第四話 分かりやすい母と分かりにくい父
館の前に降り立った私を、門の両脇に立つ門番が胡乱な目で見ていた。
三年前にはいなかった新顔だ。私の顔を知らないのだろう。それに使っていた馬車もお金を節約するため一番安い馬車を使ったのが問題だった。
うちは王家ともつながりの深い伯爵家。来客は有力者ばかりで、一定以下の階級のものは取次もしない。
それに今の私は目立たないように平民の服を着ている。間違っても伯爵令嬢の装いではない。これでは私が何者なのかわからないのは当然だ。
名乗っても信じてもらえないだろうし、わざわざもめ事を起こす必要もない。処世術でやり過ごそう。
「すみません。ここはグラハム様のお屋敷とお見受けしましたが、ここにカイロさんという方はおられますか?」
物腰低く尋ねると、カイロという名前に門番はうなずいた。
「ああ、なんだ、あんた、カイロ婆さんの知り合いかい?」
「はい、親しくさせてもらっております」
カイロ婆は長年勤めている世話係だ。私にとっては実の母より親しみを感じている相手だ。
「三年ぶりに訪ねてきたのですが、すみませんが言付けをお願いできますか?」
「いいよ、あんたの名前は?」
「ロメと言っていただければ、それでわかるかと思います。すみませんがよろしくお願いします」
私の名前に、門番は何か気づいたような顔をした。しかしありえないと小さく笑った後、館に取り次いでくれた。
門番が館に入ってしばらくすると、悲鳴のような声が館から聞こえ、玄関の扉から一人の老婦人が飛び出てくる。
「ロメおじょうさぁまぁぁぁぁ」
年も忘れて走ってくる婆やはこの三年間で老け込み、白髪が増えていた。
今にも倒れそうな婆やを、抱きしめ受け止める。
「お嬢様、本当にお嬢様ですか?」
「ええそうよ、婆や。心配かけたわね。ただいま」
「ああ、よかった、お戻りになられて本当に良かった。お嬢様の顔を見られて、カイロはうれしゅうございます」
カイロ婆やはしわだらけの顔に涙をこぼし泣き崩れる。
泣いて抱きしめあう私たちを、門番の二人が驚いていたので、婆やが落ち着くまでの間にネタ晴らしをしておく。
「ああ、私はロメリア・フォン・グラハムと言います。この家の主の娘にあたる者です。三年ぶりに戻ってきました」
胡乱な目で見ていた相手が、雇い主の娘だったことに気づき、二人が背筋を伸ばして顔を青くする。
「ああ、いいのです。気にしないで。これからもこれまで通り仕事をしていてください。ほら、婆やもそろそろ泣き止んで、ね」
「はい、でもでも、会えてうれしゅうございます」
婆やはそればっかりだったが、それだけ心配をかけていたのだと反省する。
何とか泣き止んだ婆やと、一緒に館に入った。
館に入ると、執事やメイドたちの姿が見えた。知らない顔が多い。
「少し家を空けた間に、知らない顔が増えたわね」
言っては何だが、わがグラハム家は古くから続く名家だ。ゆえに我が家で働く以上の条件の良い職場などそうそうなく、働く執事やメイドは長く続けることが普通だ。三年間も家を空けていたとはいえ、こんなに入れ替わっていることが少し意外だった。
「それなのですが、その、お嬢様。いろいろありまして」
婆やは何か言いづらそうにしていたが、今は後だ。まずはお父様とお母様に会うべきだろう。
「婆や、話はあとでじっくりしましょう。お父様とお母様はいるのね、お兄様たちはまだ海外?」
年の離れた腹違いの兄が二人いる。ただし、二人とも三年前は海外に留学しており、戻ってくるのはまだ先の予定だったはず。
「はい、まだ海外からお戻りになってはおりません。旦那様と奥様は居間におられます」
「そう、ならまずは二人と話す」
お父様たちがいる広間に向かった。
広間に入ると、女性の泣き声が聞こえ、背の高い初老の男性と、太った女性がいた。お父様とお母様だ。
「お父様、お母様。ただいま戻りました」
三年ぶりに会ったお父様はしわが増え、白髪が増えていた。少しやせたようにも見える。
逆にお母様は以前より太っていた。そしてハンカチを涙で濡らし、私を見るなりさらに嗚咽を漏らし泣き叫ぶ。
「ああ、なんてことなの、王子との婚約を破棄されるなんて、なんてかわいそうなの」
「お前、落ち着きなさい」
お父様がなだめたがお母様が泣き止むことはなく、とにかく嘆き泣き続ける。
「ひどい、あんまりです。王家に忠誠を尽くしてきたわが家に、このような仕打ちをするなど」
泣き声を聞いていると苛立ちが募ってきた。
そういえばお母様はこういう人だった。とにかくよく泣く人なのだが、お母様は決して人のために涙を流さない。この人の涙は自分を憐れむためだけのものだ。その証拠に、私を慰める言葉はない。
「もう部屋で休みなさい、私がすべて上手くやっておくから」
お父様がお母様を慰め、部屋に戻るように言い、メイドに連れていかせる。
お母様が泣き出せば、付き合っている方が疲れる。部屋で好きなだけ泣かせてやるのが一番だ。
「ええ、お願いします。もう私にできることはありません」
お母様は最後まで私に声をかけず、泣きながら出ていった。廊下に出てもなお泣き叫び、部屋にまで声が聞こえた。
遠ざかる泣き声に、ため息が二つ重なる。音を発した二人の視線がぶつかった。
一瞬お父様が何かを言うのを待ったが、口を開こうとしなかったので私から再度切り出すことにした。
「改めて、ただいま戻りましたお父様。勝手に出ていき、申し訳ありませんでした」
今だから言えることだが、三年前家を飛び出した私はどうかしていた。旅立つ王子のことしか考えられず、残された家族や婆やのことなど頭になかった。
正直、ひっぱたかれても仕方ないと思っていた。そうでなくても叱責や罵倒の言葉が飛んでくることは覚悟していた。
しかしそのどれもなかった。
お父様は微動だにせず私を見つめる。その薄く開いた小さな目は、何を考えているのかわからない。
「あの……それと、手紙にも書きましたし、すでにお聞き及びと思いますが、王子とは旅のさなか色々ありまして、婚約を解消されてしまいました」
正直これは家にとっては大きな痛手だ。
我がグラハム家は王家とのつながりも強く、王家を支える重臣に数えられている。私と王子の婚姻は、その結束を内外に示すためのものだった。
婚約を破棄されたということは、実質中央での権力を失墜したに等しい。おそらく王都に居られず、領地に戻ることとなるだろう。
勘当されても文句が言えない話だが、お父様はこれにも何も言わなかった。
しばらくの沈黙のあと、お父様はようやく口を開いて尋ねた。
「怪我は、ないか?」
「? はい。怪我はありません」
旅のさなか、大きな怪我は何度かした。崖から落ちて足を折ったし、落馬して腕を脱臼したこともある。魔族の放った矢に肩を射抜かれた時は、本当に死ぬかと思った。
有難いことに、その時にはすでにエリザベートが仲間になっていたので、治してもらった。もっとも、小さな擦り傷や切り傷は治してくれなかったので、体にはいくつか傷が残っている。ほかにも過酷な旅で肌も荒れ、髪も痛みきっている。
深窓の令嬢をやっていた三年前と比べれば、だいぶ薄汚れているだろう。とはいえ、容姿にそれほど愛着もないので後悔もないが。
「そうか、疲れただろう。もう今日は休みなさい」
どうとっていいのかわからないお父様の態度に多少困惑しながらも、仕方がないのでさがると、外では婆やがそわそわしながら待っていた。
「ああ、お嬢様。どうでした?」
「休みなさいって、それだけよ」
本当にそれだけだった。お母様はわかりやすいが、お父様はわかりにくい。
「旦那様を怒らないであげてください。お嬢様が出ていかれた後、これは駆け落ちで、ロメお嬢様が王子を誑かしたのだと言われたのです」
「ああ、なるほど」
駆け落ちは恋愛小説の華だ。だがあれは駆け落ちした二人にとってであり、残されたものは地獄を見る。
子供の結婚は親が決めるものだし、子供は親に従うもの。もしその意に反して子供が駆け落ちするということは、その親や一家は子供もろくに育てることが出来なかった者たちと見られ、後ろ指を指されることとなる。
王家を悪く言うことはできないので、私が誑かしたという流れになったのだ。
使用人たちが入れ替わっているのも、その時に辞めたものが多いのだろう。
「ですが、王子が旅立った理由は、途中でわかったでしょう?」
正直、王子の旅は順調とは程遠く、紆余曲折を経てだいぶ遠回りをした。
王家は王子を連れ戻そうと追っ手を放ったし、敵対国の領地を通る時にもひと悶着あった。そのせいであちこちを移動することとなり、各地で王子の噂は広まり、魔王を倒すための旅だということは知っていたはずだ。
少なくとも聖女エリザベートを仲間にしたことで、私との駆け落ち説は否定されるはずだ。
「はい、しばらくしてその噂は消えたのですが、今回の婚約破棄で……」
「悪い印象が残っていたから、私がふしだらな女だと」
社交界でいろいろと言われたのだろう。しかしならなおのことお父様が私に対して何も言わなかったのが不思議だ。
お父様はいったい何を考えているんだろう?
わからなかったが、すぐに考えるのをやめた。ほかにもやらなければいけないことがあったからだ。
すみません遅くなりました。
予約投降を失敗していたらしく、こんな時間になりました
すみません