第十一話 ハーディーの驚愕
ライオネル王国グラハム伯爵領ドストラ男爵家のハーディーは、預けられた騎士団の騎兵百を引き連れて、一路ガエラ連山を目指し北上していた。
馬に揺られながら、自慢のひげを撫でつける。
髭をいじるのは、悩みがある時に出る癖だった。自分でもわかっているし、悩んでいることも自覚している。しかし綺麗に整えた髭を撫でつけても、一向に気は晴れず、悩みが解消するはずもなかった。
気の重い任務だった。しかし直属の上司であるグラハム伯爵から直々に命じられたとあっては断ることもできない。
「お嬢様は無事でしょうかね?」
隣で馬を操る副官のデミルが悩みの種を言い当てる。
「グラハム伯爵の一人娘だ。もし無事でなければ、我々の首が飛ぶな」
軽口でも死をちらつかせるデミルに釘を刺しておく。この男は仕事はできるが、口が軽いのが玉に瑕だ。
伯爵から直々に仰せつかった任務は、一人娘であるロメリア伯爵令嬢の身柄を確保することだった。
何を思ったのか、ロメリアお嬢様はカシュー地方で兵を起こし、魔物討伐に乗り出した。
地方故目が届かず、気が付けば砦を乗っ取り商人と癒着、金鉱山を開発し、新たに港まで作り出してしまった。
父君であらせられるグラハム伯爵は、百人の騎兵をつけてハーディーにロメリア伯爵令嬢を確保するように命じられた。
「まったく、どうしてじっとしていられないんですかね? あそこのお嬢様は。そういう呪いでもうけてるんですかね?」
「やめろ、馬鹿者」
伯爵令嬢に対して、その口の利き方はないだろうと制しておく。そんなことだから腕はいいが私の副官止まりなのだと心の中で付け加える。
しかしデミルの言いようももっともだった。
ロメリア伯爵令嬢と言えば、三年前魔王討伐に旅立ったアンリ王子について行き、共に魔王を倒した仲間の一人だ。
だが旅の最中に王子の不興を買ったらしく、帰国後に婚約を破棄され、魔王を倒した列に入れてもらえず、伯爵家の家名を大いに落とした人物である。
片田舎でひっそりしてくれていればいいものを、まさか軍を率い魔物退治に乗り出すとは思わなかった。
「民草のために魔物を討伐する。その理想自体は素晴らしいんですけどね、付き合わされる兵たちが哀れですね」
デミルは軽口を止めないが、これは否定できなかった。
戦場を知らない貴族が、何を思ったのか、時折慈悲の心が芽生えて民草を救おうとか言いだす。
その理想自体は否定しないが、たいてい碌なことにならない。
民草を助けるためなら平気で兵士を使いつぶし、自らの理想のためにはどれほどの犠牲も厭わない。その兵士たちも守るべき民草の一員なのだというのに。
結局は自分の理想に酔っているだけなのだが、付き合わされる方としてはいい迷惑だった。
おそらくロメリア伯爵令嬢もその手合いだろう。大惨事になる前に兵から引きはがさなければいけない。
そのあとのことを考えると、また頭が痛い話だが、今はまず目の前の問題だ。
ロメリア伯爵令嬢は現在ガエラ連山の蟻人討伐に向かっている。戦いが始まる前に身柄を抑えなければならない。
手元には四百の兵士がいるらしい。まさか王国の兵士同士が争うことになるとは思わないが、油断はできない。慎重に事を運ぶべきだろう。
「急ぐぞ、もう少し行軍の速度を速めさせろ、昼前には到着したい」
「そんなに急がなくても、向こうは山の麓についたばかりでしょう? 数日は時間があるはずですよ」
デミルが楽観する。報告を聞けば確かにその通りだ。行軍の速度を考えれば今日ぐらいに到着しているはずで、さすがにその日に戦闘行動を開始しないだろう。となると最低でも一日は余裕がある。
「嫌な予感がする。何をしでかすかわからんご婦人だ」
直感的に不吉な予感を覚えたため、強行軍でやってきたがそれでも嫌な気配はぬぐえない。
「安心するのは手元に置いてからだ」
もっとも、それはそれで余計な面倒を背負い込むことになるだろうが。
「伝令!」
デミルに指示を出させようとすると、斥候に出した兵士が、馬を走らせ戻ってくる。
「ハーディー隊長! カシュー守備隊、すでに蟻人の群れと交戦中です!」
偵察の報告を聞き、血が凍る思いだった。
早い、早すぎる。もう一日二日は猶予があると考えていたが、こちらの動きを読んでいたのか、すでに戦闘を開始してしまっている。
「まずいですね」
さっきまで軽口をたたいていた副官が、顔を引きつらせながらつぶやく。
蟻人は弱いが、その数や組織的な攻撃は侮れない。これまでガエラ連山の蟻人が放置されていたのも、ハメイル王国に対する配慮だけではない。単純に駆除するのが困難だった理由も大きいのだ。
「急ぐぞ!」
馬を駆り急行する。最悪でも伯爵令嬢の身柄だけは無事に確保しなければいけない。
鞭を打ち全速で駆け抜け、ガエラ連山にたどり着く。
麓を一望する丘の上に登り、戦場を見渡す。伝令の言葉通り、戦端が既に開かれていた。
「隊長、あれはまずいですよ」
副官の言葉に私も唸る。眼下には蟻人と兵士が入り混じった混戦となっていた。
蟻人は単体としては弱いので、戦うときには戦線の維持が重要だ。数が多くても防衛線さえ構築できていれば有利に戦える。
しかし敵味方入り混じった混戦になってしまえば、数の差がそのまま出てしまう。
「今すぐ救助に向かうぞ」
こうなっては誰がロメリア伯爵令嬢かもわからないが、とにかく救出しなければいけない。
戦列を整え、突撃を指示しようとすると、こういう時に役に立つ副官がよそ見をしている。
「隊長、あれを!」
デミルが戦場を指さし、すぐに首を返してみると、驚くべきことが起きた。
戦場は敵味方入り混じり、まるで茶に牛乳を混ぜたような有様だったのに、突如牛乳が分離したかのようにカシュー守備隊が集結し、戦線を再構築。蟻人の群れを押し返した。
「なんと」
「すげぇ、あんなことできるんだ」
デミル以下、他の兵たちも見たものが信じられなかった。あそこまで混戦に陥った戦場を、再構築できるものなのか?
「隊長。あの旗の下、あそこにいるのはロメリア伯爵令嬢では?」
いわれて見ると、鈴蘭の旗の下、女性が剣を振るい指揮を執っている。
ロメリア嬢の顔は知らないが、戦場に女性は少ない。高価な鎧から見て間違いないだろう。
「さっきのあれ、あのお嬢様がやったんですか?」
「馬鹿な、そんなことあるわけがない」
女にあんなことが出来るわけがない。確かニッコロ家の次男坊が、軍師として参加しているはずだ。子供の頃は俊才と言われていた男。実家とは勘当状態らしいが、やつの采配に違いない。
「とにかく突撃準備だ。後方の蟻人を叩くぞ」
戦線は再構築されたが、蟻人はまだ多く残っている。特に主力部隊と思わしき一団が、ロメリア伯爵令嬢がいる本陣を狙っている。我々は後方を取り、突撃を仕掛ければ突き崩せる。
すぐに突撃準備をさせたが、整う前に本陣から突撃部隊が繰り出される。その中には伯爵令嬢もいた。
「くそ、なぜ待たない」
もちろんこれは的外れな言い分だ。向こうは我々の存在など知らないのだから当然だが、少数で打って出るなど無謀に過ぎる。
すぐに囲まれて動けなくなると思ったが、二十人ほどの部隊は戦場を縦横無尽に駆け、敵陣を突破、戦場で敵主力部隊と交戦していた味方と合流し、激突する。
だが戦いはまさに鎧袖一触、一度の激突で敵を吹き飛ばし、なぎ倒していく。
「ありゃ精鋭ですよ、カシュー守備隊はあんなに強いんですか?」
「いや、そんなはずはない」
カシューは軍事的にも価値のない辺境。駐留している兵士も、現地徴用の農民兵のはずだ。
「どこかの精鋭を引き抜いたのだ。それしかない」
あれほどの兵がいれば、噂にならないはずがない。大貴族のお抱えの騎士団を借り受けたのか、もしくは外国の傭兵かもしれない。
おそらく大金を使って集めたのだろう。その費用が心配になるが、伯爵令嬢が無事ならそれでいい。
「行くぞ、お前たち。後方の敵を突破して伯爵令嬢のもとに向かうのだ!」
蟻人はまだ主力部隊を温存している。あれが突撃してくる前に合流して撤退しなければ、まずいことになる。
陣形を整えた兵たちを率いて丘を下る。
「待て、お前たち、どこの者だ」
蟻人を蹴散らしてロメリア伯爵令嬢のもとに向かうと、周囲で蟻人と戦っていた兵士たちがこちらの姿に気づき誰何する。問いつつも槍を構え、白く輝く鎧の女性を中心に防御陣形を敷く。
全員が傷を負い、満身創痍だというのに陣形に乱れはなく、一歩も敵を通さぬ意思が見て取れる。やはり相当に訓練された精鋭だ。
感心してみていると、防御陣形の中心にいる女性が軽く手を挙げて兵を制する。
「その旗印、ライオネル王国グラハム家に仕える騎士団と見ました。どこの者です?」
戦場であって、よく通る声が届く。凛とした姿に高貴さを感じる。
「戦場ゆえ、下馬せぬ非礼を許されよ。私はグラハム騎士団第三部隊隊長、ドストラ家のハーディー。グラハム伯爵の命により参った。ロメリア伯爵令嬢であらせられるか?」
「いかにも、私がロメリアです。何用でまいられたか?」
来た理由などわかっているくせに、問いかける。
「ロメリアお嬢様をお迎えに参りました。さぁ、すぐにでもグラハム様のもとへと参りましょう」
これまで伯爵令嬢に対する手紙はことごとく無視されるか、のらりくらりと返事を待たされていた。ここでの戦闘もそうだ。時間をずらして報告されていた。駆け引きはせずに自分の意見だけを通す。
「それは構いませんが、私が今この場を離れるわけにはいきません」
当然のように拒否されるが、ここは何が何でも強行する。
「いいえ、来ていただきます。この状況で離脱することは難しいでしょうが、撤退には我々も協力します」
犠牲なしに離脱は不可能だろう。我々の損害もやむを得ない。
「撤退? 逃げるつもりはありません。もうすぐ勝てるのです。なぜ逃げる理由があります?」
「勝つですと? 本気で言っておられるのか?」
やはりこのお嬢様は戦場が見えていない。
ここまで戦い抜いたことは立派に思うが、敵はまだ主力部隊を温存している。一方こちらは満身創痍。戦争はただ耐えるだけでは勝てないのだ。
「我々では、あの敵は倒せません」
騎兵の力は強大だが、機動力を生かして弱いところを突き、敵陣をかく乱することが本領。いまから後ろに回っている余裕はない。その前にここがつぶされてしまう。
「別にあなたに主力となって戦えとは言いません。私の兵が、私の主力部隊が敵を倒します」
自信満々に振り返り戦場のはるか後方、蟻人の本陣を指さす。そこには、いつの間に現れたのか、騎兵が敵の本陣に迫り、後ろから攻撃していた。