第三十七話 ダカン平原での決戦⑥
ダカン平原。
ライオネル王国北西に位置する平原は、かつては放牧された家畜が草をはみ、風がそよぎ小川が流れ、虫が跳ねる牧歌的な世界だった。
しかしかつての情景はもはや記憶の中のものとなり、今はただ死と破壊が吹き荒れた戦場となり果てていた。
緑の平原には数万にも及ぶ人と魔族の死体が積み重なり、家畜のいななきは死を前にする者のうめき声にとって代わり、飛び交う虫は死体にたかる蠅のみだった。
大地は爆裂魔法の破壊でえぐれ、流れ出た血は川となり、池を作るほどだった。
魔王軍特務参謀であるギャミは、地獄の園のごとき戦場を、わずかな護衛のみを引き連れて歩いていた。
杖を突く身でありながら、その歩みは軽く、体を弾ませている。
「よきかなよきかな」
あふれる死骸を見て、ギャミは満足にうなずく。
「死ねばよい、殺せばよい。それが兵士の本懐よ」
死と慟哭を飲むように眺め、異形の竜は生き生きと瞳を輝かせていた。心なしか若返っているようにさえ見える。
唄でも歌いそうな上機嫌の中、ギャミの足はひと際ひどい戦場にたどり着いた。
そこは巨大な穴となっていた。
どれほどの破壊が吹き荒れたのか、平原の中に巨大なすり鉢状の穴が出来上がり、地形すら変化していた。
穴の中はさらに死屍累々。地獄の園のごとく死体が積み重なり転がっていた。
「ほほ、これはひどい。まるで死体のひき肉だ」
ギャミの言葉に、お付の護衛達も顔をしかめる。しかし的確な表現でもあった。
転がる魔族の死体は腕も首も切断され、胴どころか、頭から真っ二つに両断されている死体すらある。
一方人間の死体はさらにひどい。どのような力が込められたのか、引きちぎられ潰され捻じ切られている。まるで加減を知らぬ子供が、遊び散らかした後のようだった。
「ほほ、においもすごいぞ、鼻が曲がりそうだ」
穴を下り中に入れば、臓物の臭気に血の匂いがこもり、戦場に慣れた兵士であっても、顔をしかめるほどだった。
たどり着いた穴の奥底では、巨人が横たわっていた。
ガリオスである。
魔王軍にあって最強の名をほしいままにする男は、今や意識なく四肢を放り出し、天を仰いでいた。
力がみなぎっていた手足は黒く焼け焦げ、左手の爪は吹き飛び、右足の太ももには折れた槍が今も突き刺さっていた。
特にひどいのは胸だ。並みの魔族では着ることすらできぬ特大の胸鎧が、袈裟懸けに両断され大きな傷跡となっている。
倒れ伏すガリオスを見て、ギャミは視線を上や下へと巡らせたあと、思いついたように眉を跳ね上げ、短い手を胸に当てた。
「ああ、ガリオス閣下、このような場所で死んでしまわれるとは、数々の武功ももはや土くれ。魔王様の悲願も果たせず、我ら魔族に一片の希望なし。かくなる上は死せる閣下の後を追うのみ。嗚呼、なぜ死にたもうたか、閣下に死なれては、もはやわれらによるべき大樹なく、ただ閣下の死を嘆き死を悼み、その死を」
ギャミは唄うように死を連呼する。
その声を聴き伏していたガリオスの瞳がかっと見開いたかと思うと、上半身が起き上がり、天を裂くほどの大声で叫んだ。
「うるせぇ、だれが死ぬかぁぁぁ!」
戦場すべてに響かんばかりの大音声。お付の護衛達はあまりの大声にのけぞるほどだったが、その声を面前で浴びせられたギャミはきょとんとしており、悪びれもなく言葉をつづけた。
「ああ、閣下。生きておられたので?」
「あったりめぇだろうがぁぁ! 誰が死ぬか!」
「閣下の生存を知り、このギャミ感涙に耐えませぬ」
「そーいうことは涙一つ流していいやがれ!」
落雷のごとき声を浴びせられるが、ギャミはどこ吹く風とばかりに無視して周囲を見回す。
「それで、このようなところに倒れられていたということは……その、まさか……もしかして……負けられたので?」
「誰が負けるかぁぁぁ! お前イジメんぞ」
「では王子の死体は? まさか粉々に砕いたとでも?」
周囲に王子の死体はなく、その痕跡もなかった。
「ああ、あいつならあっちだ」
ガリオスは吹き飛んだ左の指を空に向けた。
ちぎれた指はすり鉢状の穴の淵を超え、丘に布陣した人間の本陣を指していた。
「最後の一撃で、あいつをあっちにぶっ飛ばした」
指の先では、陣地にあった天幕が倒壊し、兵士が集まり騒いでいるのが見える。
「あそこまで飛ばされたのですか、怪力とは存じておりましたが、いやはや」
「こっちも偉くやられちまったけどな」
「それで、殺したので?」
「さぁな、手ごたえはあったが、死体を確認しようもない。でも死んでるだろ」
「まぁ、そうでしょうな」
万が一生きていたとしても、五体満足で済むはずがない。
「どうです、手ごわかったですか?」
「ん? ああ、まぁな。俺の得物もこんなにされたしな」
ガリオスは右手に握っていた棍棒を見せた。
ただの金属の塊ともいえる大棍棒だった。ガリオスでなければ振るうも叶わず、力自慢の魔族でも三人がかりでようやく運べる代物である。
数多の戦場を渡り歩き、岩を割り大地を穿った棍棒だったが、それが今は半ばから断ち切られ、半分となっている。断面は鏡のように輝き、角に指を滑らせれば切れそうなほどだ。
ガリオスは長年の相棒を投げ捨て、割られた胸鎧を力任せにはぎとる。
鎧の下では大きな傷跡が胸を走り、腰にまで達していた。
傷跡には桃色の肉が見え、骨まで覗いているが、ガリオスは顔に痛痒の表情さえ浮かべなかった。
並の魔族なら致命傷の深手だが、ガリオスは気にせず起き上がる。足に突き刺さった槍を抜き、服の切れ端で乱雑に傷口をぬぐうと、傷口からはすでに出血が止まっていた。
「ぬん!」
歯を噛みしめ唸ったかと思うと、筋肉が膨張し傷口の肉が盛り上がり、大きく切り開かれた胸の傷が閉まる。指からも出血が止まり。撃ち抜かれた脚の傷もふさがっている。
周りの兵士たちも驚く生命力だった。
「さすがはガリオス閣下。まさに不死身ですな。魔王様と喧嘩をされた時のことを思い出します」
「ああ、あんときはマジ死にかけた」
「魔王様と喧嘩をして生きていられるのは、閣下ぐらいのものですよ」
「それなんだが、ギャミよ、あの王子はマジで兄ちゃん殺ったのか?」
ガリオスは疑問符を口にした。
「あの王子が魔王様を倒したと、人間どもは申しておりますが、お気に召しませんでしたか?」
「いや、強かったよ、フツーに強かった。多分ガレより強い。でもなんつーか、あの程度で兄ちゃん殺れるとは思えねーんだけど」
ガリオスは大きな首をかしげる。
「さて、私には何とも。戦場の動きであれば答えられますが、こと、個人の武勇や力比べは私の不得手とするところですから」
ギャミは不自由な体を広げるように見せた。
「しかし、戦いには相性や駆け引き、微妙な機微というものがあるのでは?」
「そうだな、まぁ、どうせ死んでるしもういいか」
自ら言い出した疑問をすぐに投げ出し、ガリオス簡単に決着をつけた。
「で、次はどーするんだっけ? 王子と戦えたから、一応お前の言うことも聞いてやるよ。そういう約束だったしな」
「では魔王を僭称する第三軍のバルバルを誅していただきたい」
ギャミはようやく本来の目的を口にした。
「そーすれば三軍の兵がついてくるってか? ほんとにうまく行くのか?」
「閣下の力がありますれば、兵はついてきましょう」
「言っとくが、弱い奴を仲間にするつもりはねーぞ」
ガリオスはわがままだ。敵も味方も自分の好みのものしか選ばない。
「ローバーンの軍に組み込むだけですのでご安心を。とにかく一度ぶつかり合い、弱いところから吸収しなければなりませんゆえ」
「で、第三軍からか。わかった。バルバルの軍はどこにいるんだっけ?」
「東です。ハメイル王国という国ですな」
ギャミが地図を取り出して第三軍がいる場所を指し示した。そのわずか下にはカシューと書かれた地があった。
「じゃ、途中の人間ども蹴散らして進軍するか」
「はい、破壊と殺戮の限りを尽くし、どこまでも突き進みましょう」
ギャミとガリオス。いびつな竜たちが笑っていた。




