第百話 ロメリアを守る者達
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「……様! しっかりしてください、ロメリア様! 誰か馬を! 馬を持ってきて!」
悲痛な声に私が目を開けると、秘書官シュピリが私に肩を貸し、必死に前へと歩いていた。
「シュピリ、さん?」
「ああ、よかった! 気が付いたのですね! 誰か! 馬を、馬を! 早く!」
シュピリが後ろに叫ぶ。私も振り返り見ると、大きな穴の底にいるガリオスと目が合った。ガリオスの周りには、多数の兵士の死体が転がっていた。兵士達は弓や弩を捨てて、剣でガリオスに向かって行く。だが彼らでは時間稼ぎにもならない。棍棒の一振りで殺されていく。
「駄目です、逃げなさい! 逃げて!」
私は叫んだが、声は届かず、兵士達は次々に殺されていく。
「ロメリア様! ご無事ですか! この馬に乗って逃げてください! 早く!」
馬に乗った一人の兵士が私の下にやって来て、私を馬に乗せようとする。だがその時、空気を切り裂く咆哮が響き渡り、馬が驚き暴れて逃げて行ってしまう。
「いいや、逃がさねぇ」
穴から怪物が顔を出す。咆哮をあげたガリオスだった。
その体は血と臓物にまみれ、まるで母の腹を引き裂いて産まれてきたかのようだった。
「貴方達、逃げなさい!」
私は目の前にいるシュピリと兵士に命じた。ここで命を散らしても無意味だ。ガリオスの狙いは私一人。シュピリや兵士が逃げても追わないはずだった。
「い、嫌です! 貴方を見捨てて逃げるなんて。出来ません!」
兵士が叫び、懐から布に包まれた黒い物体を取り出す。爆裂魔石だった。
「自爆か? それは効かねぇなぁ。とはいえ、やめろとは言わねー。来い、受け止めてやる」
ガリオスが手招きをすると、兵士は息を呑み、決意を固めてガリオスに向けて突撃していく。私が止める声も聞かず。
爆発が起き、土煙が周囲を覆う。しかし煙を縫って現れたガリオスは無傷だった。
私に肩を貸すシュピリが、なお私を逃がそうとする。しかしもはや逃げることは叶わない。
「シュピリさん。もういい、もういいのです。貴方だけでも逃げなさい」
「駄目です! 私は貴方の秘書官です! 私は最後まで、貴方と共にいる義務があります!」
シュピリは顔をくしゃくしゃにしながらも叫んだ。シュピリの言葉に、私は少し感心した。この秘書官も随分と変わったものだ。なら、最後の仕事を頼もう。
「……分かりました。ではシュピリさん。私の秘書官に命じます。私の最期を見届けなさい」
「それは……はい……」
シュピリが涙ながらに頷く。私は一人で立つと、背後のガリオスに向き直った。
ガリオスは大きな胸板を見せ、棍棒を肩に担ぎ私を見下ろしている。いつでも殺せただろうが、私達の覚悟が決まるのを待ってくれていたのだ。
「お待たせしましたね……」
「うん。意外に落ち着いているな。腹が据わっていて嬉しいよ。泣かれたり、喚かれたりするのが嫌でな。特に女の場合だと、なんか俺が悪者みたいになるからよ」
「私もこれまでに、死ぬような目には何度も遭ってきましたから」
「その割には、簡単に諦めんのな。抵抗しねーの?」
「生き残る道があるのなら足掻きもしますが、さすがにこの状況では、活路がありません」
私は周囲を見回した。穴の底ではカイル達四将軍が倒れている。まだ息はあるようだが、倒れたまま動けないでいる。連れてきた千人の兵士達も、ほとんどが死に絶えていた。生きている者もいるようだが、まともに戦える者はいない。
私は視線をヒュース王子に向けると、巨大な旗を掲げる王子の傍らに、グーデリア皇女がいた。氷結の皇女も、もはや打つ手なしとヒュース王子と最期を共にする覚悟が見えた。
最後にヒルド砦を見たが、東からは、装甲竜に跨がるイザークが、ヒューリオン王国の軍勢を斬り裂くようにこちらに向かって来ていた。そしてその背中を追いかけるように、暴君竜も向かって来る。魔族と竜が切り開いた道を、二万体の魔王軍が追従していた。イザーク達だけではなく、いずれ魔王軍もここに到着する。
「もはや打つ手はありません。貴方の勝ちです」
私は負けを認めた。これまで死ぬような目には何度も遭ったが、ここまで活路がない状況は初めて、いや、二度目だ。カシュー地方で兵を挙げた頃に一度あった。あの時も、もうどうしようもないと諦めた。奇跡的に助かったが、あのようなことはもう起きない。
私が過去を思い返していると、ガリオスが覗き込むように私を見ていた。巌のような鱗に大きな口と牙を持つガリオスは、実にいかめしい顔をしている。しかしその瞳はつぶらで、子供のようだった。
「……死を前にしても、お前の目は変わらねぇなぁ。一体何を見てやがんだ?」
ガリオスの口から、疑問のような呟きが漏れた。
「何がですか?」
「……昔、お前と同じ目をしている奴がいた。最初に俺を真剣勝負で負かした奴だ。にいちゃんもだ。お前らが倒した俺の兄貴も、そいつと同じ目をしていた。強くなったら俺もその目が出来るのかと思っていたが、どうも違うみたいだ。本に書いてあるかと読み漁ってみたが、どこにも答えはねぇ。お前らは何を見てるんだ? どうしたらその目が出来る?」
謎かけのようなガリオスの問いだったが、私はその意味するところが即座に理解出来た。しかし答えることは出来ない。口に出して答えても、文字に書き記しても意味がないからだ。
「貴方は……子供のまま、強くなってしまったのですね……」
私は呆れた。ガリオスの強さは極まっている。武の頂点と言っても間違いではない。そして今ガリオスが問うた答えは、普通ならば頂に至る過程で、挫折と苦難を乗り越えれば自然と身に着くはずのものだった。しかしガリオスは竜の体を持ちながら、その心は子供だった。
童のように邪気がなく純真無垢。それゆえに夢中になって強さを求め、竜の体は彼を最強たらしめた。だがそのせいで、ガリオスは迷子になってしまっている。
「何を聞きたいのかは分かりました。しかしその答えを、私が答えることは出来ません」
「ん? なんだそりゃ、答えは知ってるけど、教えねぇってのか?」
「貴方自身が、見つけるしかないのです。ただ一つ忠告すれば、貴方自身、その答えに気付きかけているはずです」
私の忠告にガリオスは鼻を鳴らした。
「ふん、これだから頭のいい奴は嫌だ。答えを教えないくせに、賢しげに忠告だけはする。俺が答えを見つければ自分の助言のおかげ、見つからなければ俺のせい。そういうことだろ?」
ならばもう用はないと、ガリオスが不機嫌そうに棍棒を向けた。
私とガリオスは敵同士。勝負がついた以上、互いの死以外に決着はない。
「一つお願いがあるのですが?」
「なんだ? 命乞いなら聞かねぇぞ」
「そうではありません。生き残っている者達は、奴隷にしないでもらえませんか?」
私はシュピリをはじめ、兵士達のために嘆願した。魔王軍は捕らえた人間を奴隷にするし、時には嬲り殺しにする。戦争であるため命を取られるのは仕方がない。だがせめて人としての尊厳は守ってあげたかった。
「んなことか。いいぜ、敵を嬲るのは好きじゃねぇ」
「ありがとうございます」
「それはいいけど、お前自身の望みはねぇのか? 誰かに言葉を残すとかさ。まぁ俺に言われても、誰にも伝えてやれねーけど」
ガリオスに問われ、不意に二人の男性の顔が脳裏をよぎった。
アルの燃える炎のような顔に、力強い声。情熱を秘めた真紅の瞳。
レイの透き通った空のような横顔と、涼やかな声。優しさの籠った蒼の瞳。
何故この時になって、二人のことを思い出したのか分からない。分からないが、最後に一目会いたいという気持ちが胸に湧き上がった。しかし彼らがいるのは遠い祖国。無理な願いだ。
「……いえ、ありません」
私が小さく首を横に振ると、ガリオスが棍棒を掲げる。
振り上げられた棍棒を見て、私は目を瞑った。
巨大な棍棒が振り下ろされ、風を切る音が迫る。私は痛みと死に備えたが、痛みと死が来ることはなかった。代わりに目の前で、激しい金属音が鳴り響いた。
「え?」
私が驚いて目を開けると、目の前には二人の男性が立っていた。
左には、炎のような燃える髪に、同じく燃えるような真紅の鎧を着た騎士。
右には、澄んだ空のような髪に、蒼天の如き蒼い鎧を着た騎士。
赤騎士は巨大な槍斧を、蒼騎士は槍を掲げ、二人でガリオスの一撃を防いでいた。