第九十九話 無双のガリオス
あけましておめでとうございます
今年もロメリアともども、よろしくお願いいたします
膝を付いて絶好の好機と、魔法を生み出すグーデリアの手にも力が籠った。だが俯いたガリオスが顔を上げると、その顔には笑みが張り付いている。
「もしかして、やれると思ったか?」
笑うガリオスの言葉に、グーデリアは誘い込まれたことに気付いた。次の瞬間、ガリオスが息を吸い込み、咆哮をあげた。
グーデリアの胃の腑を揺らす特大の轟音。四将軍や兵士達は己を奮い立たせ、なんとか恐怖に耐える。しかし覚悟のある兵士達は耐えることが出来ても、動物である馬には無理だ。ガリオスの咆哮を受けて、破城槌を持つ騎兵の馬脚が乱れ、同時攻撃にズレが生じる。
「一番俺に近いのは……お前!」
ガリオスは棍棒を手離すと、左へと飛んだ。そして迫り来る破城槌を右手で掴み、馬と兵士を薙ぎ倒して奪い取った。
丸太を軽々と振り回すガリオスは、片手で破城槌を持ち、槍投げのように構える。その双眸が捉えるのは、白馬に跨がるロメリアだった。
「そこが! お前らの弱点だ!」
ガリオスが破城槌を投擲する。巨大な丸太が、一条の矢となってロメリアに向かう。
オッテルハイム将軍が戦槌を振るい、投げられた破城槌を掠める。軌道がわずかに逸れ、破城槌はロメリアの足元に着弾した。直撃こそ避けたが、破城槌の先端には爆裂魔石が仕込まれている。破城槌が爆発し、爆煙がロメリアを覆う。
「「「「ロメリア様!」」」」
四将軍達が悲痛な声で叫び、連携が乱れる。
グーデリアは魔法を放つべく、空中に生み出した巨大氷柱に魔力を込めた。だがその時、突撃していた破城槌の一本がガリオスに迫る。ガリオスは巨体に似合わぬ身軽さで破城槌を躱し、右脇に挟んで持ち上げて奪いとる。ガリオスは巨大な丸太を小枝のように振り回し、今度は真上へと投擲した。破城槌が向かう先は、グーデリアが放とうとしていた氷柱だった。
巨大氷柱に破城槌が激突して、爆発を起こす。氷柱が砕かれ、氷の粒が白煙となって周囲を覆い尽した。氷の紗幕を切り裂くように、ガリオスが現れる。その両腕には、残った二本の破城槌が掴まれていた。
ガリオスが両腕を振るい、巨大弩を積み込んだ馬車に向けて、二本の破城槌を投擲する。投げられた破城槌は巨大弩に命中し、爆発する。これで全ての巨大弩が使用不能となった。
四将軍がガリオスに向かう。ロメリアが倒れて攻城兵器もない。だがガリオスの手にも棍棒がない。これが最後の好機だった。
「よくもロメリア様を!」
最初にガリオスに向かったのは、カイルレン将軍だった。対するガリオスは拳を固める。
カイルレン将軍は右へ左へと飛び、自身の影すら置き去りにするような速さで、ガリオスに迫る。グーデリアの目にはカイルレン将軍の姿が幾つにも見えたが、ガリオスは大きな目をぐるぐると動かしカイルレン将軍を正確に捉える。
背後から斬りかかるカイルレン将軍に、ガリオスは素早く振り返り、左の手を返して刃を弾く。そして右拳を突きだし、カイルレン将軍を打とうとする。将軍は上半身をひねって拳を回避し、懐に入り込もうとした。だがガリオスは器用に腕を折りたたみ、左臂を放つ。臂を回避するために一歩下がったカイルレン将軍に、ガリオスは今度は右膝を跳ね上げ、膝蹴りを放つ。カイルレン将軍は後ろに大きく飛んで逃げるしかない。
「どうしたちびっこ、なっがい手足が上手く使えねぇか?」
ガリオスの挑発の声に、カイルレン将軍が顔を顰める。
小兵のカイルレン将軍は、とにもかくにも相手の懐に飛び込まねばならない。相手が巨体であれば、懐に入るのは容易であるはずだったが、ガリオスは巨体に似合わぬ身のこなしで、カイルレン将軍を寄せ付けなかった。
「来ないんなら、こっちから行くぜ!」
ガリオスが声と共に前に出たかと思うと、滑り込むように身を屈め、地面を薙ぐような蹴りを放つ。範囲の大きい蹴り技に、カイルレン将軍は回転しながら宙を飛んで回避する。
「そこぉ!」
宙返りをするカイルレン将軍に対し、ガリオスは両足を大きく広げて旋回させる。そして両手で地面につき、体を跳ね上げて自身も飛ぶ。
ガリオスは空中で身を翻し、カイルレン将軍に向けて蹴りを放つ。いかにカイルレン将軍でも、空中では動けない。丸太のようなガリオスの蹴りを食らい、吹き飛ばされて倒れる。
空中戦を制したガリオスが着地する。だが地面に降りたガリオスは、片膝をついて顔を手で覆った。
「ぐぅぅぅ」
ガリオスの左目には、短剣が突き刺さっていた。グーデリアには見えなかったが、カイルレン将軍は蹴られた瞬間に、短剣を投擲してガリオスの左目を奪ったのだ。
左目の短剣を抜くガリオスに、二つの足音が迫る。グランベル将軍とラグンベル将軍だ。迫る双子将軍に対し、立ち上がったガリオスは何を思ったか、自身の胴鎧の襟元を掴んだ。そして気合と共に、自らの鎧を力任せに引きはがす。
鎧の留め具が飴細工のように千切れ飛び、ガリオスの分厚い胸板が顕わとなる。
ガリオスは右手で、自身の胸を二回叩いた。
「ここだ、ここを狙え!」
避けも防ぎもせぬと、ガリオスは両腕を大きく広げる。
無防備なガリオスの胸に、双子将軍が渾身の突きを放つ。二本の槍の穂先が、狙い違わずガリオスの胸に突き刺さった。
確実に急所に突き刺さった槍に、グーデリアも息を呑む。しかし槍が突き刺さったのは先端だけ、根元まで食い込んでいない。ガリオスの胸を覆う膨大な筋肉が、刃を受け止めたのだ。
必殺の槍を止められ、グランベル将軍とラグンベル将軍の動きが硬直する。ガリオスはその隙を逃さず、大きく広げた両腕を勢いよく閉じた。左右両側から巨大な腕で挟み込まれ、双子将軍は体を強打されてその場に倒れた。
「あーいてぇ」
ガリオスが胸に刺さった二本の槍を引き抜く。さすがのガリオスも口から血を吐き、苦鳴を漏らす。血を流すガリオス目掛けて、戦槌を構えるオッテルハイム将軍が突進する。
ガリオスの手に棍棒はない。左目を失い鎧すら着ていない。
「お前で最後だ、全力で来い」
武器も防具もないというのに、ガリオスは逃げも隠れもしない。
オッテルハイム将軍は、全力で戦槌を振り下ろした。
岩さえも砕くような一撃に、ガリオスは左腕を振るい対抗した。
戦槌と左腕が激突し、ガリオスの腕が砕けた。しかしガリオスは折れた腕で戦槌を払いのけ、一歩前に進む。
オッテルハイム将軍は再度戦槌を振り下ろす。ガリオスは、今度は右腕で受けた。右腕が砕けたが、ガリオスは折れた腕で戦槌を払いさらに前に出る。
ガリオスは両腕を犠牲にし、オッテルハイム将軍に肉薄する。ガリオスの隻眼が戦槌を構える将軍を見下ろす。
ガリオスが頭を上げたかと思うと、落雷の如き頭突きがオッテルハイム将軍の頭に振り下ろされる。将軍の頭は兜に守られていたが、強烈な一撃に兜が割れ、オッテルハイム将軍は白目を剥き、膝から崩れ落ちた。
「全滅……だと」
瞬く間に倒された四将軍を見て、グーデリアは声を震わせた。
ガリオスはこれまでの戦いで、ロメリアの采配やグーデリアの魔法、四将軍の動きを見抜き、攻略の戦術を立てていたのだ。
ガリオスが折れた両腕を掲げて力を籠める。すると骨が動く音が響き、折れた腕が元に戻っていく。胸に開いた二つの穴も、出血が止まり塞がっていた。さらに閉じていた左目を開けると、眼球すら再生した。
「おのれ! 化け物め、うっ……ぐぅ……」
グーデリアはガリオスに手を向けたが、激しい頭痛に魔法を発動することが出来なかった。あと一度くらいなら魔法が使えるかもしれないが、すぐには放てない。
ロメリアはと見れば、ライオネル王国の聖女は、爆発の衝撃で落馬し倒れている。周囲にいる兵士は全て倒れ、赤い服の秘書官が必死に助け起こしていた。生きているのか死んでいるのか、ここからでは分からない。
自身の棍棒を拾い上げたガリオスが、ロメリアにとどめを刺すため穴を登る。そのガリオスに矢が降り注ぐ。残った弓兵や弩兵が攻撃を仕掛けているのだ。しかし弓はガリオスの皮膚に弾かれ、弩は装填に時間がかかる、ライオネル王国の兵士達は弓や弩を投げ捨て、剣を抜いて突撃していく。
ガリオスを相手に、ただの兵士では時間稼ぎにもならない。棍棒の一振りで数人の兵士が肉片へと変えられていく。ほぼ無意味な死である。だがロメリアを逃がすため、少しでも生き長らえさせるために、彼らは行かずにはいられないのだ。
「グーデリア! お前だけでも逃げろ!」
声に振り向けば、国王旗を支えるヒュースがいた。確かにグーデリア一人なら、逃げられるかもしれなかった。
一緒に逃げようと、言ってはくれぬか……。
国王旗を手放さぬヒュースを見て、グーデリアは自嘲した。
一緒に逃げようと言われていれば、きっと自分は皇帝の座すら投げ捨てて、その手を取ってしまっていただろう。言わないでくれたヒュースに、グーデリアは寄り添うように立った。
「おい、何をしている、早く逃げろ!」
「いい、いいのだ。共にいよう」
グーデリアは微笑を浮かべた。だが笑うグーデリアとは対照的に、ヒュースは顔をくしゃくしゃに歪め、翡翠の瞳から涙をこぼした。
「すまない、グーデリア、俺のせいで。こんなことならば……」
ヒュースは悔恨の言葉をこぼす。だが違う。違うのだ。
「泣くな、ヒュース。男前が台無しではないか」
グーデリアは懐からハンカチを取り出し、ヒュースの顔を拭った。
「そうだ、ヒュースよ。泣くでない」
地面からも声が掛けられ、目を向けると、地に伏したままのヒューリオン王がいた。
「泣くな、どのような時でも、王たる者は俯くな」
「しかし父上、もはや打つ手はありません……」
「かもしれん。だがな、まだ終わってはいない。戦場では何が起きるか分からん。何が起きるか分からんのが戦場だ。そしてどうやら、運命はあの娘の味方をしたようだ」
「味方?」
グーデリアが問い返しても、ヒューリオン王は答えなかった。倒れたままのヒューリオン王は空を見上げていた。ヒュースと同じ翡翠色の瞳には、国王旗と青い空が映っていた。