第三十一話 イザークの苦悩⑦
いつも感想やブックマーク、評価や誤字脱字の指摘などありがとうございます。
小学館ガガガブックス様よりロメリア戦記が発売中です。
BLADEコミックス様より、上戸先生の手によるコミカライズ版ロメリア戦記も発売中です。
マグコミ様で連載中ですよ。
月さえも落ちた深夜。空には無数の星が瞬き、壮大な星の大河を作り出していた。
イザークは天幕の前で、歩哨に立ちながら星空を見上げた。
星々の美しさだけは、どこで見ようとも変わらないなとイザークは故郷に思いを馳せた。しかし望郷の念も一瞬のこと、思考は昼間に犯した失態を思い出した。
ロメリアを前に、素直に話して余計な情報を与えてしまった。
なんたる失態と、イザークは悔恨に顔を顰めた。一方で感心するのは、同行したアザレアのことであった。
同じ物を見ていたはずなのに、彼女は見えない物を見ていた。素晴らしい慧眼と言える。それに思い返せば彼女は所作が洗練されており、歩く姿にも気品があった。高い知性と教養が、銀の仮面の下から感じられる。
自分もかくあらねばと、イザークは気を引き締めた。そして警備に精を出すべく、大きく息を吸い込んで周囲を見回す。
もし何者かが自分達を害そうとするならば、それは間違いなく夜のうちだ。夜陰に紛れて行われるだろう。
イザークは天幕に近づく者がいないかと、四方に目を配った。
左に目を向けると、天幕の周囲を覆う柵が途切れることなく続いている。左に異常がないことを確認したイザークは、今度は右へと首を返した。
右を見ると、同じく木の柵が続いている。ただし右にはもう一つ天幕が設置されていた。アザレア達女性陣のための天幕だ。こちらには誰も警備は立っていない。
女性陣の天幕は静かなものだった。夜も遅いため、すでに眠っているのだろう。イザークが視線を前に戻そうとした時、天幕から漏れ出る光の点が視界に引っかかった。
移しかけていた視線を戻し、イザークは光の点をまじまじと見た。改めて確かめてみると、やはり女性陣が使用している天幕の布に、穴が開いて光が漏れていた。
天幕の布が破けるのはよくあることだった。しかしここは敵地の真ん中だ。もしかしたら人間たちが内部を覗き見るために、開けたものかもしれない。
早急に修復しておく必要がある。だが既に暗いため明日にするしかない。イザークはどれぐらいの穴が空いているのか、今のうちに確かめておこうと女性陣の天幕に歩み寄った。
天幕に空いた穴は腰の位置程の高さにあり、イザークは膝を折って確かめた。幸い穴は小さく、補修は簡単そうだった。
明日しっかりこの穴をふさいでおこうと、イザークが立ちあがろうとしたその時だった。空いた穴から天幕の内側で動く影が見えた。
黒い毛皮の長外套を着たアザレアであった。アザレアは机に向かい、何か書類仕事をしていた。
図らずしも覗き見をしてしまったことに、イザークは慌てた。覗きなど男のすることではないと、すぐに立ち去ろうとした。だが目を逸らそうとした瞬間、イザークの視線はアザレアの顔に吸い込まれた。
アザレアの顔を常に覆っていた腐病の面は取り外され、素顔が顕となっていたからだ。イザークの視線はアザレアに吸い付き離れなかった。心を占める感情はただ一つ。
美しい……。
イザークの心は美への感動に満たされた。
アザレアが身につけている腐病の面とは、病により顔が腐り落ちた者が、醜く爛れた顔を隠すために使用するものだ。しかしアザレアの素顔には傷ひとつなく、美の結晶とでも言うべき姿がそこにあった。
赤い鱗にはしみひとつなく、艶やかな輝きを放っている。紅玉の如き瞳には長いまつ毛で彩られ、鼻はスッと長い。口の周りはほんのりと赤く、花の様に色づいている。下唇から喉にかけては、鱗ではなく柔らかそうな白い皮に覆われ、呼吸のたびに艶かしく蠕動している。
目や鼻、まつ毛の一本に至るまで、精緻な美しさがあり、その全てが完璧な均衡で配置されていた。
まさに美の女神の降臨。美しいと言う概念が形を持った姿とすら言えた。
あまりの美しさにイザークは固唾を呑む。だがその音に気付いたのか、書類に目を落としていたアザレアが不意に顔を上げた。
覗き見をしていた気まずさから、イザークは慌ててその場を離れた。そして持ち場に戻り、警備をしていた様に取り繕う。
アザレアが出てくるのではないかと、イザークの胸は動揺に高鳴る。だが幸いアザレアはイザークに気づかなかったのか、外に出てくることはなかった。
イザークがホッと息を吐きかけたその時、背後から突然声をかけられた。
「イザーク、交代だ。……って、どうかしたのか?」
背後に立っていたのはゴノーだった。しかしイザークは驚きのあまり心臓が止まりそうになり、すぐに返事が出来なかった。
「……い、いや、なんでもない。あとは頼んだ」
イザークはボロを出さないように、すぐに交代して天幕に入った。
天幕では衝立を挟んで二つに区切られている。奥はギャミの部屋であり、手前にはイザーク達三人が眠るべく、三つの布が敷かれている。布の真ん中ではサーゴが横たわり、いびきをかいていた。
イザークも眠るべく、サーゴの左に身を横たえる。今日は色々あり、体は疲れ切っていた。しかし頭は興奮して眠れなかった。無理矢理目を瞑っても、瞼にはアザレアの素顔が焼き付いている。
アザレアの素顔を思うだけでイザークの胸は高鳴り、悶々とした感情が頭の中を占領する。そしてついに一睡もすることなく朝を迎えた。
イザーク君おやおや