第三十八話 聖女の決意
ライオネル王国の王城では、毎日のように宴が行われていた。
煌びやかな装飾で彩られた会場には、美しく繊細な旋律が流れ、着飾った紳士淑女が集う。
まさに天上のような世界。その中心にいる聖女エリザベートは、まさに有頂天と言えた。
事実、エリザベートに比肩する女性は、この国には一人としていなかった。
教会が公式に認定する聖女だっただけではなく、魔王を倒した王子の仲間として、現在の英雄にも数えられている。さらに功績が認められ、帰国後には王子と婚約。先月にはついに挙式をし、王子の妻となった。
誰もが私を讃え、覚えをよくしようと贈り物を競い合い、こびへつらい頭を下げる。
これほど楽しいことはなかった。
しかもそう遠くない未来に、王妃となりこの国さえも手に入るのだ。
王子の御父上、現国王陛下は高齢となり、今は病に臥せっている。
毎日陛下を癒しの技で回復する事が日課となっているが、いくら聖女であっても老衰までは治療できない。その日一日の体力を回復しているだけだ。いずれそれも追いつかなくなるだろう。王の死は近い。
そうなれば名実ともに、この国は王子と私のものとなる。
笑いが止まらないとはこのことだった。親に捨てられ孤児院で育てられたこの私が、一国の王妃となるのだから。
この喜びを分かち合う、王子がここにいないことが不満だったが、さすがにそこは我慢するしかなかった。
国内にはびこる魔王軍の残党を退治するため、王子は軍を率いて出陣成された。王子なら必ず敵を撃破して勝利をもたらしてくれるはずだ。戦勝記念のお祝いを、今からどうするかと考えておかねばいけなかった。
やはりこれまでにない盛大なお祝いとしなければいけない。それにもしかしたら、そのお祝いにもう一つ花を添えることが出来るかもしれない。
王子は早く帰ってこないかしら。
お腹に手を当てながら、エリザベートは薔薇色の人生に浸った。
「エリザベートや」
枯れた声に現実へと引き戻される。
見ると救世教の実質的指導者、ファーマイン枢機卿長がいた。
教会を代表する人物であるだけでなく、孤児であった私を見出し、聖女として認定してくれた親代わりでもある。
「あら、どうされたのお父……いえ、枢機卿長」
王子と結婚し、私はもう王家の人間。枢機卿長とは公私を分けていかなければならない。それにいつまでも父親面されても困る。
「何かあったのですか?」
枢機卿長の表情はやや硬い。
「エリザベートや、よくおきき。王子のことだが……」
枢機卿長はそこで言葉を区切り、もったいつけた。
「なんですの? 早く言って。王子がどうしたの? まさかもう敵を倒して、凱旋されるの?」
まだ出陣されて半月とたっていないが、もう勝ってしまわれたのかもしれない。だとすると大変だ。お祝いの準備が間に合わない。
「それがな、戦場で王子が負傷されたそうだ」
最初、枢機卿長の言葉が飲み込めず、何を言っているのかわからなかった。
次第に言葉の意味が飲み込め、同時に体から血の気が引いていった。
「お、王子は、ぶ、無事なので?!」
枢機卿長の肩をつかみ、揺さぶるように確かめた。
「安心おし、王子は無事だ。生きておられる。敵将と一騎打ちに臨まれ、重傷を負われたものの一命をとりとめられた。現在は傷を治療しておられるそうだ」
一安心と言いたいが、こうしてはいられなかった。
「すぐに、すぐに王子のもとに向かいます!」
怪我をしたのならば癒し手の力がいる。王子の軍中には優秀な癒し手が何人も随行しているが、ほかの者に任せてはいられない。王子の傷は私が治す。
すぐにでも出立しようとしたが、枢機卿長に止められた。
「お待ちなさい」
「なぜです、王子が心配でないのですか」
王子の生死は枢機卿長にだって重要なはずだ。私と王子が結婚したことで、教会の力はかつてないほど高まっている。いま王子がいなくなれば、教会にとっても大きな痛手となるはずだ。
「もちろんだ、だからこそ、お前には伝えておかなければならないことがある。王子の負傷だが、これには裏がある」
「裏? 何の裏です?」
訪ね返すと、枢機卿長は鈍いと顔をしかめた。
「軍部の陰謀だ。軍部が王子の謀殺を画策した可能性がある」
「謀殺? 軍部が王子を殺めようとしたのですか?」
「声が大きい。落ち着きなさい。王子は敵との一騎打ちに敗れた。負傷は全て魔族の手によるものだ。しかしそうなるように軍部が仕向けたのだ」
それから枢機卿長は長々と話していた。
王子が将軍を更迭したことや、軍部との軋轢。兵が意図的に退却し王子が孤立、窮地に陥ったことなどを教えてくれたが、半分も耳に入らなかった。
「聞いているのかエリザベートや? もはや軍部は信用出来ん。王子の助けとなることが出来るのは儂ら教会だけじゃ。お前はしっかりと王子を助けるのだ。これ、聞いておるのか? しっかりせい」
枢機卿長が何度も声をかけたが、頭がぼうっとして働かなかった。
さっきまで天国にいたのに、今や地獄の底に向かって落ちている気分だった。
今のこの身分と生活は、王子の存在があったればこそ。いまの自分には何の権限もなく力もない。王子が死ねばすべてが失われる。それにその王子すら、佞臣に裏切られ、暗殺される危険があるのだ。
王子と結婚し、盤石に思えた足場が、これほどまでに脆いガラス細工だったことが信じられなかった。
不意に周囲にあるドレスや宝石、豪華な食事の数々がガラクタに思えてきた。まるで戯曲の背景に描かれた絵のようだ。
煌びやかなドレスも、色とりどりの宝石も、立場を失えば何の価値もない。
称賛の言葉を浴びせる貴族の紳士淑女たちも、裏で何をしでかすかわからない怪物に思えた。
王子がいなくなれば、これらすべてを失ってしまうのだ。
いや、私が失うのはいい。今やこれらはガラクタと変わらない。でもこの子は?
エリザベートはお腹に手を当て、そこに宿る命を確かめた。
まだ正確にはわかっていない。
王室付きの侍医も懐妊したと正確には診断できなかったため、王子にもまだ言っていないが、エリザベートには確信があった。新たな命を授かったと。
もし王子が死んでしまえば、この子はどうなってしまうのか?
子供のことを考えると、別種の恐怖が体を突き抜けた。
自分の身は自分で守れるが、この子はそうはいかないのだ。
「王子、王子のところに向かいます。すぐに馬車を用意してください」
「ああ、そうするがいい。しかし油断するな。信用できるのは儂ら教会だけじゃ」
枢機卿長がしわがれた声で念押しした。
不安にさいなまれる中、馬車を飛ばし戦地へと赴くと、陣中では将校の首がさらされていた。
並んで蠅がたかる生首には目もくれず、エリザベートが王子の天幕に飛び込むと、丁度着替え中だった王子が服を脱ぎ、背中を向けていた。
「王子、ご無事ですか?」
「ああ、なんだ、エリザベートか。早いな。無事だという知らせは届いていただろう。ほら、この通りだ」
王子は着かけていた服を脱ぎ、上半身裸となって腕を曲げ、二の腕に力こぶを作って見せる。
「怪我はありませんか?」
言葉を信じられず、自分の目で見て確かめる。さらに内臓や骨に異常があってはいけないと、癒しの技を念のためにかけておく。
「おいおい、大丈夫だと言っただろう。しかし心配をかけたな」
「死にかけたと聞きました」
「ああ、不安にさせたくはなかったが、それは事実だ。確かに死ぬかと思った。よく生きていたものだ」
報告では、王子は敵との一騎打ちの際に弾き飛ばされ、空を飛んだとさえ聞いている。五体さえ満足ではなく、一時は死んだとさえ言われ、訃報すら流れたのだ。
「私には神の加護と、君がいるからな。あの程度では死なん」
王子の言葉と、暗殺が未遂に終わったことにようやく安堵できた。
「不足していたのは側にいた騎士たちの勇気だ。あの臆病者ども、王子である私を置いて逃げよった。だが安心しろ、臆病者は斬った。これで大丈夫だ」
「王子?」
裏切られ、死にかけたというのに、あっけらかんとした言いようにエリザベートは愕然とする思いだった。
駄目だ、この人は気づいていない。
ほかの誰でもなく自分が殺されそうになったのに、事の重大さを理解していなかった。裏切られたことに気づいてすらおらず、更迭した将軍が糸を引いている事もわかっていない。
この人に任せていてはだめだ。
悪い人ではないが、自身に降りかかる危機に気づけない。もう自分一人の体ではないというのに、あまりにも無防備すぎる。
「王子、だれか信用できる人はいますか? これはという人です」
誰かほかに、王子を助け守ってくれる人が必要だった。
「なんだ、王宮が不安なのか? 安心しろ、我が国に不届き者はおらん。特に王宮の文官武官たちはみな忠誠を誓った者たちばかりだ。貴族や諸侯たちもみな王家に忠誠を誓って居る」
「王子!」
そうではないと言いたかった。
確かに王国には優秀な文官や武官が数多くいる。忠誠を誓う大貴族も多い。しかしもはや誰も信用できなかった。
口では忠誠を誓っていても、腹では何を考えているかわからない。そもそも裏切った将軍でさえ忠誠を誓っていたではないか。
「あと親戚のアラタ兄やいとこのアーカイトなどもひとかどの人物だぞ。今度紹介しよう」
王子は肉親を紹介してくれるといったが、彼らこそ最も信用できない相手だった。王子がいなくなれば、もっとも得をするのは彼らだ。なぜそれが理解できない。
王子の甘い考えに、歯噛みする思いだった。
こうなると唯一信用できそうなのは、王子の父君であらせられる国王陛下だけだ。しかし陛下は臥せり明日をも知れぬ命、私たちを支える後ろ盾は、あまりにも危うい盾だった。
陛下が崩御されれば、自動的に王子が国王となる。ついこの間まではそれを望んでいたが、この状況で王子が国王となって、うまく国を運営できるとは思えなかった。
「あとは君の父親代わりであるファーマイン枢機卿長も頼りになるしな」
王子は枢機卿長の名前を出す。
「それは……そうなのですが」
確かに教会と枢機卿長は信用できる。父親代わりではあるし、何より私と王子の存在が教会の利益にもつながるからだ。
しかし枢機卿長をよく知るだけに、無条件で肯定できなかった。
枢機卿長は強欲と権力欲の権化である。
若いころから教会内の政治闘争に明け暮れ、歯向かうもの全てを失脚させてきた。
私たちが自分の利益になるうちはいいだろうが、もしひとたび敵対すれば、容赦をしないだろう。
居並ぶ家臣や王族。父親代わりの枢機卿長ですら、信用できなかった。肝心の王子も頼りにはできない。
絶望に覆われ、視界が暗く成る思いだった。すがる者すらおらず、助けを乞う相手もいない。
どうしようもない窮地に押しつぶされそうになり、反射的にお腹に手を当てた。
お腹に当てたぬくもりが、冷え切った手に温度と勇気を与えた。
それは絶望の暗闇の中、か細い火となり私を照らした。
火は覚悟となり、体中に力がいきわたり、冷え切った手足に活力が戻る。
私がやるしかない。
誰も頼りに出来ず、信用できないのならば、私がやるしかなかった。
何をして、どうすればいいのかもわからないが、頼りにできるのは自分だけだからだ。
「どうした? エリザベート?」
王子が私の変化に気づくが、その意味までは理解せず、ぼんやりとしていた。
まずは王子からだ。何よりも王子の身を守らなければならない。王子を守り、この戦を勝利に導く。すべてはそこからだった。
次回投稿は一週間後とします
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