第五十五話 仁君の相
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「それで、貴方はジャネット女王とタリアを見分けることができるのですか?」
私が尋ねると、デルー司祭は頷いた。
「わかると思います。ただし肌を見る必要があります。妊娠したタリアを診た時ですが、タリアの腹部に三日月型の痣があったのです」
「なるほど、痣があれば偽物ということですね」
私が頷くとディモス将軍が破顔した。
「ロメリア様、これで突破口が開けました。私はこのデルー司祭をジャネット女王の典医として推薦しようと思います。典医であれば、いずれ肌を見る機会もありましょう」
ディモス将軍の狙いがわかり私は頷く。
「こういうことは早い方がよろしい。面会の約束は取り付けているので、これからジャネット女王の元に行き、推薦しようと思います。しかしあのジャネット女王が偽物であれば、何かと理由をつけてデルー司祭を遠ざけようとするでしょう。そうさせないためにも、ロメリア様にも助言してもらえませんか?」
ディモス将軍の提案に、私は少し考えてから頷いた。
ジャネット女王は聡明な人物で、慈しみの心も持っている。しかし一方で燃えるジャムールの街並みを見て楽しみ、そして娘のジュジュ王女に対しては憎悪の目を向けていた。それに思い返せば、ジャネット女王はジュジュ王女に一度も触れていない。
あの親子には何かあるのかもしれない。側に人を置くことで、分かることがあるかもしれなかった。
「では早速行きましょう」
ディモス将軍が外へと促す。私達は揃ってジュネブル王国の陣地へと向かった。
ジュネブル王国の陣地では、どこか弛緩した空気が漂っていた。兵士達の規律は緩く、歩哨の兵士が座っていたりする。この有り様を見て、ディモス将軍も顔を顰めて唸る。練度の低い兵士を見ると、指揮官としてはやるせない気持ちになる。しっかりしろと怒鳴りつけたいところだが、他国の軍であるため何も言えない。
怠けている兵士に取次を頼み、ジャネット女王の天幕まで案内してもらう。天幕の前には、さすがにまともな兵士が警備についていた。二人の兵士は油断なく四方に目を配り、私達の接近に気づく。
ジャネット女王の取次を頼むと、すぐに入室が許可された。私達は護衛を入り口に残し、私とディモス将軍、そして紹介すべきデルー司祭の三人で天幕の入り口をくぐる。
天幕の内部に入ると、大きな衝立を背にしたジャネット女王がいた。いつもの喪服姿で、椅子に座している。その右隣にはゾレル枢機卿が侍り、左隣には小さな椅子に座ったジュジュ王女がいた。
もう遅い時間なので。ジュジュ王女はうつらうつらと大きな頭で船を漕いでいた。しかしお母さんと一緒にいたいのか、その右手はジャネット女王の左手の袖を掴んでいた。天幕の内部にはさらに二人の侍女が居り、静かに控えている。
「よく来てくださいました。ロメリア様、ディモス将軍」
「夜分に訪問し、申し訳ありません」
ジャネット女王の歓待に私は頭を下げる。
「ジュジュ、貴方も」
ジャネット女王が左袖を掴むジュジュ王女に目を向ける。挨拶するように促すも、ジュジュ王女はついに睡魔に敗北し、大きな頭がガクンと落ちた。ジュジュ王女は椅子から落ちそうになるが、その前にジャネット女王が娘の体を右手で支えた。
「すみません、みなさん。先に寝ていなさいと言ったのに、一緒にいると言って聞かなくて」
ジャネット女王は顔を顰めながらも、優しい手つきでジュジュ王女を抱き寄せた。初めてジャネット女王からジュジュ王女に触れているところを見たが、ヴェール越しに我が子を見つめる女王の眼差しは、優しさと労りがあった。
以前見たジュジュ王女に対する憎悪の目は、私の見間違いであったかと思うほどだ。
ジャネット女王は二人の侍女にジュジュ王女を預ける。侍女達は女王の背後にある衝立の向こうに、眠りに落ちたジュジュ王女を連れていく。おそらく衝立の向こうが寝室なのだろう。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
ジャネット女王は早速本題を尋ねた。するとディモス将軍が進み出る。
「実はジャネット女王に紹介したい者がおりまして」
ディモス将軍は首を返し、後ろで出番を待っていたデルー司祭に目を向ける。視線を受けデルー司祭はジャネット女王の前へと進む。
「其方は……確か、マーナンの典医であったデルー司祭か?」
「わ、私のことを覚えていてくださいましたか」
ジャネット女王の言葉を聞き、デルー司祭の声は感動に震えていた。
「うむ、確か最後に会ったのは王都だったかな?」
「いえ、ジャムールでもお会いいたしました」
「そうだったか? すまぬ。あの頃はジュジュを授かったので他のことをあまり覚えておらぬ」
「いえ、初めてのお子様です。当然でございましょう」
デルー司祭は柔らかな笑みを浮かべる。
「しかしその姿を見るに、其方も苦労をしていたようだな」
ジャネット女王がデルー司祭の頭からつま先までを見る。割れた眼鏡に加え、司祭服もくたびれている。
「はい。恥ずかしながら、ジャムールで奴隷の身となっておりました」
「……そうか。我が国が敗北したせいで、苦労をかけたな」
ジャネット女王の労りに、デルー司祭の目には涙が滲む。
「ありがとうございます。女王のそのお言葉がいただけただけで、長年の苦労も報われます」
デルー司祭は深々と頭を下げる。
ジャネット女王はただ一言で、デルー司祭の心を掴んだ。下々の者であっても労りの気持ちを忘れない女王は、やはり仁君の相がある。私も彼女を信じたい、だが彼女にはどこか底知れない所がある。それを見極めるまでは信じるわけにはいかなかった。
「そういえばデルー司祭は、元はホヴォス連邦の人間だったな。この後は国に戻るのか?」
ジャネット女王が尋ねると、デルー司祭は顔を上げて首を横に振った。
「いえ。国に戻っても親しい友人や親類はおりません。老骨の身ではありますが、ジャネット女王にお仕えしたく」
デルー司祭は仕官を申し出る。ディモス将軍が指示したことだが、現在では本心であろう。するとこの申し出にジャネット女王は微笑んだ。
「それはありがたい。では私の典医となってくれるか?」
「願ったりです」
側で仕えることに、デルー司祭は平伏して喜びを示す。私はディモス将軍と目を見合わせた。はからずも狙い通りとなった。あとは体に痣の有無を確認するだけだ。
私達が目配せをしていると、ジャネット女王が頷く。
「では早速だが、デルー司祭。私を診察してもらえるか?」
ジャネット女王は腹部に手を置く。
予想外の話の流れと好機に、私とディモス将軍は目を剥いて驚いた。




