第四話 落日と昇陽
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王冠を戴く太陽の旗の下で、ヒュースは跪きながら地面を見下ろしていた。視線の先には、白髪の老人が仰向けに倒れている。赤い天鵞絨の外套を纏い、傍には宝石がちりばめられた王冠が転がっていた。この倒れている男性こそ、ヒュースの父であり第十四代ヒューリオン王その人だった。
太陽王と称えられ、列強に名を馳せた人物である。だがその命は、今まさに失われようとしていた。
赤い天鵞絨の外套は血に塗れ、赤黒く変色していた。ヒューリオン王の周囲には、三人の癒し手が懸命に治療を行なっている。しかしヒューリオン王の状態は良くなるどころか、顔色は紙のように白くなり、色艶は時を追うごとに失われていった。
ヒュースには治療や怪我のことなどわからない。しかし癒し手達の様子を見れば、父であるヒューリオン王が助からないことは見てとれた。
このままでは父は死ぬ。だが肉親を失うことに対する悲哀は、ヒュースにはなかった。
元々親子関係は希薄で、ヒュースは父と話したことがほとんどない。さらに言えば父は、いや、ヒューリオン王は碌でもない人物だった。王位を餌に息子達を競わせ、骨肉の争いを生み出した。そして最後にはヒュースの兄達を謀殺し、自分の弟すら手にかけた。この男にとって我が子や兄弟ですら道具なのだ。まさに最低の男であった。しかし……。
ヒュースの周囲は、泣き声で埋め尽くされていた。集まったヒューリオン王国の兵士達が、王の死を前にして涙しているのだ。
実の子が父の死を悲しんでいないのに、血のつながらぬ他人が涙し、悲嘆に暮れていた。それほどまでにヒューリオン王は、国民や兵士達に慕われていたのだ。
絶望に打ちひしがれる兵士達を見て、ヒュースは唸った。
ヒューリオン王国といえば、人類最大の国家と言われている。その兵士達が弱卒のはずもなく、一人一人が勇猛果敢な精兵ばかりだ。しかし大陸に名を馳せた軍勢が、今やメソメソと迷子になった子供のように泣いているのだ。
情けないと言うより哀れであった。誰かがこの者達を導いてやらねばいけなかった。
跪いていたヒュースは立ち上がり、背筋を伸ばした。そして涙する兵士達に向き直る。兵士達は烏合の様に集まり、俯いている。
「王子、我々はどうすれば……」
「整列だ」
ヒュースの言葉に、悲嘆に暮れていた兵士が驚く。ヒュースは睨みつけて再度声を張り上げた。
「王の御前である! 背筋を伸ばして並べ! 総員整列!」
ヒュースに兵士を率いた経験はない。この命令の仕方が正しいのかも分からなかった。だが言うしかない。命令できるのは自分しかいなかった。
「我らはヒューリオン王国だ、どのような時であっても醜態をさらすことは許されない! ヒューリオン王国の兵士であれば整列せよ! 胸を張れ! そこ! 立たんか!」
ヒュースは兵士達を叱咤し、並ばせ、無理やり立たせる。ヒュースの叱咤に兵士達は戸惑いながらも列を作り、背筋を伸ばす。
整列する兵士達は胸を張りながらも、顔には涙を流していた。だがどれほど悲しもうとも、命ぜられれば動く。良い兵士達だった。
「……ヒュースよ」
兵士達を整列させたヒュースの足元から、声がかけられる。振り返り視線を向ければ、横たわるヒューリオン王が翡翠の瞳をヒュースに向けていた。
「王、いけません。おしゃべりになられては」
治療する癒し手がヒューリオン王を止めようとする。しかし王は首を横に振って拒否した。
「治療はもうよい、やめよ。無駄だ」
ヒューリオン王は治療すら拒否したが、癒し手達はそれでも治療を続けた。
「もうよい、よいのだ……」
ヒューリオン王の諦念した言葉に、ついに癒し手達は手を止めて涙する。
「ヒュー、スよ、近こう、寄れ……」
動けぬヒューリオン王は声だけで招き、ヒュースは王の前で跪いた。
「こうなっては、仕方が……ない」
ヒューリオン王は息も絶え絶えとなりながらも、口を動かした。
「余が……死んだ、後は、其方が、王位を継ぐ、のだ……第十五代、ヒュー、リオン王は、其方、だ……」
ヒューリオン王の後継指名に、周囲にいた兵士達が驚きの声をあげる。
「……わかりました」
ヒュースは静かに頷いた。
正直、自分に王としての仕事が務まるとは思わなかった。ヒュースは王となるための教育を受けてはいない。内政に軍事に外交に、何も分からない。だがことここに至っては、拒否は出来なかった。誰かがこの兵士達を導かねばいけない。
「ヒュースよ……『声』は……まだ、聞こえるか?」
ヒューリオン王の言葉に、整列する兵士達が嗚咽を漏らす。兵士達は王が自分の声すら聞こえなくなったと思ったのだろう。だがヒュースだけは、その言葉が意味することを理解した。
ヒュース以外は誰も知らない秘密だが、ヒューリオン王には天から与えられた『天啓』と呼ばれる奇跡の力を持っていた。その効果は天から囁く声が、常に正解を教えてくれるというものだった。
妄想としか聞こえないような話だが、この現象は事実であった。その証拠にヒュースにも『天啓』の声は囁きかけ、操ろうとしていた。
「いいえ、『声』はもう聞こえません」
ヒュースは首を横に振った。
一度は聞こえた『声』であったが、ヒュースは『声』を邪悪であると判断し従わなかった。そして『声』はヒュースに愛想をつかしたのか、もはや囁きは聞こえなかった。
「そ、うか……ならば、良い……二、度と……『声』には従、うな……お前は、自、分の……道を、進め……」
ヒューリオン王の、父の言葉にヒュースは頷く。
「私も……そう、すれば……よかった」
ヒューリオン王は諦念と共に息を吐いた。緑の瞳が閉じられ、側に控えていた癒し手が目を伏せて首を横に振る。その仕草を見て、ヒューリオン王国の兵士達が咽び泣いた。
太陽王とまで称された、第十四代ヒューリオン王が息を引き取った。太陽は沈んだのだ。
「任されよ、父上。あとは私が継ぐ」
嗚咽が響き渡る戦場で、ヒュースは静かに宣言した。