第二十一話 人質交換①
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ヒルド砦に用意された館の中で、ゼファーは鏡の前に立ち自分の姿を確かめた。
着込んでいる服は、ハメイル王国軍の正装だった。いつもの軍服に金のボタンに肩飾りがつけられ、腰にも右肩から左腰にかけて飾り帯が回されている。
ゼファーは入念に服装に乱れがないことを確かめ、そして赤い裏地の黒の外套を羽織った。そして白い手袋をはめ、最後に剣を腰に装着して全ての準備が完了する。
ハメイル王国軍の最上位儀礼服装。国王陛下の前に出ても恥ずかしくない姿と言えた。
「ゼファー様。そろそろお時間です」
部屋の外から声が掛けられる。父ゼブル将軍の部下であったライセルのものだ。
ゼファーが返事をして部屋から出ると、隻眼の騎士ライセルが待っていた。ライセルと共に館を出ると、外では槍を持つ二人の兵士が立っている。兵士の一人は手綱を握り一頭の馬連れていた。
「よし、行こう」
顎を引いたゼファーはライセルと二人の兵士、そして馬を伴いヒルド砦の西門を目指した。
西門の前までやってくると、開け放たれた門が見えた。ヒルド砦の門は、連合軍の手により一度全て破壊された。だが魔王軍から返還されてすでに三日が経過しており、門は修復されている。そして開け放たれた西門の先には、連合軍の旗を掲げる軍勢の姿があった。
連合軍の兵士達はそれぞれの旗を掲げ、四角い陣形をいくつも作って整然と並んでいた。ゼファーがさらに西に目を向けると、荒野を挟んだ先には同じく四角い陣形を組んだ軍勢の姿が見える。ただしこちらは黒い鎧を着込み、竜の旗を掲げている。魔王軍の軍勢だった。
連合軍と魔王軍が睨み合う形となっているが、互いの軍勢は静まり返っていた。
戦争の前ともなれば、兵士達は戦意を高めるために声を張り上げ叫ぶものだ。しかし両軍は沈黙し、戦いの気配は見えなかった。
ゼファーの背後から、唾を呑む音が聞こえた。首を返すと付き従う二人の兵士は汗を流していた。ライセルも隻眼を細め、険しい表情を浮かべている。
背後の三人が緊張するのも無理はなかった。今から連合軍と魔王軍が、互いが裏切らない保証として人質を交換しあうのだ。
正装に身を包んだゼファーは人質として、魔王軍に行くことが決定している。二人の兵士はゼファーの護衛であり、これから共に魔王軍の陣営に向かう。
「ゼファー様、大丈夫でしょうか?」
「安心しろ。話は通っているから大丈夫だ」
声を震わせる兵士に、ゼファーは軽く顎を引いた。
気楽なゼファーの声に兵士達は安堵の息を漏らし、硬い表情をわずかに緩ませる。だがゼファーの言葉は嘘だった。この交渉がうまく行くかはゼファーにも分からない。なにせ魔族との交渉。しかも人質交換など歴史上初めてのことだ。
この交渉が成功するかどうかは誰にも読めない。ゼファー達が魔王軍の元に行った瞬間に、首を切られることもあり得るのだ。しかし事実を言っても兵士達を怖がらせるだけだった。
ゼファーは兵士達から視線を外し、門の周囲を見る。ヒルド砦の門の周りには、ゼファー達以外に人影はない。
「ホヴォス連邦のレーリア様はまだの様ですね」
ゼファーの内心を代弁するように、ライセルがつぶやいた。
レーリアの名前を聞くと、ゼファーは胸の高鳴りを感じた。いつのころからか、ゼファーはレーリアのことを憎からず思うようになっていた。初めて会った時は好みの女性ではないと思っていたのに、今では彼女のことを考えない日はない。
「ああ、ゼファー様。レーリア様たちが来られましたよ」
考え込むゼファーの背中に兵士が声をかける。ゼファーが慌てて振り返ると、四人の女性がやって来るのが見えた。
馬を引く女戦士のマイスを先頭に、二人の侍女が歩いている。そして最後尾に一人の女性がいた。ホヴォス連邦スコル公爵家が令嬢レーリアだ、
静かに歩むレーリアを見て、ゼファーは目を奪われた。
波打つ金髪は陽の光に輝き、身に纏う赤いドレスは簡素な意匠ながらも彼女の魅力を引き立てていた。
レーリアの姿にゼファーの胸は高鳴り、思考は一瞬忘我となる。だがすぐに気を引き締めた。
今から自分達が向かうのは敵の巣窟。浮かれていい場所ではない。場合によっては捕らえられ殺される可能性すらあるのだ。自分がしっかりしなければ、レーリアを危険にさらしてしまうかもしれなかった。
レーリアを守れるのは自分だけ。たとえ何があろうとも、レーリアだけは助けて見せるとゼファーは心に誓った。
「どうかしたの? ゼファー」
決意を改めるゼファーに、レーリアが首を傾げる。
「いえ、なんでもありません。それよりも行きましょう」
ゼファーが促すとレーリアも頷き、マイスが引いている馬に乗ろうとあぶみに足をかける。だが乗ろうとした瞬間、足を滑らせ倒れそうになった。ゼファーは慌てて手を伸ばし、レーリアの左手を掴む。そして倒れない様に胸に引き寄せた。
ゼファーの胸にレーリアの小さな体が飛び込んでくる。髪から甘い香りが漂い、腕のうちにある体は、あまりにも華奢だった。
「あっ、ありがとう……」
ゼファーの胸の中で、レーリアが羞恥に頬を染めながら見上げる。その顔があまりにも愛らしかったので、ゼファーの体は石の様に固まり身動きひとつ出来なくなった。
ゼファーとレーリアが見つめ合う時間を破ったのは、わざとらしい咳払いだった。ゼファーが弾かれる様に目を向けると、マイスが白い目を向けていた。その視線はレーリアの肩を抱く、ゼファーの右手に注がれている。ゼファーは慌てて手をどけた。
「す、すみません」
「いえ、こちらこそ」
ゼファーとレーリアは、互いに顔を紅潮させて身を引く。
「ほら、早く行きますよ! 姫様!」
マイスが目の端を吊り上げながら促す。レーリアはあぶみに足をかけると、ドレスの裾を翻して、今度はうまく馬に乗り、横座りとなる。
ゼファーもライセルが連れていた馬に跨る。そしてゼファーは兵士に、レーリアはマイスに馬を引いてもらい、兵士や侍女と共に進む。
ゼファー達が進む先には連合軍に参加する六つの国の旗が翻り、七人の男女が集まっていた。