私は両手をお母様の顔に添え、じっくりと覗き込むように見つめる。
お母様の顔を正面から見たのは久しぶりだ。お母様も私の顔をまっすぐ見たのは久しぶりだっただろう。
じっくりと顔を見た後、私は両手を顔から下げお母様の背中に回し、抱擁した。
突然の抱擁に、お母様は驚き緊張に体を固くしていた。
「明日カシューへと旅立ちます。これでお別れです」
別れのあいさつに、私はなけなしの愛情を全て振り絞った。
さようなら、お母様。自分以外を愛せないかわいそうな人。
しかし私もお母様を愛せなかった。
愛してはいないけれど、元気ではいてほしい。
「さようなら、お達者で」
抱擁を解き、お別れを告げる。
部屋から出ていくと、部屋からまた泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
泣き声に振り返ることなく、私はカシューへと旅立った。