第五十六話 痣の有無
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ジャネット女王はデルー司祭に診察を頼んだ。驚いたのは私やディモス将軍だけではない。デルー司祭もいきなり依頼されるとは思わず、ひび割れた眼鏡がずれていた。
「ジャネット女王。どこかお体が悪いので?」
デルー司祭が問うと、ジャネット女王は腹部に手を当てた。どうやら腹部に何か健康上の問題があるらしい。とすれば、腹部にあるという痣も確認できる。
千載一遇の好機があまりにも早くやってきたことに、ディモス将軍が喉を鳴らす。
「で、では我らは席を外しましょう」
診察を邪魔せぬよう、ディモス将軍が提案した。要人の健康問題は最高機密として扱われる。当然の配慮に私も頷き、天幕から下がろうとする。だがジャネット女王に呼び止められた。
「ああ、ロメリア様。すみませんが診察に立ち会ってもらえませんか?」
「私が、ですか?」
「ええ、ぜひお願いしたい」
ジャネット女王に頼まれたが、医者でもない他国人の私が、診察に立ち会う意味がわからない。とはいえ王の願いを断るわけにもいかず、この場に残る。
「では、診察を願えるか?」
ディモス将軍とゾレル枢機卿が天幕から退室したのを見て、ジャネット女王が促す。デルー司祭が女王に歩み寄ると、侍女の二人が歩み寄る。そして女王の喪服を手にし、腹部を僅かに露出させる。
ジャネット女王の腹部を見て、私は目を見張った。
タリアであれば痣があるとされる場所だが、痣の有無は確認できなかった。何故ならば腹部には大きな傷跡が刻まれていたからだ。
すでに傷は完治しているが傷跡は大きく、もし痣があったとしても判別不能であった。
「これは……」
傷跡を見てデルー司祭は絶句する。私も痣の有無よりも、痛々しい傷跡に見ていて胸が痛む。
「うむ、魔族に捕縛された時に傷を負ってな。負傷はすでに完治しているのだが、この傷跡を消すことは出来まいか?」
ジャネット女王が尋ねると、デルー司祭は目を伏せて唸った。
「申し訳ございません。私にはできません」
「……そうか、構わぬ。他の癒し手にも無理だと言われていたのだ。気に病むな、辛い思いをさせたな」
ジャネット女王は労いの言葉とともに、デルー司祭の方に手を置いた。
「ところでロメリア様。貴方の国では医療技術が進んでいると聞く。貴国の癒し手ならばどうであろうか?」
ジャネット女王に尋ねられ、私はここに残された意味に納得が行った。確かに我が国ではノーテ枢機卿により医療改革がなされ、癒し手の質が向上している。だが……。
「いえ、我が国の癒し手でも無理でしょう」
私は首を横に振った。
癒し手の技術は向上しているが、傷を消すところまではいっていない。聖女とされていたエリザベートであれば可能だっただろうが、彼女ほどの使い手は二人といない。
「……そうか。いや、無理を聞いていただき感謝する」
願いは叶わなかったが、ジャネット女王はさほど気にしていないと笑みを見せる。それで今日はお開きとなり、私はデルー司祭と共に天幕を辞した。
天幕の外では護衛のレットだけでなく、ディモス将軍も残っていた。どうやら痣の有無を聞きたいらしい。
「どうでした? デルー司祭」
「いえ、痣は確認できませんでした。私にはジャネット女王とタリアを見分けることができません」
鼻息あらいディモス将軍に対し、デルー司祭は傷のことは話さずに真偽だけを伝えた。
ディモス将軍は縋るような目で私を見るが、私も首を横に振る。
「ところでディモス将軍、そしてロメリア様。私はこれよりジャネット女王にお仕えいたします。女王にお引き合わせしていただいたことには感謝しておりますが、これ以上は……」
デルー司祭は言葉を濁しつつも、密偵の真似事はもうしないと決別を示した。
ディモス将軍はもうデルー司祭のことはどうでもいいらしく、肩を落としてホヴォス連邦の陣地へと戻っていった。
「ロメリア様、我々も戻りましょう」
レットが促すと私は頷いた。しかしすぐに首を返しジャネット女王の天幕を見た。そして内部であったやりとりを頭の中で反芻する。
今回の一件で、一つの答えは出たような気がする。だがまだわからないこともあった。
「さて、どうしたものか……」
私の呟きは星空に吸い込まれていった。




