第三十六話 ダカン平原での決戦⑤
敵の陣形の変化を内心喜んでいたが、変わりゆく陣形を見てガレは唸った。
手が読めない。
「おい、ギャミ。これはなんだ?」
すぐにギャミに尋ねた。
戦場で恐ろしいのは、相手の意図が読めないこと。ギャミに助けを求めるのは癪だが、体面を気にして負けるわけにはいかない。
「さて? これは何でしょうか?」
しかし策謀と戦術に関しては、魔王軍随一の男であっても、この陣形の変化を読み切れずにいた。
一見すると敵の陣形は突撃陣に見える。というか、それにしか見えない。
だがこんな単純な戦術、成功するわけがない。だとするならこれは囮で、別の策があると考えるが、単純すぎて策を凝らしようがなかった。
こちらが戸惑っていると、相手はそのまま突撃してきた。
何の策もない、ただの突撃だ。
「おっ? いいじゃんいいじゃん。やっとやる気になってくれた」
一人喜んでいるのはガリオスだけだった。
「しかも生きのいいのがいるじゃねぇか」
言うとおり、確かに突撃陣形で先頭を駆ける騎士は、先鋒を任されるだけあって目覚ましい働きをしていた。
黄金に輝く鎧をまとい、巨大な剣を背に槍を振るうさまは、まさに英雄の如し。対する兵士は紙のごとく切り裂かれ、陣形はいいように食い破られている。
敵はかなり強力な駒を持っていたようだ。だが優秀な将であれば、駒一つで戦場全体がひっくり返らないことなどわかり切っているはずだ。
「おい、行こうぜ、行くぜ、行っていいよな?」
ガリオスが出撃したくてうずうずしていたが、抑えた。
「だめだ、お前はここに居ろ。重装歩兵を前に出して防御を固めろ。後方から矢を放て。こちらからは打って出るな」
敵の突撃には勢いがあるが、単純な攻撃だ。陣を固めて柔軟に受け止めれば耐えきれる。むしろ気になるのは敵の予想外の動きだ。注意を引き付け、別動隊を出しているのかもしれない。
その時手元にガリオスがいれば、不測の事態にも対応できる。
「なんだよ、せっかく来たんだからこっちも突撃してぶつかろうぜ」
子供の意見は無視して、捕虜を取るように命じておく。捕虜が何か知っているとは思えないが、少しでも情報が欲しかった。
しかし日暮れまで戦っても、敵の予想外の攻撃はなく、ただの突撃で終わった。
「いったい何だったのだ、あれは?」
夜に開かれた軍議では、居並ぶ将校たちも疑問符を浮かべていた。
確かに相手の突撃力は大したものだった。多くの将兵が打ち取られ、少なくない被害を被った。
「だーかーら、俺を行かせればよかったんだよ。そうすりゃ潰せたんだ」
ガリオスが叫ぶが、別にガリオスでなくても潰せた。
先陣を切った武将の力こそすさまじかったが、兵たちとは一体感がとれておらず、隙も大きかった。後方を騎兵突撃で遮断し取り囲めば、先頭の武将を打ち取るのには骨が折れただろうが、部隊そのものは楽につぶせる相手だった。
しかしこれまでの戦法から考えて、この程度のことが理解できない相手ではない。こちらの動きに合わせて、何か大胆な手を打ってくるのでは、と考えて防御に徹した。
そう思わせる手だったのか? それとも今日の戦いは撒き餌で、同じ戦法を繰り返し、慣れ油断したところを突くという作戦か?
相手の戦術を考えが、どうにも読めなかった。
居並ぶ将兵に交じって、ギャミも瞑目している。
ギャミですら、相手の手が読み切れないでいた。
答えが出ぬまま会議は続き、軍議では明日以降も同じ手を使ってくるようであれば、こちらは基本戦術に沿って行動し、とりあえず相手の動きに対応する。それで出方を見ようという、消極的な答えに落ち着いた。
まずいことに陥っても、ガリオスがいれば本陣が落ちることだけはない。
本陣で待機することに、ガリオスが文句を言っていたが、相手の手が読めない以上思い切った手は打つべきではなかった。
「失礼します。尋問官より、急ぎの報告とのことです」
衛兵が取次ぎ、天幕の中に尋問官がやってくる。
指示通り戦いで敵の捕虜を取り、尋問をして情報を引き出すことにしたのだ。
「将軍。急ぎ報告すべきことが判明いたしました」
「早いな、もう口を割ったのか?」
捕虜の尋問は基本だが、あまりあてにはできなかった。
大抵の捕虜は嘘をつく。時間をかけて尋問するか、あるいは数多く捕虜を取り、情報をすり合わせ確度を高める必要がある。
早々に口を割ったとするなら、欺瞞情報である可能性が高いだろう。
「はい、私も確信は持てないのですが」
尋問官が困り顔を浮かべるが、それでも報告すべきと判断したのなら、聞くべきである。
「構わん、申せ」
尋問官は重い口を開き、得た情報を話した。
それは驚くべきものだった。
「では、魔王様を倒したという王子が、指揮権を持つ将軍を更迭し、今日の用兵はそいつの采配ということか」
ガレは思わず聞き返してしまった。指揮官が交代していたなど、想像外の話だった。
「そのようです」
捕虜の言葉によれば、自軍の消極的な戦いに王子が激怒し将軍を更迭。自ら陣頭指揮を執ったという。
「本当にそう言ったのか? 通訳を間違えたのでは?」
将校の一人が疑問を口にする。
我ら魔族がこの地に来て三年余り、戦いのために人間どもの言葉は研究しているが、完璧に操れるものは少ない。
「何度か聞き返しましたが、通訳に間違いはありません」
通訳の正しさにおいて尋問官は断言する。こいつらも研究はしているので、間違いないだろう。
「その王子は若いのだろう? これまで軍を率いた経験はあるのか?」
尋問官の言葉を信じて王子のことを訊ねる。
「此度が初陣とのことです」
なんとまぁと、居並ぶ将校たちもあきれていた。
一人前の将になるには、最低でも数十回は兵を率いて戦い、戦争の基礎や戦術を学ぶ必要がある。
特に大軍を率いての戦いは、とにかく経験がものを言う。たとえ軍略の天才児であってもこれだけは埋められない。
ここにいる将の誰もが、最初は十人程度の部隊から始め、少しずつ戦歴を重ねて数を増やしてきたのだ。
初陣の者が歴戦の将軍の戦術を批判し、戦いの最中に指揮をとってかわるなど、兵たちからしてみれば悪夢と言っていい。
「それと」
「なんだ、まだあるのか?」
「此度の戦いで、先陣を切っていたものが、件の王子だそうです」
戦闘で戦っていた武将の姿を思い出す。
「なんと、あれがその王子だというのか?」
「はい、捕虜はそう申しております」
最高指揮官が最前線。
将を取られれば戦争は負けなのである。これも信じられない話だ。
「欺瞞情報ではないのか?」
将校の一人が、当然の疑問を口にする。我々を誘い出す手なのかもしれない。
「その可能性はあります。ですが、とらえたすべての捕虜が同じことを話しています。情報の確度は高いかと」
捕らえた将兵が、更迭された将軍配下の兵であれば、容易に口を割った理由にはなる。
それに考えれば考えるほどしっくりくる。視界を閉ざしていた霧が晴れていくような気分だ。
幼稚ともいえる突撃陣形に、先陣の王子と後続の兵の連携不足。
何か裏があるのかと思ったが、これではっきりした。敵に裏などない。
「暗い」
つぶやいたのはギャミだった。将たちも苦笑いを隠せない。
敵の王子は暗君の様だ。
今日の戦い、確かにあの王子の働きは目覚ましく、魔王様を倒したという話もあながち嘘ではないかもしれない。
単純な戦力だけで言えば、魔王軍でも対抗できるものは少ないだろう。
しかしそれだけだ。将として、王としては落第点と言っていい。
一軍の将が自ら先陣を切る。その意味は大きい。
自ら危険な場所に身を置くことで、兵との一体感を図ることが出来るし、象徴としてふるまうことで大いに士気を鼓舞できる。
また腕に絶対の自信がある者なら、敵陣を突破し戦場の動きを決定づけることが出来るだろう。
危険ではあるが、将軍が先頭に立つ意味合いはある。
しかし件の王子の戦いぶりは、そのどれでもなかった。
あの動きは、ただただ自らの武功を誇り、手柄を見せつけるための戦い。戦場全体を見ておらず、自分のためだけの戦いだった。
「やれやれ、あんな子供とやりあうのか」
一気に疲れが出てきた。
将たる者、戦場での槍働きは駒である兵士に任せ、自身は後方に陣取り、最小の被害で勝利をつかむ方策にこそ腐心すべきだ。自らは槍を持つことなく勝利することこそ、将たる者の最高の手柄であるというのに、指し手が駒となってほかの駒と武功を競うようでは意味がない。
「ガレ将軍。ここは捕らえた捕虜を解放してみてはいかがでしょう?」
ギャミが口を開いた。
「そして明日、王子が突撃してくるのなら、こちらも精鋭部隊をぶつけると教えてやるのです」
「ん? なんだそりゃ?」
ガリオスは理解できなかったが、周りの者はギャミの悪辣な手に笑った。確かに、面白いものが見られるかもしれない。
「なんだよ?」
「気にするな、ガリオス。それより喜べ、運が良ければ明日はお前の出番があるぞ」
「マジか」
子供のようにガリオスが喜ぶ。その様を見てガレも口の端をゆがませた。
この戦、意外に早く終わるかもしれない。
魔王への道が、今一歩近づいた気がした。