第二十六話 ユルバ砦での戦い②
鈍色の鎧に身を固めたカシュー守備隊と、黒い鎧の魔王軍が互いに前進して距離を詰める。
「弓兵! 三射!」
ハーディーがグレイブズ率いる弓兵部隊に射撃を命じる。ほぼ同時刻に魔王軍からの応射があり互いの軍勢に矢が降り注ぐ。
降ってくる矢を、兵士たちが盾を掲げて防ぐ。何人かが倒れたが、それでも兵士たちは前に進む。
こちらの弓兵は三十。魔王軍は五十ほどで向こうの方が数は多い。しかし魔王軍の数は三百ほどと少ないため、相対的には互角だ。
しかし元々の数の少ない弓兵では、大きな打撃は与えられない。戦争の要は歩兵だ。矢の降る中、歩兵が一定の速度で前進する。
敵を目の前にしても、兵たちは走り出したりはしない。本当は今すぐ叫びながら疾走し、敵に対して突撃したいだろうが、ぎりぎりまで我慢している。
勢いをつけて突撃すれば、その分威力は増す。しかし長続きはしない。よけいに走った分、無駄に力を浪費してしまうからだ。
理想的な突撃を行うには、ぎりぎりまで敵を引き付けなければいけない。
魔王軍も同じように、一定の速度で前進している。
互いに我慢し続け前進する様は、まるで引き絞られた弓だった。
突撃はまだか! あと少し! もう我慢できない! まだだ、もっと引き付けて! いける! 行こう! 早く!
敵を前にして、突撃を待ちわびる兵の声が聞こえてきそうだった。緊張に流れ出る汗から、凝縮された殺意と興奮が、匂いとなって本陣にまで伝わってくる。
もう我慢できない!
兵たちの限界を感じ取った時、陣形の中央、最前線に立つオットーが獣のような声を上げて、特大の戦槌を振り上げた。
オットーの叫び声を皮切りに、兵たちも一斉に声を上げて矢のように走り出す。ほぼ同時に魔王軍からも鬨の声が上がり、槍を突き出し疾走する。
両軍が激突し、激しくぶつかり合う。
剣戟が火花を散らし、鮮血が戦場を舞う。悲鳴と雄叫びが絡み合う。
多くの兵が傷つき、倒れているがこちらも負けてはいない。殺される以上に殺している。戦況はカシュー守備隊がやや有利。数の利がある以上に、魔王軍の圧力が想定していたほどではない。アンリ王子に将軍が討たれ、敗残兵として士気が低いのかもしれない。
「左右両翼はこちらが押しているな、だが中央はさすがに頑強だ」
戦況を見ていたヴェッリ先生が状況を分析する。確かに両翼は押しているが、中央は硬い。特に赤い鎧を着た部隊が、オットーとカイルを抑え込んでいる。どうやらあの赤い鎧は精鋭のようだ。
歩兵同士の戦いは拮抗している。勝敗を決定づけるには強力な一撃が必要だ。
「ロメ隊長、俺たちの出番ですね」
アルが前に進み出る。
まず歩兵をぶつけて、背後を騎兵で狙う。蟻人戦でもやった戦い方だ。
だがやすやすと後方はつけない。魔王軍の本陣近くには、騎兵五十と予備兵が同じく五十ほど残している。騎兵突撃を仕掛けても、彼らが防ぐだろう。
「ロメリア、騎兵で後方を狙い、相手の騎兵と予備兵を引きずり出そう。そのあとでこちらの予備兵を両脇から迂回させて包囲しよう」
ヴェッリ先生が作戦を提案してくれる。十分勝算のある作戦だ。だが私はその作戦をすぐにとらなかった。
「いえ、まだ駄目です」
私はすぐに騎兵を繰り出さなかった。引っかかることがあった。
何かがおかしい。敵の動きが妙だった。圧力が弱いというより、積極性に欠けている。相手の方が数は少ないのだ。主導権を握られたくないはずだが、先手を打たないのはなぜだ? 何か策があるのか? だが互いに予想していない遭遇戦。事前の準備や策があるわけがない。
本陣の中央で指揮する赤い鎧を着た指揮官を見る。
立派な鎧に負けぬ、堂々とした立ち居振る舞いだった。歴戦の武将に間違いない。経験豊富な彼らにしてみれば、この程度の数相手には、本気になるほどではないということなのか?
私が魔王軍の指揮官を見つめ続けていると、魔王軍の指揮官が不意に、一瞬だけ後ろを振り返った。
それはどうということのない仕草だった。後ろを見たのはほんの一瞬だけだったし、すぐに前を向き、部下に指示を出しているようだった。
だが後ろを振り返った姿を見て、私の中で何かがつながった。
その瞬間、私の視界から色が消えうせ、音すら遠くなり、戦場の騒音すら静まり返る。
蟻人戦でも起きた、あの不思議な感覚だ。
戦場を俯瞰するようにとらえ、味方の兵だけでなく、敵兵の小さな動きや意識や視線の動きすら把握できる。
まるで戦場を手の中に収めたような感覚だが、以前とは少し違っていた。
暗いな。
視界からは色が消えているが、以前は暗いとは思わず、戦場の全てがはっきりと見えた。しかし今回は以前ほど明瞭に見えない。暗く、はっきり見えない部分が多かった。
味方の方はそうでもないが、魔王軍に関してはやや視界がぼやけている。
今回と前回、何が違うのかよくわからないが、またこの感覚を得ることが出来た。なら利用しない手はない。それにこの感覚のおかげで、分かったことが一つある。それを確かめに行くべきだ。
「おい、ロメリア?」
ヴェッリ先生が私に声をかける。私は先生を見ると、なぜか恩師は私の顔を見てぎょっとした。だが今はいい。アルとレイを見て指示を出す。
「アル、レイ。騎兵突撃を仕掛けます。私もついていきますので準備してください」
危険だがこの突撃には私がついていく必要がある。
「ロメ隊長もですか?」
アルが驚いていたが、無視する。今は口論する時間が惜しい。
「ミーチャ、セイ、ブライ、シュロー。貴方たちも騎兵に参加して。それぞれ十騎を率いて随行してください」
私は本陣の護衛として手元においていた、ロメ隊の四人にも指示を出す。これからやる事には、彼らの力が必要だ。
最後にハーディーとヴェッリ先生を見る。
「ハーディー、先生。ここは頼みます。魔王軍の騎兵と予備兵を引きずり出します。機を見てこちらも予備兵を投入してください」
先ほどヴェッリ先生が提案した包囲作戦は良い作戦だ。ただし騎兵と予備兵を完全に引き離さなければいけないのだが、そこは私がやればいい。
「ああ、分かった。何をするかはわからないが、任せたぞ」
ヴェッリ先生は驚きながらも、うなずいてくれる。
「誰か、馬を!」
矢継ぎ早に命令を出し、馬を引いてこさせる。兜をかぶり装備を確認する。
「ロメ隊長、本当に来るんですか?」
後ろに控えているアルが、再度問いただす。
「ええ、私が行かないとだめでしょうから」
私は答えながら、連れてこられた馬の馬具を確認する。
「ですが、後方の騎兵や予備隊を引きずり出すのに、指揮官が前に出る必要はありません」
レイが正論を言う。確かに、その程度のことなら私が騎馬部隊を率いるまでもない。
「ええ、ですから、今から攻める場所は、敵の後方ではありませんよ。あそこを狙います」
私は愛馬の背にまたがると、まっすぐ右手を伸ばし、戦場のさらに奥を指した。そこは敵の指揮官がいる場所よりもさらに後方の、輜重隊と思しき馬車の群れと、天幕が張られている後方の本陣だった。
先ほど魔王軍の指揮官が振り返り、一瞬だけ見た場所だ。
「あそこに何があるんですか?」
レイが分からず問い返した。
「この戦いの本当の敵です」
私は自信ありげに笑って見せた。
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