第三十四話 ダカン平原での決戦③
突如伸び出でたる怪腕は、ギャミにめがけて振り下ろされた刃を空中でつかみ取った。
「なっ」
若い将校が剣を動かそうとするが、白刃をつかむ手は一向に揺るがず、進むことも引くこともままならない。
「よぉ、何やってるんだ?」
突き出された腕の脇から、天幕の布をかき分けて巨大な顔が現れる。
その顔を見てガレは目を細めた。
やってきた男は巨体だった。
天幕の入り口は大きく作られているが、それでも頭があたり、身をすくめて入ってくる。男が中に入り背筋を伸ばすと、天幕に頭が付きそうなほどだった。
種族によって個体差が激しい魔族の中でも、ここまでの巨体を持つものはまれだ。
ガレよりも巨大な体躯だが、ただ大きいだけではない。体は全身筋肉の塊のように力がみなぎり、皮膚ははちきれんばかりに張り詰めている。
魔王軍の中にあって、これほどの巨躯を持つものは一体しかいない。
「ガ、ガリオス様」
若い将校は、自分の刃を握る者の相手を見て慄く。しかし当のガリオスは将校も、自分がつかむ刃も見ていなかった。
「よぉ、ガレ、久しぶりだな」
刃をつかんだまま、男は気さくに手をあげて、まるで友人のように声をかける。
ガリオスが指揮する兵団は、現在三百名しかいない。権限を役職に当てはめれば三百竜長といったところ。これはただの部隊長でしかなく、万の兵を指揮する将軍には決して許されない口の利き方だ。
だがギャミ同様、この男もまた魔王軍の中では特別な存在だった。
「兄ちゃんが殺されちまったようだな」
あっさりと口にした言葉に、顔をしかめる。
「お前の兄上であらせられる、魔王様が殺されたと、まだ決まったわけではない」
言葉の通り、ガリオスは魔王様の実の弟にあたる。肉親が魔王様の死を認めたとなると問題になるので、ここは釘を刺しておく
「魔導船が止まって、連絡がない以上殺されたに決まってんだろ」
ガリオスは再度魔王様の死を口にした。思慮もなければ礼節もない言葉だ。
とはいえ、この男の傍若無人が許されるのは、ただ血筋によるものだけではない。
「ガリオス閣下、これは、その、申し訳ありません」
未だ刃を握られたままの将校が、剣を手放し跪いて謝罪する。
「ん? ああ」
刃をつかんでいたのを忘れていたのか、握っていた刃を手放すと、白刃をつかんでいたというのに手に傷痕はなく、逆に握られていた刃はひしゃげ、つぶれていた。
「なぁ? ギャミ、これどうすればいいんだ」
頭を下げる将校を軽く指さすと、ギャミは一瞥もくれなかった。
「お好きなように」
「そうか」
言ったかと思うと巨大な手を振り下ろし、将校の頭にたたきつけた。
虫でもつぶすかような動きだったが、実際、虫のように将校の頭は叩き潰され、頭が体にめり込み足が砕ける。
果物をつぶしたように血しぶきが周囲に飛び散り、ガレの顔にもかかった。
「ああ、ガレ、わりぃ」
笑いながら謝罪してガリオスが手をどけると、将校の体は半分以上が縮みひしゃげていた。
とてつもない怪力である。将校が用いる頑丈な鎧が、体と共に紙細工のようにつぶれてしまっていた。
あまりの怪力に、歴戦の将軍たちすら声も出ない。
魔王軍に力自慢は多いが、これほどの怪力はいない。
純粋な力だけなら間違いなく魔王軍最強の男。兄である魔王様すら、力比べではガリオスにかなわないことを認めていた。
「それで、お前達何をしに来た」
ため息をつき、死んだ将校のことは忘れて問う。
ローバーンは後方の本拠地ゆえ、優秀な軍政官は多く配置されているが、大物の将軍は少ない。皆が手柄を立てるために方面軍に志願し、後方に残っているのは小粒ばかりだった。
それでもローバーンを警戒するのは、この二体がいるからだった。
魔王軍の中にあって異様異質のこの二人。あまりにも不吉な組み合わせだった。
「ええ、実は魔王様の崩御に伴い、方面軍の方々にはいろいろお話がありまして」
ギャミは死んだ将校が座っていた椅子を引っ張り、自分に寄せる。登ろうとするが短い手足が邪魔をして登れず、隣にいる巨体を見上げた。
「ガリオス様、すみませんが」
「ん? ああ」
ガリオスはギャミを子猫のようにつかむと、軽く引っ張り上げて椅子に乗せた。
戦場にあって戦神か悪鬼かと恐れられるガリオスを、自身の介助に使うのはギャミぐらいのものである。
まるでちぐはぐな二人だが、馬が合うらしく、よく一緒にいる。
だがこの二体がそろうのは不吉だった。
しかもそれが敵に対してなのか、それとも味方に対してなのかは、蓋を開けてみるまでわからない。
「で、話とは?」
「魔王様が崩御されました。確認は取れていませんが、生きていたとしても連絡が途絶えた以上、我々が本国に帰ることはできません。よって、我々はこの大陸に魔族の王国を作り上げなければなりません。ここまではよろしいですかな?」
首肯してうなずく。
「問題は誰を王に据えるか、ということです。方面軍を指揮する軍団長の方々は、全員が実力も十分の方々ばかり。誰を王としても異議異論が出ることでしょう。しかしこの事態に魔族同士で争うことこそ愚の骨頂。ならば一つ公平に早い者勝ちで決めてはと考えた次第」
「早い者勝ち?」
「はい、すでに皆さまは軍団を整え、各国に侵攻してきております。ならばこのまま軍を進め、
攻略目標の国を平らげ、最初に支配したものを、われらが長として認める。ここに魔王決定戦をここに開催したいと思う次第であります」
魔王決定戦。
居並ぶ将校たちにざわめきが走る。
「決定戦だと? 貴様。次期魔王を遊びで決めるつもりか?」
一体の将校が問う。確かに、そのような方法で決めていい事柄ではない。
「魔王軍は実力主義。もっとも実力高く、戦功の輝かしい者を認めるのはわれらの習い。ほかの軍団長の方が認めるかどうかはわかりませんが、最も早く国を攻略された方こそ、ローバーンの主にふさわしい実力者であると考えます」
これにもまた将兵たちがざわめいた。
ローバーンが手に入れば守りは盤石。ほかの軍団に一歩も二歩も有利となれる。魔王への近道と言えた。
「なお、首都の陥落、降伏をもって攻略支配したと認定いたします。いかがですかな?」
ギャミの言葉に、ガレは鼻で笑って答えた。
「読めたわ。そうやって軍団長をたきつけ、人間どもとの決戦に挑ませ、敗れた者から兵を吸収しようという腹であろう」
競争に焦った軍団長が、準備も不十分のまま進軍を開始し、手痛い反撃を受けるさまが想像できた。
すでに劣勢の第六軍や、先走って魔王を名乗っている第三軍などはギャミに踊らされ狙い通りの結果となるだろう。
「さすがはガレ将軍。わたくしめの浅知恵などお見通しでござりましたか」
耳障りな声で笑うギャミをにらむ。
「しかしそうなると、ガレ様は不参加ということですかな?」
「まて」
第四軍は慎重に見せかけて優柔不断。逆に第五軍はのらりくらりしているように見せかけて油断ならないが、戦歴的に見れば若輩者だ。魔王を担うには若すぎる。実質第一軍のケルゲラとの一騎打ち。
「勝敗が付いた場合は、他の軍団の説得には協力してくれるのか?」
ギャミではなくガリオスを見る。魔王様の弟にして最強戦力であるガリオスが説得に当たるのならば、ケルゲラは落ちないだろうが、他の軍団長は応じる可能性がある。
「ん? ああ、一応話位はしてやるよ」
自分の長を決める話だというのに、まるで他人事のようにガリオスが話す。
「そうそう、今回の決定戦に際してですが、戦力的に不均衡があるのではと愚考し、ガレ将軍だけ特別な措置を考えております」
「措置だと?」
「はい、何でもこの王子は魔王様を倒したとうそぶいておるとか。魔王様が人間に打ち取れるとは思いませんが、事実だとするなら、ガレ将軍の相手国は特別な難敵となります。多少の不均衡や不平等はこの際無視するつもりでしたが、さすがに魔王様を倒した者がいるとするなら、不公平が過ぎます。そこでガリオス様を派遣し、件の王子を倒す戦力といたしましょう」
ギャミの提案は渡りに船、いやこちらに有利すぎる話だった。
ガリオスは魔王軍最強の兵だが、それ以上にガリオス率いる三百からなる部隊は、間違いなく魔王軍最強の兵団だった。
兵士の中にもガリオス兵団にあこがれる者は多く、ともに轡を並べられると知れば、士気の上昇は間違いない。
それが一時的にとはいえ手駒となるのだから、これ以上ない措置と言えた。
しかしギャミの姦計に騙されない。
「ふん、恩着せがましい言い方だ。正直に言え、そこのわがまま坊主が戦わせろとうるさいのだろう」
ガリオスをみると、巨大な口を広げてニカっと笑った。
「そのとーり。兄ちゃん倒した奴だろ。俺にやらせろよ。な、ガレ」
まるで友人の様に頼み込むようなあけすけな態度に、さすがのギャミも苦笑いを隠せなかった。
どうせこいつが戦わせろと言ってきかず、動かすのに了承するしかなかったのだろう。
「よし、いいだろう。軍においてやるし王子が出てきたら戦わせてやる。ただしお前らひとつずつ貸しだ。忘れるな」
明確な貸しだと言葉にしておく。
「おう、いいぜ」
「しかたありませんなぁ」
ガリオスは気軽に、ギャミは苦渋の表情を見せながらうなずく。
ただの口約束でしかないが、この手の貸し借りというものは大きい。暗黙の了解としての明文化されていないため、言ってしまえばどんな頼みでも一度だけ相手の言うことを聞くということなのだ。
誰かを殺して来いという命令もできるし、戦場で敵として相対し、殺されそうになった時、命を助けろということさえできる。
ローバーンの実質的な支配者であるこの二体を、一度だけでも自由に使えるというのなら、ケルゲラとの決戦で大きな力となる。
魔王の椅子が見えてきた。