第十三話 ヘイレントの聖女①
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ヘイレント王国の王女ヘレンは、天幕の中に置かれた桶に手を入れ、念入りに手を洗った。
手を洗っていると、背後の入り口からは呻き声を上げる男が、一人の兵士に抱えられて運び込まれてくる。
「誰か、助けてくれ。こいつが急に苦しみ出して……って、ヘレン王女?」
男を運び込んできた兵士が、ヘレンの顔を見て驚く。
兵士が驚くのも当然だった。この天幕は傷を治す力を持つ癒し手が、重傷者を集中的に治療する場所だからだ。
本来腕がいい癒し手がいる場所であり、王女がいるようなところではない。
「そこに寝かせて」
手を拭いながら、ヘレンは木製の頑丈な治療台に目を向ける。
「あの、他の癒し手は?」
「今は他の患者の治療に出ていて、私だけです。早く寝かせて」
兵士の言葉に答えながら、ヘレンは手術刀や布が入った桶を手術台の脇に運ぶ。兵士は戸惑いながらも、手術台の上に兵士を横たえた。
「患者の容体は? 何があったの?」
「え? あっ、こいつ、この前の戦いで腹に矢を受けたんです。傷の治療は受けたんですが、その後も痛みが引かなくて、そしたらついに立てなくなって」
兵士は焦りで早口になりながらも、必要なことを答えてくれた。ヘレンは男の服を脱がす。
服を脱がせ腹部を見ると、傷は残っていなかった。しかし左脇腹からに腰かけて、赤黒く変色していた。
「きっと鏃が体に残っているのね」
ヘレンは素早く診断を下した。これまで何度も見てきた症状だった。
戦場では大量に発生する負傷兵を死なせないために、応急処置として癒しの技で傷を塞ぐ。
効率を考えればこれはこれで正解なのだが、治療を急ぐあまり、体内に矢や刃の破片などが残ったままになることがあるのだ。
「ひどく化膿している。このまままだと助からない」
「そんな、お願いします。こいつを助けてやってください」
「腹部を切開して鏃を取り出すしかありません。手足を縛って。手術台にくくりつけて」
ヘレンは兵士に太い縄を渡した。こう言う時のために、手術台は頑丈に造られている。
「え? あっ、はい」
兵士は戸惑いながらも、言われた通り男を台に縛り付ける。その間に、ヘレンは親指ほどの太さの木の棒を取り出し、苦しむ男の口にあてがう。
「これを咥えてください。口を開けて」
ヘレンが男に木の棒を咥えさせると、ちょうど兵士が男の手足を縛り終える。
「今から腹部を切開して、残っている鏃を取り出します」
ヘレンは鈍く輝く手術刀を取り出す。
「貴方は暴れないようにこの人をしっかりと押さえておいてください」
「え? 俺がですか? 他に人は?」
「居ません、容体は一刻を争います。いきますよ」
ヘレンは手術刀を男の左の脇腹に近づけ、一番変色している場所に突き刺した。
腹を刺された男の絶叫が、天幕の中に響き渡る。咥えさせた木の棒は歯形が残るほど噛み締められ、縛られた手足は縄を引きちらんばかりに暴れる。
手術刀がつけた傷口からは赤黒い血が飛び出し、ヘレンの顔や兵士の腕に降りかかる。
男の絶叫と降りかかる血に、兵士が顔色をなくす。激しい戦いをくぐり抜けてきた兵士であっても、戦場以外の場所で行われる命のやりとりには身がすくむのだ。
もちろん怖いのはヘレンも同じだ。これまで王宮で過ごしてきたヘレンにとって、血を見ることは稀であったし、耳をつん裂く絶叫など聞いたこともなかった。しかし呆けてなどいられない。
「しっかり抑えて、暴れられると治療できません」
ヘレンは顔にかかった血を拭うことなく、兵士に指示を出す。
「あっ、はい。わかりました!」
兵士は頷き、男の体に覆いかぶさるように全身で押さえつける。ヘレンは手術刀を操り、男の腹部を丁寧に切開する。
男の悲鳴が響き渡り、血が溢れ出す。声も血も恐ろしかった。しかし怪我をした相手のことを思えば、怯えてなどいられない。少しでも早く、正確に治療することこそ第一だった。
腹部を切開していくと、血と肉の間に肋骨が見えた。骨には鉛色の突起が突き刺さり、骨を砕いていた。更に折れた骨が内臓に突き刺さっていた。
「やっぱり鏃が残っている」
ヘレンが骨に突き刺さった突起を確かめると、それは矢の鏃だった。
「除去します。痛むからしっかりと抑えていて」
兵士に忠告すると、ヘレンは手術刀を桶に置いて、代わりに異物を掴む手術鋏を手に取る。そして肋に突き刺さった鏃を手術鋏で掴み、強引に引っ張る。
天幕を震わせるほどの悲鳴とともに、鏃が引き抜かれる。
鏃を除去した後、ヘレンは内臓に突き刺さった骨を引き抜く。傷ついた内臓からは血が流れ出る。
鏃を取り除き、内臓に食い込んだ骨を除去したが問題はここからだった。
切開された腹部に砕けた骨。内臓は傷つき血管からは出血が続いている。血が大量に流れ出たため、治療台に縛り付けられた男の顔は蒼白となり、今にも死にそうだ。
「おい、大丈夫か、おい! ヘレン王女、大丈夫なんですか!」
手足を抑えていた兵士がヘレンを見る。兵士が動揺するのも当然だ。これだけの大きな傷となれば、並の癒し手ならば数人は必要になる。
「大丈夫です、任せてください」
ヘレンは顎を引いて請け負った。尤もヘレンの癒し手としての実力は、平均より少し上といった程度だ。故郷のヘイレント王国では聖女だなどと祭り上げられていたが、これは国威高揚のための宣伝でしかない。
かつての自分なら、こんな治療一人では無理だと逃げ出していただろう。だが勢いで大見えを切ったわけではない。かつての自分には無理でも、今の自分になら十分可能だった。
「治療を始めます」
ヘレンは臆することなく治療を開始した。