第五十六話 ギャミの指揮
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魔王軍特務参謀のギャミは、必死に馬にしがみ付き、命からがらヒューリオン王国が建設したヒルド砦に逃げ込んだ。
「ダラス将軍、ご無事ですか」
ギャミは馬から降りながら、自分の前を逃げていた赤い鎧の魔族に声をかける。魔王軍の指揮官であるダラス将軍は、背に矢を受けていた。
「俺は傷を治療する。その間はギャミ、お前が指揮を執れ」
背に傷を負ったダラス将軍が命じる。大した傷には見えなかったが、指揮権を貰えるというのであれば異論はない。ギャミは先程、自分が逃げて来た南門を見た。
南門からは次々に魔族が逃げて来る。場は混乱しており、ここでは指揮が執れない。
「重傷者以外は、北門の前に集めよ! 負傷兵の治療は後だ!」
ギャミは兵士達に命じながら、自身は物見櫓に杖を突いて駆け上った。
物見櫓から戦場を見下ろすと、ヒルド砦の四方にある門のうち、東と西、南の門は開け放たれ、続々と魔王軍の兵士達が逃げ込んで来ていた。ギャミが東と西に目を向けると、東からは太陽の旗を掲げるヒューリオン王国が迫り、西からは月の紋章を掲げるフルグスク帝国が魔王軍を追撃している。ギャミが最後に南に目を向けると、ライオネル王国とハメイル王国、ホヴォス連邦にヘイレント王国が逃げ惑う魔王軍に攻撃を仕掛けていた。
壊走する魔王軍は、人間の兵士達に次々に討ち取られていく。
殺されていく兵士達を見て、ギャミは歯噛みした。この状況はまさにギャミの失態である。まさか人間共が、レーン川を凍結させ反撃に出るとは予想出来なかった。いや、それは予想出来ないにしても、川の水量が減っていたことには気付けたはずだった。
自らの注意不足で多くの兵士を死なせてしまった。またギャミ自身、鈴蘭の旗を掲げた騎兵部隊に追撃されて死にかけた。
幸いなことに、逃げ込んだヒルド砦は木造ながら壁は高く、十万体の兵士を収納可能。ここならば敵の攻撃を少しは凌げそうだった。
「ギャミ! ここか!」
大きな声と足音を響かせて、二体の魔族が物見櫓を登ってくる。ガリオスの息子であるガオンとガストンであった。二体は敵の攻撃を受けたのか、ガオンの背には三本の矢が突き刺さり、ガストンは腕から血を流していた。
「手傷を負われましたか、おい、誰か、手当てを!」
「いらん! この程度かすり傷よ!」
「我らは戦神ガリオスの子! 放っておけば治るわ!」
ガオンとガストンの声には力があり、傷を負ってなお戦意をたぎらせ、東と西の戦場に目を向ける。つられてギャミも目を向けると東と西から、黒煙が上がり始めているのが見えた。
「ん? 火の手が上がっているのは、人間共の陣地ですか?」
円形丘陵の周囲には、人間達の陣地が残されていた。火の手はそこから上がっている。
「ああ、逃げながら、火を放っておいた。妨害になるかと思ったのだが」
「火を消しに行かず、我らの追撃を優先しおった」
ガオンとガストンが唸る。しかしギャミは感心した。逃げながらも敵の妨害を指示する視野の広さは、なかなかのものだ。
「さすがですな」
「おめおめ逃げ帰ったというのに、世辞など言われたくないわ! それよりも兵を寄越せ!」
「百でも二百でもいい! 打って出る! 追撃を受けている兵士を助ける!」
「ですがガオン様ガストン様。少しお休みになったほうが」
「イザークやガダルダが戦っているのだ!」
「我らだけが、のうのうと休んでいられるか!」
ガオンとガストンが南の戦場に目を向ける。
東と西の戦場では、魔王軍は指揮を執る者がおらず、組織立った抵抗が出来ていない。しかし南の戦場だけは指揮系統が保たれていた。
部隊の先頭に立つのは、装甲竜に跨がるイザークだった。二本の戦槌を振り回し、人間達の追撃を阻んでいる。奮戦するイザークの脇を、獣脚竜に乗る竜騎兵と、背の小さな小鬼兵が固めている。その右では三本角竜に跨がるガダルダが、装甲巨人兵を率いていた。
イザークとガダルダの部隊はよく敵と戦い、人間達の追撃を阻んでいた。ギャミ自身、彼らの助けが無ければ、今頃討ち取られていた。
「現在収容した兵士を再編し、部隊編成を整えております」
ギャミは戦場から一転して、ヒルド砦の内部に目を向けて北門の前を見た。北門の前には怪我の少ない兵士達が集結している。
「ですがガオン様。撤退戦となりますと、私の指揮に従ってもらいますがよろしいですか?」
ギャミは念を押して確かめた。撤退戦を上手く行うには、粘り強い戦いもさることながら、精密な作戦行動が求められる。ギャミの指示に従ってもらわねばならなかった。
「ん? ダラス将軍はどうした? お前と一緒だったのではなかったのか?」
「はい、将軍はヒルド砦に入られました。ただ撤退中に負傷されたらしく、現在治療中です」
「傷は深いのか?」
「いえ、命に別状はないかと。ですが指揮は執れぬゆえ、私が代行しております」
「まぁよいわ。お前の指揮に従ってやる。見事我らを使いこなしてみよ!」
「では東の敵をガオン様が、西の敵をガストン様が防いでください」
「分かった。ここは任せたぞ」
ガオンは踵を返すと、ガストンと共に物見櫓から降りて行く。
二体を見送ると、ギャミは戦場に目を戻した。東と西はガオンとガストンに任せるとして、問題は南の戦場だとギャミは見ていた。ガンガルガ要塞が鎮座する円形丘陵の内部では、四カ国の軍勢が魔王軍を追撃している。連合軍の前にはイザークとガダルダの部隊が立ちはだかり、人間達の攻撃を遮断していた。一見すると南の戦場は上手く戦えているようにも見える。
「伝令! ガンガルガ要塞のドレムス将軍が、いつでも救援に出ると、言ってきています」
兵士が駆け寄り報告する。ギャミは視線を上げて南に聳え立つガンガルガ要塞を見た。
ヒルド砦とガンガルガ要塞は、視認出来る距離であるため、手旗信号で容易に情報の伝達が可能だ。要塞には今なお、二万体以上の守備兵が駐屯している。彼らが打って出れば、イザークとガダルダが足止めしている連合軍の背後を突くことが出来る。理想的な挟撃の形であり、連合軍に大打撃を与えることが可能かもしれなかった。だが――。
「ええい、いらん! 絶対に門を開けるなと伝えろ!」
ギャミは叫ぶように救援を拒否した。
「馬鹿が! 人間共が、それを狙っているのが分からんのか!」
ギャミは細く小さな眼を更に細めて、南の戦場を見た。
円形丘陵の内部では、イザークとガダルダの部隊が上手く連合軍の攻撃を阻んでいるように見える。二体の奮戦を疑うつもりはないが、人間達の攻撃がやや緩い。特に鈴蘭の旗を掲げた騎兵部隊の動きには注意が必要だった。
追撃戦が始まった当初、鈴蘭の旗を掲げていた騎兵部隊は、矢の様に突撃してギャミ達を殺そうとしていた。しかし今では連合軍に追い抜かれ、軍勢の中に埋もれてしまっている。
追撃の序盤に張り切りすぎ、息が切れたようにも見える。だがギャミの目はごまかせない。連中はじっくりと力を蓄え、自分達の出番を待っているのだ。その出番とはもちろん、難攻不落のガンガルガ要塞が、固く閉じた門を開いて無防備な弱点を晒すその瞬間だ。
ドレムス将軍がガンガルガ要塞の門を開けて打って出れば、連合軍に大きな打撃を与えることが出来るだろう。しかし鈴蘭の旗を持つ部隊は、味方の屍を乗り越えて要塞の内部に入り込む。絶対に門を開けるわけにはいかなかった。
ヒルド砦の北側から、勇ましい喇叭の音が響き渡る。目を向ければガオンとガストンが、それぞれ再編した兵士を率いて、東と西に向かって行くところだった。
「もっと兵士達を集めろ! 砦の前に防衛線を築け! 撤退を支援するのだ! 負傷していても弓が引ける者は外壁の上に登れ! 撤退が完了次第、攻城戦となるぞ! 工兵は柵を造って門の内側に並べろ! 急げ! 時間が勝負だ! 」
ギャミの叱咤の声がヒルド砦に響き渡る。ギャミは四方に目を配り、逐一指示を出し撤退を支援していく。ギャミの声は、撤退が完了するまで途切れることはなかった。