第六十二話 ヘレンの悩み①
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朝日に照らされるヒルド砦を前にして、ヘレンは小さくため息を漏らした。
右隣りではガンブ将軍が兵士達に指示を出し、後ろにはベインズが静かに控えている。目の前では兵士達が行き交い、魔王軍が立て籠もるヒルド砦を攻撃する準備を行っていた。遠くからは木を打ち付ける音が響き、騒がしい朝となっている。
昨日ヘレンは魔王軍に包囲され、絶体絶命の窮地に陥っていた。フルグスク帝国の皇女グーデリアがレーン川を凍結させ、救援に来てくれたおかげでなんとか窮地を脱した。死ぬ思いをしたヘレンは、もう戦争なんて懲り懲りだった。早く祖国に帰りたかったが、昨日行われた軍議では、戦争の継続が決定され、魔王軍が立て籠もるヒルド砦を攻撃することになった。
昨日は敵に包囲され、死ぬ寸前だったのに、今は敵を追い詰めている。目まぐるしい状況の変化に、ヘレンは再度息をついた。
「お疲れですか、ヘレン王女」
右隣のガンブ将軍が、長い白髭を撫でながら気遣いの目を向ける。
「いえ、そんなことはありません」
ヘレンは慌てて背筋を伸ばした。確かに疲労はあるが、前線で戦う兵士達のことを考えれば、疲れたなどと言っていられない。
「お疲れと思いますが、兵士達は貴方のことを好いております。手を振ってやってください」
老将軍の頼みにヘレンは頷き、兵士達に目を向ける。忙しく動く兵士達の何人かと目が合う。ヘレンは会釈して軽く手を振る。すると兵士達の中から歓声が上がり、兵士達は元気よく歩いて行く。その光景は微笑ましかったが、一方でヘレンの胸には鈍い痛みが走った。
「さすがはヘイレント王国の聖女。人気者ですな」
「やめてください、ガンブ将軍」
ヘレンは本心で、聖女と呼ばれる事を拒否した。
昨日の戦いを経てからというもの、ヘレンに対する兵士達やガンブ将軍の態度は明らかに変わった。負傷した兵士を助けて回ったことで、兵士達はヘレンのことを聖女と呼び慕うようになった。ガンブ将軍もこれまでは孫娘のようにヘレンに接していたが、今では一定の敬意が言動に見られる。だが自分などが聖女と呼ばれるなど恥ずかしい。それにこうして、兵士達を鼓舞することにも疑問がある。
兵士達はヘレンに手を振られ、元気に進んで行く。だが進むその先は戦場なのだ。自分を慕ってくれている人間を、笑顔で戦地に送り出すことに、ヘレンは大きな矛盾を感じていた。
「ガンブ将軍。戦いの前にこのようなことを聞いてはいけないのでしょうが、この戦争に意味はあるのでしょうか?」
ヘレンに軍事のことは分からない。しかしガンガルガ要塞を落とす手立ては最早ないのだ。これ以上戦っても意味はないように思えた。
「兵の前で言う訳にはいきませんが、私も継戦には反対です。戦略目標であったガンガルガ要塞を攻略出来ない以上、戦争を続ける意味はありません」
「では、何故反対されなかったのですか?」
「反対することが出来なかったからです。ヘレン王女、何故我が国がこの連合軍に参加したかご存じですか?」
「それは……知りません」
ヘレンは戦争に反対していながら、何故自国が今回の遠征に踏み切ったのか知らなかった。
「現在我が国は、魔王軍の攻撃により大きな打撃を受け、深刻な財政難に陥っております。財政難を打開するため、債券の引受先、ああ、つまり金を貸してくれる相手を探していたのです。ヒューリオン王国が手を差し伸べてくれたのですが、その時に持ち出された条件が、此度の遠征です。もし我らが撤退すれば、ヒューリオン王国は金を貸してはくれないでしょう」
ガンブ将軍が教えてくれたことは、初めて聞く話だった。
「借金、そんなことのために……」
「お気に召しませんか?」
「納得は出来ません。……ですが、それが我が国の現状ということですね」
「はい。弱き国、貧しき国は血を流さねばならんのです」
唸るようなガンブ将軍の声に、ヘレンは唇を噛んだ。
ヘイレント王国といえば列強に数えられる国家だ。しかしその内情は厳しく、身を切ることでしか自身を賄えないのだ。
「ですが、ケチな金のために、無駄に血を流させるつもりはありません。戦場の指揮であれば、この老骨にも出来ることの一つや二つはございましょう」
ガンブ将軍は意気軒昂だ。戦争のことは将軍に任せるほかない。
戦場に目を向けると、ヒルド砦を中心に北はフルグスク帝国の軍勢が固め、西にはヒューリオン王国が布陣している。南の円形丘陵の上にはライオネル王国とハメイル王国の旗が翻っている。そして東には我がヘイレント王国の兵士達が整列し、その右側にはホヴォス連邦が陣を並べていた。どの国も準備が整ったらしく、出撃の瞬間を待っている。
ヒルド砦に目を向ければ、木製とはいえ高い外壁の上には、魔王軍の兵士が整列し弓を構えている。魔王軍もすでに準備を完了しており。整列する兵士はピクリとも動かない。
「ふむ、妙ですな」
ヒルド砦を見るガンブ将軍が目を細める。
「何がです?」
「音です。魔王軍は準備万端整え、我らを待ち構えているように見えますが、ヒルド砦からは何やら音が聞こえます」
指摘されてヘレンは耳を澄ませると、確かに砦の方から慌ただしい掛け声や、木を打ち付ける音が聞こえてくる。
「見えるところでは動かず、見えない場所では動く。これは何か策があるということですな」
人生の大半を戦場で過ごしたガンブ将軍は、見えないものを見る目を持っていた。
「魔族は何をしているのでしょう?」
「さて、何を企んでいるかまでは分かりませんが、一当て二当てして探ってみますか」
ガンブ将軍が呟くと、西に布陣するヒューリオン王国から、高らかに喇叭の音が響き渡った。攻撃の合図だ。
次回更新は七月一日金曜日を予定