第十五話 婚約者候補
蟻人との戦いを終えて七日後、私たちはミレトの街へと向かっていた。
本来は十日ほど居座る予定だったが、早々に引き上げる結果となってしまった。
その原因は、私の隣で馬に乗るハーディーだった。
この髭が立派な御仁は、指揮官としても立派な人間だった。
蟻人の巣は予想よりも深く、迷宮のように入り組み探索は困難を極めた。しかし想定外と見るや、ハーディーは新しい探索法を検討し、次々に試していった。
それらの策はいくつか功を奏し、うまく行ったものを組み合わせて、より効果的な探索法を考え出した。
結果、五日目にして蟻の巣の最奥に到達し、卵を産み続けていた女王蟻の討伐に成功した。
さらにもう一日かけて、巣を徹底的に調べ上げ、全ての卵やさなぎをつぶし、駆除を完了させた。
その手並みは見事と言ってよかったし、ヴェッリ先生やレイも舌を巻くほどだった。
おかげで私の予定は狂ってしまったのだが、ハーディーの私に対する態度も、予想と違っていた。
のらりくらりと引き延ばしをする私を責めるのならわかるが、むしろそれに付き合ってくれている様子だった。
兵の休養のために帰還を一日引き延ばすことも了承してくれたし、ミレトに戻る行軍も比較的遅く、せかしたりはしなかった。
てっきり強硬に私の兵権を取り上げ、場合によっては拘束監禁されることも警戒していたが、今のところそんな動きは見せない。むしろ私の言いなりになっていると言ってもいい。
お父様の命令を考えれば、一刻も早く私を連れ戻しそうなものだが、無理強いは決してしない。どうにも考えが読めず不気味だ。
彼が惰弱で、行動力がないのならわかるが。手並みを見てもわかる通り、ハーディーは優秀だ。それに私の予想では、彼らがやって来るのは蟻人との戦闘が終わった後だと考えていた。しかしハーディーはこちらの遅延工作にどうやってか気づき、強行軍してきた。決断力がないわけではないだろう。
それに加えて彼の態度、私に対しては遠慮というか身構えている。緊張しているというか、接し方がわからないといった様子だ。まさか女慣れしていないというわけでもないだろうし、よくわからない。
私を嫌っているのならさもありなんだが、一日に何度か、必ず私に話しかけてくる。そして緊張して失敗したような顔をして去っていくのだから、何をしたいのかよくわからない。
それは今もそうだ。手綱を操りながら首をわずかに左に向けると、立派な鎧兜の下で、これまた立派なおひげが揺れていた。今や私の心を占めるハーディーその人だ。
「何か? ロメリア様?」
私の視線に気づき問い返してくるが、ずっとこちらを見ていたのはそっちだと言いたい。
なんというか、この男、ずっと私を見ているのだ。
しかし何か言ってくるでもない。顔もひげもいい男だが、その視線だけが嫌だった。
私はため息交じりに言葉を返す。
「ハーディー様。なぜあなたはここに? 騎士団の指揮をとらなくてよいのですか?」
彼が指揮するべき兵士たちは最後尾に位置している。自身の部下は副官に任せ、自分は十名ほどの手勢と共に私に随行している。
「副官のデミルは優秀ですから。それにロメリア様に逃げられると困りますので」
「逃げたりなどしませんよ」
口ではそう言ったが、内心ではその手があったかと、思いつかなかったことに不覚を覚える。
「それで? そこまでして私を見張って、この後はどうするつもりなのです? 捕らえてお父様の前に引きずり出しますか?」
ハーディーが強硬策に出ることを想定して、私の周囲はロメ隊で固めてある。人数もこちらが多い。十人ぐらいなら訳なく制圧できるだろう。
「あー、それなのですがね………」
ハーディーは困った顔をして視線をそらした。
「実は私、ロメリアお嬢様を守るように命令はされたのですが、伯爵閣下のもとに連れて戻れとは言われていないのですよ」
なるほど、顔も見たくないほど怒っているということか。
「ではミレトにて監禁ですか?」
「ミレトに居たいのでしたらそれでもかまいません。建設中のアイリーン港でも構いませんよ」
「アイリーン港?」
聞いたことのない地名だ。
「ああ、アイリーン港は、ロメリア様が建設しているあの港ですよ。グラハム様がアンリ王子の戦勝を記念して名付けられたのです」
確かアンリ王子が生まれる前に、女児だった場合に用意されていた名前がアイリーンのはずだ。これから発展する港を、王子を称える名前にしたわけだ。お父様らしいお追従だ。
「気の早いことです。まだ建設中だというのに」
ガンゼ親方が連日突貫工事で作業を進めてくれており、完成予定日は前倒しになりそうだが、さすがに完成はまだまだ先の話だ。
「それだけ注目されているのですよ、すでに船も来ていると聞いていますよ」
「セリュレさんが待っていられなかったようです」
建設中のアイリーン港だが、すでに部分的に稼働している。
ヤルマーク商会のセリュレ氏が港も完成していないのに船をよこし、沖に船を止めて小舟で荷物を輸送しているのだ。
「あの方はなかなかにやり手ですからね」
「まったくです」
効率が悪くそれほど大量に輸送できていないが、実際に商品が流通したことで港の存在が王国に知れ渡り、あちこちの商会から港に商館を持ちたいとの打診が来ている。
すでに港の周りは、建設される商館の予定地でいっぱいだ。
「グラハム様もお喜びでしたよ。これでカシューを含め伯爵領は大いに発展することでしょう」
これから多くの人と物が伯爵領を通過するだろう。その利益は計り知れない。余り気味だった磁器やブランデーも安く売りに出すことが出来るはずだ。お父様は笑いが止まらないだろう。
となると、ハーディーを派遣しつつも自由にさせるのは、金の成る木を生み出したことに対する功罪が入り混じっての判断だろうか? あやふやな命令が、ハーディーの中途半端な行動に現れているのか?
「話はそれましたが、もしアイリーンがおいやでしたら、私の故郷でも構いませんよ。まぁ、何もないところですが」
ハーディーの言いようは、故郷に連れて行って監禁するといった様子ではなかった。ならばなぜ私を故郷に連れて行こうとするのか。
「あなたの故郷に何故誘うのです?」
答えが出ずに問うと、ハーディーは少し微妙な顔をした。
「こう言ってしまうと何なのですが、私はあなたの婚約者候補でもあるのですよ」
ハーディーの発言は、周りに不穏な空気をもたらした。
特にロメ隊の何人かからは殺気が漏れている。誰とは言わないがレイのいるあたりから。
「ええっと、それはお父様に直々に言われたのですか?」
「それとなくですが」
その言葉に色々と納得した。
「なるほど、それは貧乏くじを引きましたね」
私がハーディーに言ってやると、どう返事をしていいのかわからず顔をしかめた。
お父様からしてみれば、私は家のお荷物、腫物でしかないのだろう。
さっさと嫁に出し、縁を切ってしまいたいぐらいだろうが、王子との婚約破棄は国中に知れ渡っている。こんな面倒な女を、嫁に欲しいという家などないだろう。いまの私に婚姻政策の価値はない。
そこで恩賞代わりに、家臣に娘をやるつもりなのだ。
主家と婚姻を結べるのだから、ハーディーのドストラ家としては申し分ない話だろう。だがハーディー自身のことを考えれば、これはいい話とは言えない。
何せこれは一生分の恩賞となる。これからお父様にどんなことを言われても断れず、私にも頭が上がらなくなる。内にも外にも逆らえず、出世はできるが神経をすり減らす過酷な人生。うらやましい話だ。
「それで、貴方は私と結婚するつもりなのですか?」
正直、私の人生に結婚や婚約という言葉がもう一度ちらつくとは思っていなかった。
「それは………」
ハーディーは言いよどんだ。まだ腹が座っていないらしい。
私は答えない騎士から、視線を外して前を見る。
予想外の展開だが、これはよい話だ。
もちろん婚約のことではない。
ハーディーは腹が座っていない様子だ。出来れば断りたいのだろう。
しかし主人が娘をくれてやるというのだ、断れば未来はない。主人の顔をつぶすのだから、ハーディーだけの問題ではなく、彼の一族が将来にわたって貧乏くじを引くことになる。
家のことを考えれば否でも私をめとるしかないというのに、そんなに私が嫌なのか、乗り気ではない様子だ。
ならば私が破談にしてやろう。
ハーディーが断れば角が立つが、強硬に反対すれば破談にはできる。
私は一度振り返りハーディーを見た。
彼と彼の持つ騎士団は欲しい。
婚約とその破棄をちらつかせて、見返りに戦力として借りうける。
この政略結婚は利用できそうだった。
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