第九十四話 ライオネルの聖女
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「やった、やったぞ!」
ヒュースは白い息を吐きながら、歓声をあげた。
ガリオスの体は全身が凍りついている。まるで何千年も前に滅んだ太古の生物が、氷漬けにされているようだ。周りにいる月光騎士団も喜びに沸く。
未だ戦いは終わっていないが、魔王の弟ガリオスを討つという大戦果は、ガンガルガ要塞を攻略した以上の価値がある。ガリオスの死を知れば、魔王軍も戦意を喪失するだろう。あとはいかにして勝つかだ。
ヒュースは勝利の立役者と言える、グーデリアに目を向けた。
グーデリアは大きな魔法を使ったため、辛そうに俯き顔を顰めていた。だがヒュースの視線に気付くと、顔から表情を消して背筋を伸ばした。
やせ我慢と分かっていても、すまし顔の彼女は氷の女王ともいうべき美貌を備えていた。
「浮かれるな、お前達。魔王軍はまだ残っている。月光騎士団三十人はここに残れ。残りはガリオスが連れてきた、魔王軍の掃討に当たれ」
グーデリアが細い指を向けて指示を出し、月光騎士団が素早く動き戦場へと向かって行く。
指示を終えたグーデリアが、銀の髪の下、青い瞳をヒュースに向けて歩み寄る。
「ヒュースよ。言っておくが、お前を助けに来たわけではないぞ」
「分かっているさ」
ヒュースは笑って頷いた。グーデリアは私情で軍を動かすことはしない。それでもここに来たのは、ガリオスを倒す自信があったからだ。ヒュースが助かったのはそのついでだ。
「もちろん、そなたを助けに来たわけでもないぞ、ヒューリオン王よ」
倒れたままのヒューリオン王に、グーデリアが氷の瞳を向けた。ヒューリオン王は身動きすらせず、何を考えているのか分からない。
グーデリアはヒューリオン王から目を外し、ヒュースを見た。その青い瞳には憂いが込められていた。ヒュースもその瞳を見返す。
今は戦時である。色恋にかまけている時間はない。しかし公人であるヒュースとグーデリアが、余人を交えず本音をさらけ出すことが出来る時は、今をおいて他になかった。
「グーデリア、その……」
「ヒュース、私は……」
ヒュースとグーデリアが同時に口を開き、何かを言おうとしたその時だった。かすかな振動と音にヒュースが気付いた。振動と音は徐々に大きくなり、グーデリアや周囲を警護する月光騎士団も気付き始める。
「なんだ? これは?」
ヒュースは不吉な予感を覚え、グーデリアとの話を一時中断して、振動と音の発生源を探した。すると目の前にある巨大な氷山が、小刻みに震えていることが分かった。
氷が溶けて崩れる前兆なのかと、氷山を生み出したグーデリアに目を向けた。その顔を見てヒュースは驚く。常に冷静沈着なグーデリアの顔が強張り、青ざめていたからだ。
「そんな馬鹿な、ありえぬ!」
グーデリアの目は見開かれ、その声は震えていた。
振動と音は大きくなり、氷山に一筋の亀裂が走る。亀裂はさらに増え、氷山が割れ始める。
ここに至ってヒュースは異常事態の原因に思い至った。だがそんなことはありえないと、氷山に閉じ込められたガリオスを見る。
棍棒を掲げるガリオスは、膨大な氷に封じ込められ、完全に死んでいるはずだった。しかし凍てついているはずの目は爛々と輝き、その体はわずかに膨張しているように見えた。
「まさか! 生きているのか!」
戦慄がヒュースとグーデリア、この場に残った月光騎士団三十人の間を駆け抜ける。
氷に閉ざされたガリオスの瞳が、徐々に赤く染まり始める。
「生きている! ガリオスはまだ生きているぞ!」
ヒュースが叫ぶと同時に、残っていた月光騎士団がガリオスに向かって動いた。だがそれは勇敢さからではない。今ここで、この怪物を殺さなければ自分は死ぬと、生存本能が命じたからにほかならない。月光騎士団は恐怖に駆り立てられ、自ら死に向かって行ってしまった。
「馬鹿! 行くな、戻れ!」
「グーデリア! 危ない! 伏せろ!」
月光騎士団を止めるグーデリアに、ヒュースは覆いかぶさった。直後、ガリオスの瞳がカッと開かれる。轟音と共に氷山が真っ二つに割れ、氷の封印よりガリオスが解き放たれる。
氷山より解放されたガリオスの体は、筋肉がはち切れんばかりに膨れ上がっていた。
月光騎士団が三十の刃を向けるが、ガリオスは目を真っ赤に燃やし、高らかに掲げていた棍棒を振り下ろす。身を伏せたヒュースの体に衝撃が駆け抜け、轟音が後から耳を貫く。
ヒュースは痛みに耐えながら何とか起き上がると、目の前の光景は一変していた。
「なっ、なんだ! これは! これを一体の魔族がやったのか!」
ヒュースの目の前には、巨大なすり鉢状の穴が開いていた。
大きく抉られた地面の底では、棍棒を振り下ろしたガリオスが蒸気のような息を吐いている。周囲には月光騎士団や馬の死体が転がり、生きている者は一人としていない。
「そうだ! グーデリア! 無事か!」
ヒュースはかばったグーデリアを見ると、銀の髪を乱してグーデリアも起き上がる。氷結の皇女と称される女傑も、地形を一変させるガリオスの一撃を見て戦慄に震える。
「おお、寒かった。しもやけになるかと思ったぜ」
氷漬けにされていたガリオスが穴の底で、ゴキゴキと首を鳴らしてグーデリアを見上げる。
「ねーちゃんやるな。これだけの魔法を使う奴は、魔族にだってそうはいねーぞ。でも俺のにーちゃんほどじゃねーなー。俺はガキの頃からにーちゃんとよく喧嘩してよ。魔法はよく食らってるんだ。そのせいか魔法はあんまり効かねーのよ」
敵であっても頓着をせず語るガリオスの言葉を聞き、ヒュースは愕然とする。
ガリオスが魔王の実弟であることは周知の事実。つまりガリオスが語る兄とは、魔王ゼルギスにほかならない。伝聞では、ゼルギスは巧みに魔法を操ったと聞く。だが魔王と称される者の魔法でも、ガリオスを倒すことは出来なかったのだ。
気丈なグーデリアが膝をつく。自身の魔法に絶大な自信を持っていた彼女は、その拠り所を失ってしまったのだ。
ヒュースもグーデリアが勝てない相手を、どうやって殺せばいいのか思いつかなかった。
「待て! ガリオス!」
ヒュースが絶望に暮れたまさにその時、希望の光のように凛とした声が響き渡った。
悲報、ガリオス復活
原因はフラグを立てたヒュース