第五十七話 闇夜の船
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北に突き出たディナビア半島。ジュネブル王家のかつての王都であるジュネルは、その北端に位置している。すでに太陽は海に落ちている。空は雲が立ち込め、星の光すらまばらであった。
墨を溶かしたような真っ黒な海を、三艘の小舟が進む。それぞれの舳先に立つのは双剣を背にするガオン、杖を肩に担ぐガダルダ、双頭の槍を持つガストンであった。末っ子のイザークを除く、ガリオスの息子達だ。
小舟にはそれぞれ二十体の魔族が乗り込み、拍子を合わせて櫂を漕いでいる。
舳先に立つガオンが目を細めて前を凝視する。左には篝火が焚かれる港が見えた。海に面したジュネルは大きな灯台がそびえ、船を導く灯りが何本も伸びる桟橋を照らしていた。
港の内部には巨大な箱のような造船所も存在し、かつて繁栄を誇ったジュネブル王国が、海洋国家として名を知られていた威容を示している。だが巨大な桟橋には船が一艘も係留されておらず、港は静まり返っていた。
一見すると港からは簡単に上陸できそうだった。だがよく見ると石造りの桟橋の間には、何本もの鎖が張られ封鎖されている。船を近づければ座礁してしまうだろう。
ガオンはジュネルから西の海岸に目を凝らした。僅かな星や灯台の光に照らされ、ゴツゴツした岩壁が見えた。波の間からも岩礁が所々突き出ている。
ガオンが西の海岸を見ていると、闇の中に小さな光が灯ったのが見えた。灯りはゆっくりと左右に揺れている。ガオンは別の船に乗るガダルダに視線を送ると、弟は頷き杖を掲げた。杖には黄、青、白の三色の宝玉が取り付けられている。ガダルダが念じると黄色の宝玉が僅かに発光した。
ガダルダの杖が光った後、進行方向に見えた灯りがゆっくりと円を描く。灯りに導かれ、ガオン達は船を進める。周囲にはいくつもの岩礁があったが、灯りの指示により岩礁を避けて進むことができた。そして小さな海岸に船を付け上陸した。
「やれやれ。こんな小舟で、しかも夜にディナビア半島への上陸作戦をやらされるとはな」
ガストンが双頭の槍を担ぎながらぼやく。ディナビア半島の周辺は岩礁が幾つもあり、小舟であっても座礁の危険があった。視界の悪い夜であればなおのことである。事前に兵士を潜ませておき、誘導させてようやく上陸ができたのだ。
「そうぼやくな。事故もなく上陸できてよかった。途中で兵を損なうわけにはいかなかったからな」
ガオンは浜辺に降り立った六十体の兵士と、誘導係として潜伏させていた三体の魔族を見る。
ガオン達を入れても六十六体。あまりにも少数である。もし船が座礁すれば、もっと少なかったかもしれないのだ。
「本当なら兵数には余裕を持たせたかった。だが多くの船を使えば、それだけ座礁する危険があった。極限まで兵士を減らしたが、これだけでも十分、敵であるズオルムも倒せよう」
ガオンの言葉に、ガストンがわずかに口をとがらせる。
「敵、ですか? 同じ魔族ですよ」
ガストンが咎める通り、ジュネルを支配しているのはガオン達と同じ魔族であった。
ガンガルガ要塞を失った魔王軍は、ディナビア半島の維持が困難であった。そのため人間達と交渉し明け渡しが決定した。
多くの魔族はこの明け渡しに同意したが、ジュネルの総督であったズオルムと一部の魔族が命令に従わず居残ったのだ。
「ガストン。気持ちはわかるが、奴らは魔王軍の指示に従わなかったのだ」
ガオンはガストンだけでなく、周囲にいる兵士にも聞かせるように説いた。
同じ魔族であっても、命令に従わなかったとなれば反逆者となる。こうなれば味方以上に敵というしかない。同胞と戦う覚悟を決めてもらわねばならない。
「反乱を首謀したズオルムとその幹部達は、我らの手で始末せねばならない」
ガオンは声に力を入れた。
現在ジュネルには人間達の軍勢が迫っている。兵力差は歴然であり、守り切れるものではない。ジュネルは早晩陥落するだろう。
放っておいても、ズオルム達は人間達に捕まるか死ぬだろう。だが奴らの身柄を、人間達に渡すわけにはいかなかった。確実に始末せねばならない。
「この任務に失敗はできぬ。気が乗らぬのなら、破壊工作に回っても良いが?」
ガオンがガストンを見る。
任された仕事は、ズオルム達の暗殺だけではない。ジュネルの破壊工作も含まれている。むしろこちらの方が重要とされていた。事実作戦を立案した特務参謀のギャミからは、必ず破壊工作を成功させるようにと言われている。
「それは助かるが、いいのか?」
「ああ、かまわぬ。だがこの仕事はしっかりとやってもらうぞ。これは必ずやり遂げるようにと、ギャミが口うるさく言っていたからな。あいつに文句を言われたくはない」
「分かった。任されよ、全てを灰にして見せる」
ガストンが頷くと、今度は杖をつくガダルダが口を開く。
「ズオルムの暗殺だが、俺にまかせてはもらえぬか?」
「お前がか?」
「あいつとは魔導院からの付き合いでな」
「そういえばズオルムは魔導官であったな」
ガオンはガダルダの言葉に頷いた。
魔導官とは魔法に精通したものがつく役職である。ズオルムは魔導官として出世し、ジュネルの総督にまで上り詰めたのだ。ガダルダが言った魔導院とは、魔法を研究するための学院である。同じく魔法を使うガダルダは、ズオルムと共に学んでいた時期があるのだ。
「あいつは魔導の腕はいいのだがな、自分のことしか考えておらんような奴だ。行動は読める、任せてくれれば確実に始末しよう」
ガダルダの声には自信がある。ならばとガオンは頷いた。
「ではガストンが破壊工作。ガダルダがズオルムの暗殺。俺が補佐と退路の確保だ」
ガオンの采配に異存はないと、ガストンとガダルダが頷く。
「ズオルム達は我等が侵入し暗殺に動くことは想定していない。同じ魔族ゆえ紛れ込むことは可能だろう。しかし我らは少数ゆえ、ズオルム達の隙をつかねば暗殺や破壊工作は成し得ない。戦争の混乱に乗じて作戦を決行する。機を見ることが肝要だ」
ガオンは兵士達を見回しながら話を続ける。
「問題は人間達の攻撃だ。ジュネルの防壁を突破して、内部に侵入してくるかもしれん。人間達との交戦もありうることを肝に命じよ」
注意を促すガオンに対し、ガストンが声を上げる。
「しかしガオンよ、人間達は今日ジュネルに到着したと聞く。流石に一日で陥落はしないのではないか?」
「いや、ありうる。人間共の中にはライオネル王国のロメリアがいると聞く。あの女は侮れぬ」
ガオンは胸の前で拳を固めた。
人間達の勢力には、最強国家とされるヒューリオン王国に、氷結の皇女率いるフルグスク帝国が存在する。この二大国家が魔王軍にとって最大の障害と見られていた。そしてライオネル王国は、規模としてはこの二つの国よりだいぶ劣る。しかしガオンはロメリアこそ、魔王軍にとって最大の脅威であると考えている。
ロメリアは二年前のセメド荒野の戦いにおいて、父であるガリオスを敗走せしめた。さらにガンガルガ要塞攻防戦においても、要塞を水攻めにするという奇策を用いた。そして救援に来たガオン達も撃退し、ついには要塞を陥落させた。
「ロメリアの軍才は疑う余地もない。一方でズオルムとその兵はロメリアを知らん。勝てるとは思えぬ」
ガオンは言い切った。ジュネルにいる魔王軍兵士が弱いとは言わぬが、やはり安全な後方地にいた守備兵だ。一方でロメリアとその兵士は、常に前線に立ち厳しい戦いを潜り抜けている。大胆不敵なロメリアを相手に、ズオルムが抵抗できるとはとても思えなかった。
ガオンの言葉にガストンがハッと目を見開き、ガダルダも顎に手を当てて頷く。六十三体の兵士達も顔が強張る。魔王軍にとってロメリアは、油断してはいけない相手なのだ。
「人間達との戦闘は、あり得ると考えて行動せよ。だが会敵しても、目的を間違えるな。我らの狙いはズオルムと目標物の破壊だ。戦闘は最小限に、目的を達成すれば即座に撤退せよ」
ガオンは念入りに厳命しておく。ロメリアは不倶戴天の仇ではあるが、今回の目的はロメリアの暗殺ではない。
「また我らの目的を、ロメリアに知られるのも好ましくない。捕虜となることは許さん。捕まる前に自決せよ。いいな!」
一体一体をガオンは睨んでいく。死を命じるガオンに対し、誰もが異存はないと顎を引く。死を恐れるものは一体もいない。
兵士達の士気と練度は高い。それ故の少数精鋭だ。
「行くぞ!」
ガオンの号令の元、六十五体の魔族が闇夜に紛れて進み始めた。




