第十四話 ヘイレントの聖女②
いつも感想やブックマーク、評価や誤字脱字の指摘などありがとうございます。
小学館ガガガブックス様よりロメリア戦記が発売中です。
BLADEコミックス様より、上戸先生の手によるコミカライズ版ロメリア戦記も発売中です。
マグコミ様で連載中です。
ヘレンの前には負傷した兵士が横たわっていた。戦いで矢を受けて一度治療されたのだが、腹部に鏃が残ったまま治療されたため傷が悪化していたのだ。
ヘレンは緊急手術を行い、鏃の除去には成功した。だが手術を行った傷口からは大量の血が流れ出ている。
「おい、大丈夫か! しっかりしろ! 」
仲間の兵士が気を失った負傷兵に話しかけるが、意識を失っており返事はない。
「ヘレン王女、本当に大丈夫なのですか!」
兵士が不安げな目をヘレンに向ける。確かに傷口は大きく、出血は大量だ。これほどの大きな傷を治療するとなると、癒し手が数人は必要となるだろう。しかし今、この場にはヘレン一人しかいない。
兵士の不安は当然と言えた。
「大丈夫です。任せてください」
ヘレンは請け負うと 切開された男の腹部に右手をかざした。すると手から白い光が放たれ、傷口に降り注いだ。
怪我を治して癒す癒し手の技だ。この癒しの光を傷口に当てていれば、傷が自然と塞がっていく。そのため癒しの光をどれだけ大きく、長時間出し続けられるかが評価の基準だった。
この基準で言えば、ヘレンの素質は並の人よりも持久力が高い程度でしかなかった。当然これほどの大怪我を一人で治療する力はヘレンにはない。だが……。
「おっ、おおっ!」
治療を見ていた兵士が歓声をあげた。兵士の視線の先では、開いた腹部の傷がみるみるうちに塞がり、治療されていったからだ。
「すごい。こんなに早く治るなんて! 他の癒し手と比べて段違いだ!」
兵士がヘレンの顔と傷口を交互に見る。
もちろんこの急速な治療には、種も仕掛けもある。
ヘレンの力の秘密。それはライオネル王国からもたらされた最新の医療情報にあった。
近年ライオネル王国では、癒し手の育成に関する制度改革が行われていた。人体の構造を理解するため、人間の体を解剖し、研究することを部分的に認めたのだ。
改革を主導したノーテ枢機卿によれば、人体の構造を理解し、治療の際に患部の構造を強く意識することで、回復効果が高まると言うのだ。
ヘイレント王国の癒し手達は、この意見を白い目で見ていた。
人体の解剖は禁忌であり到底許されることではない。それに癒しの技の源は神の奇跡であり、敬虔なる祈りこそが何より重要であると、見向きもしなかったのだ。
ヘレンも初めはノーテ枢機卿の話を信じてはいなかった。だがそんなヘレンのもとに、一冊の本が届けられた。ノーテ枢機卿が行った人体解剖の記録をまとめた著書であった。
正直あまり興味はなかったが、ヘレンにはヘイレント王国の聖女という立場があった。王族であると言うだけで認定された名ばかりの聖女だが、それでも聖女は聖女だ。それなりの仕事はせねばならない。
ヘレンに与えられた聖女としての仕事は、ノーテ枢機卿の本を読み、聖女としてこれを否定するというものだった。
そしてヘレンは嫌々ながらも、人体解剖の研究が記された本を読んだ。そして本を読み終えたころに、ガンガルガ要塞攻略するための連合軍が結成され、これにも嫌々参加させられた。
本を読むことも、遠征に参加することも、どれもヘレンが望んだことではない。しかしヘレンは本を読んでいたことと、この遠征に参加したことを良かったことだと思っている。
まずノーテ枢機卿が提唱していた、人体の構造を理解することで癒しの効果が高まるという理論は確かであった。
ヘレンは一度目を通しただけで、内容はうろ覚えであった。しかしそれでも癒しの効果は格段に高まっていた。そして多くの負傷兵を治療したことで、経験が積み重なり、今や熟練の癒し手にも引けを取らぬほどであった。
ヘレンは自分が治療した兵士を見た。
意識を失っているが、痛みから解放されてその寝顔は安らかであった。
傷の治療がうまくいったことにヘレンは微笑み、眠る兵士の頬を軽く撫でた。
ヘレンはこれまで名ばかりの聖女で、ろくに人を癒したこともなかった。だが今こうして癒し手として人を助ける仕事に携われたことは、ヘレンの大きな喜びとなっていた。嫌々参加した遠征だったが、ヘレンはここに自分の人生の意味を見つけた気がしていた。
ヘレンは切開した腹部の傷を全て塞ぎ終えると、癒しの光を停止して右手で額の汗を拭う。さすがに少し疲れたと息を吐くヘレンの前で、男を抑えていた兵士が膝を付いて頭を垂れた。
「ヘレン王女、貴方は間違いなく本物の聖女です」
兵士はヘレンを、さながら神のように仰ぎ見る。
「いえ、そんな、私はただ治療しただけですよ」
ヘレンは両手を振って否定した。しかし兵士の目はなんて謙虚なのだと、心酔は深まるばかりだ。
なんとしたものかと、ヘレンの目が泳ぐ。その時、他の癒し手達が天幕に戻ってくる。
「あっ、すみません。この方をお願いします」
ヘレンは助けが来たとばかりに、兵士や治療を終えた男性を他の癒し手達に押し付けた。そして自身は天幕から出て、人気のない裏手に逃げた。