第六話 セッラ商会との取引②
私がとりだしたものは、遠目に見れば石。あるいは巨大な卵の化石のようにも見えるものだった。
ただの石にしか見えないものだが、見た瞬間、ミネボーの顔色が変わったのを私は見逃さなかった。
「ほぉ、これはこれは」
ミネボーは灰色の塊を受け取ると、しげしげと眺めてうなずいた。
「鉱石ですね。いや、これは珍しいものです。変わった鉱石を集めている好事家がいますので、金貨二枚で引き取りましょう」
「まぁ、これが金貨二枚ですか」
婆やは驚いていたが、私はため息をついてミネボーから塊を取り上げた。
「どうやら、貴方にこれを扱うには早すぎたようですね」
こう見えても私は目利きができる。本職の商人と比べればそれほどではないが、物の真贋や、値段や品物の知識はある程度あるつもりだ。
旅のさなか、商人たちに教えてもらったものだ。
商人たちとはよく一緒に行動した。彼らは商隊を組み、都市から都市を移動する。商人は護衛を必要としていたし、私たちは旅のついでに路銀を稼げて都合がよかった。
野営中に彼らとはよく話をした。話好きの人間が多く、自分の商品がいかに優れた上物であるかをよく自慢していた。ほかにもこれまで扱った大きな商いの話など、夜の暇つぶしには事欠かなかった。
おかげで目利きの目が養われ、相場や粗悪品をつかまされないコツ、交渉の仕方など、見て覚えることが出来た。
「これが鉱石とは、セッラ商会も落ちたものです」
「な、なんですと」
ミネボーが露骨に動揺する。肝が足りない。かつて出会った商人たちは、自らの店が持てず、都市と都市の間を行き来するしかなかったが、少なくともミネボーよりは商才があった。
「ロメお嬢様、それは何なのですか?」
「これは竜涎香です。竜の喉にできる結石なのですけれど。香料として珍重されます、小さなものでも同量の金と取引されていますよ」
婆やは金と同じ価値があると聞き、私の手の中にある塊を驚きの目で見る。
片手で収まらぬほどの大きさの塊、純金と交換すれば、持つこともできない重さになるだろう。
私がものの正体を言い当てると、ミネボーの顔色はさらに悪くなり、青を通り越して黒くなる。すごい顔色だ。
「魔物とされる竜からとれるのですが、めったにとれないうえ、この大陸には大型の竜がおらず、取れても小石ほどのものしか手に入りません。これほど大きなものは、この大陸に二つとないでしょう」
何故そんなものを私が持っているかと言えば、実はこれは魔王を倒した時の戦利品だ。あの時はとにかく机にあるものを袋に入れ、その中に交じっていたのだ。あとで調べて死ぬほど驚いた。竜が多くいるとされる、魔大陸ならではの品物だろう。
私だけで宝物を独り占めしたことになるが、魔王を倒した栄誉は分け合わなかったのだから、これで等分としてもらおう。
しかし改めてみると大きい。しかもほんの少しだが削ったあとがあるので、魔王もつかれた時にこの香りで癒されていたのかもしれない。そう考えると憎き魔王にも人生があり、くつろぎの時間があったということで、少し考えさせられる。
「い、いったいいくらぐらいするのですか?」
婆やが尋ねるが、笑うしかない。
「値段などつけられませんよ、私ならこれを王家に献上します。大陸に二つとない品です。これを所蔵することで、王家の格が上がること間違いありません」
王家は宝物を収蔵し、各国の代表を招いては国宝を見せあう。この竜涎香ならさぞ自慢の種となるだろう。
希少な品を多くの品を所蔵するということは、それだけ財力があり、文化と歴史があり、信用があるという証明だからだ。
「これだけの品を献上すれば、王家はどんな頼み事でも聞いてくれることでしょう」
そこで何を要求するかは、商人としての腕の見せ所だ。高価な稀少品を送り、より多くの利益を引き出す。これに胸躍らない商人がいたら、そいつは商人ではないだろう。
翻って、私は白い目でミネボーを見た。カイロ婆やもあきれた顔をしている。値段がつけられないほどの高価な品を、ただの鉱石と言い放ち、金貨二枚で買おうとした男だ。
「あの、その、お嬢さま」
何か言おうとしたが、聞く気はなかった。
「ミネボーさん。貴方とはもうお話ししたくありません。今日はもうお引き取りを」
私は彼を切って捨てた。
商売の鉄則は安く買い高く売ること、そこは否定しないが、彼にとって商いはもはや詐欺に近い。
これまでそれでうまくやってこられたのは、運がよかったことと、何よりセッラ商会の名があったからだろう。だが決して彼に人を騙す才覚があったわけではない。
人を騙そうとする者は、往々にして自分が人より優れていると思い込み、騙すものを侮り低く見るようになる。しかし人を侮る人間に、大きな成功はつかめない。
旅の最中に出会った商人にも多くいた手合いだ。はじめの頃はそういった連中に騙されたが、何度か会ううちにすぐに見分けがつくようになった。ミネボーを見たときにも一目でわかった。
「あの、その、これは」
「話したくないと言ったでしょう? お帰りください」
私が切り捨てると、ミネボーは逃げるように帰っていった。
「よかったのですか?」
「構いません、それより、お父様が帰ってきたらすぐにこのことを伝えてください。きっと明日にでもやってくるでしょう」
軽く考えていたが、さすがはセッラ商会。私の予想を超えて、その日の晩にミネボーの父親、セッラ商会の会長本人がやってきた。
宴の帰りで、疲れているお父様を無理やり引っ張り出し、応接間で会うことにした。
「それでセッラさん。今夜はどういったご用件で?」
長椅子に座るお父様は行きたくもない宴に連日参加させられ、疲れが隠せずにややぶっきらぼうな声で応対した。
「それが、今日、うちの息子がお嬢様に大変失礼なことをいたしまして」
「失礼なこと、いったいなんです? ロメリア。何かあったのかね?」
事情を知らないお父様は私を見た。
「問題はこの竜涎香です」
私は魔王の所持品であった塊を取り出し、事の次第をすべて話した。
話を聞いている最中、セッラ氏は苦渋の表情を浮かべていた。これは勘当モノの失態だろう。もっとも私も似たようなことをお父様にしたので、親不孝を笑うことはできない。
お父様には、埋め合わせをしておこう。
「そういえばお父様には、旅のお土産を渡すのを忘れていましたね。これをお納めください」
竜涎香をお父様に差し出す。
もはやこれは金以上の価値を持つ。一度買い叩こうとした手前、セッラ商会としては半端な値段をつけるわけにはいかない。損失覚悟で高値を提示し、実利を捨ててでも名をとるしかないのだ。
そんな品をお土産としたことに、お父様は信じられず、小さな目を何度も開け閉めしていた。珍しく混乱するお父様から、私は視線をセッラ氏に移した。
「ということで、これはお父様の持ち物となりました、あとはお父様とお話しください。では、私はこれで」
私は一礼して応接間を辞した。
本当はあの竜涎香は自分のものにしてしまいたかったが、値段が値段だ。あまりに高価すぎる。私一人が独占すれば、周りから無用なやっかみを買う結果となるだろう。それよりもここはお父様の機嫌を取っておくべきだろう。正直お父様にはだいぶ迷惑をかけてしまった。
あれ一つで大金が手に入るし、何より久しぶりに他人より優位に立てたので、ここ数日分の憂さ晴らしができるだろう。
しばらくの商談のあと、セッラ氏はお父様との話し合いを終え、最後に私と再度面会を求めてきた。会って見るとまず謝罪された。
「このたびは、うちの愚息が誠に申し訳ないことをいたしました。聞けば竜涎香だけではなく、商品の買取に関してもみっともない真似をしたとか、ぜひもう一度見積もりを出させていただきたい」
下取りの値段が不当であったことも言及し、正そうとしてきた。
だが私はこの話を断った。
「それはできません。一度受け取った以上、出したり引っ込めたりするわけにはいきません」
あれが足元を見ていることはわかっていたが、納得してサインしたのだ。それを戻すなどできない。
「しかし、私どもといたしましても、あのような商いをそのままにするわけにはいきません」
セッラ氏としても、息子がやらかした不始末をそのままに出来ないのだろう。何より、貴族相手の貸し借りは高くつくことが多い。なんとしてでも今夜のうちに終わらせてしまいたいのだろう。
「わかりました、ではあるものを用意していただけませんか?」
私はいくつかの品物を口にした。それは高価である以上に希少で、なかなか手に入らないものだった。しかしセッラ商会ならそろえられる。
「いつでも構いませんので、送っていただけますか?」
取引として考えれば、値切られた分と同等程度で、商会にそれほど損はないはずだ。問題は手配がむずかしいことだろう。
「わかりました、明日お届けに上がります」
さすが王国一の大店。普通の商会なら扱うことも難しい品物を、明日そろえると言ってみせた。
実際、本当に翌日品物が届いた。商人としてセッラ氏は間違いなく一流だろう。
なお、あとで知ったことだが、セッラ氏は私の想像する倍の金額を提示したそうだ。お父様は大いに喜び、傾きかけていた領地経営を立て直した。またあの竜涎香はアンリ王子と聖女エリザベートの婚約祝いの品として献上され、二つとない品を見て二人は喜んでいたと言う。
旅の最中、私が持っているものを見て、小汚い石だと笑っていた二人が、今は有難がり飾って眺めているところを見ると少し笑える。
そしてようやく王都での宴が終わると、私たちは逃げるように王都から領地へと戻っていった。