第五十五話 隠し持つ一手
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魔王軍の銅鑼や太鼓が戦場を覆い尽くす。
ヒュースが東を見ると、怪腕竜を中心に魔王軍が陣形を組み、西では剣竜に率いられた魔族が、今にも突撃してきそうだった。
最後に正面を見上げると、北の円形丘陵に陣取った魔王軍が突撃の準備を終えていた。円形丘陵の上には、赤い鎧を着た魔族が竜の旗の下に立っていた。おそらく魔王軍の将軍だろう。昨日の戦いで見た覚えがある。その隣には、子供のような背丈の魔族が立っている。
丘に陣取る魔王軍の軍勢には、巨大な角を持つ三本角竜や全身が岩のような装甲竜の姿がない。どうやら円形丘陵の反対側に配置してあるようだ。何故全軍を投入しないのか分からないが、厄介な敵がいないのは正直助かる。
銅鑼や太鼓の音が一際激しくなり、音に合わせて赤い鎧を着た将軍が剣を抜き、高らかに掲げる。鋭利な刃が陽光に煌めく。
銅鑼や太鼓の音が最高潮に達した時、掲げられた刃が振り下ろされた。
指揮官の号令に、魔王軍が一斉に突撃を仕掛けてくる。特に北から攻撃してくる魔王軍の兵士は、まるで土砂崩れのように円形丘陵を駆け降りてくる。その圧力は見ているだけで、呑み込まれるような恐怖を覚えた。
ヒュースは逃げ出したくなったが、レーリアやヘレンが逃げない。何より剣を地面に突き刺すロメリアが、微動だにしていなかった。ヒュースは奥歯を噛み締めて恐怖に耐えた。
魔王軍の軍勢が、待ち構える連合軍と激突する。一撃で撃破され呑み込まれる姿を、ヒュースは想像した。だが驚くことに、兵士達は土石流の如き魔王軍の攻撃を凌ぎ切った。
これはロメリアの指揮でもなんでもなく、ただただ兵士達の奮戦だった。兵士達は逃げ出したくなるような恐怖に耐えてその場に踏みとどまり、魔王軍の猛攻を阻んだのだ。
一撃で仕留めることが出来なかった魔王軍は、手を緩めずこのまま押し潰そうと圧力を強める。東からは怪腕竜が咆哮をあげ、西からは剣竜が地面を震わせ突進してくる。さらに四方八方から、突撃部隊が防御陣形を突破しようと攻撃を仕掛けてくる。
魔王軍を示す竜の旗があちこちから迫り、もはやどうしようもなかった。
これまでかとヒュースが観念したその時、ロメリアの小さな唇が動いた。
「勝った」
怒号に剣戟、悲鳴が響く戦場の中で、ヒュースは確かにロメリアの呟きを聞いた。次の瞬間、南から冷風が吹きヒュースの首筋を撫でる。ヒュースは慌てて振り返ると、南に流れるレーン川の水面の上に、巨大な氷柱が浮かんでいた。川の対岸には、氷の如き青いドレスを身に纏ったフルグスク帝国の皇女グーデリアが、両手を空に掲げている。グーデリアの体からは、青い冷気が立ち上り、空に浮かぶ氷柱に注がれていた。
グーデリアが両手を下ろすと。空中に浮かんだ氷柱が勢いよく落下し、水量の減ったレーン川に突き刺さった。川に落下した氷柱は、周囲の水を次々に凍結させ、川面が白く染まっていく。そして遂にはレーン川が氷の道と変貌した。
雄叫びと共に、川の対岸に布陣していた連合軍が氷の道を渡ってくる。そしてヒュース達を攻撃していた、魔王軍に襲いかかった。
基本的に、軍隊は横や背後からの攻撃に弱い。すぐに方向転換が出来ないからだ。特に魔王軍はヒュース達を叩き潰そうと、前に進むことしか考えていなかった。そこを横や背後から攻撃を受けてはひとたまりもない。魔王軍は算を乱して逃げ惑い始めた。
ヒュースは呆然とした。先程まで全滅を覚悟していたのに、今や敵を追い返している。
「皆さん! よくぞ持ちこたえてくれました! 今こそ反撃の時です! 全軍突撃!」
ロメリアの号令に、ようやく兵士達も今が好機なのだと気付いた。
「誰か私の馬を! グレン! ハンス! 貴方達は騎兵部隊を! 最低でも三百は揃えて」
ロメリアの言葉に、ロメリア二十騎士のグレンとハンスが騎兵部隊をまとめ始める。ロメリアは大地に突き刺した剣を鞘に戻し、鈴蘭の旗を鞍に差して白馬に跨がる。
「ロメリア様、どちらに?」
「私は魔王軍の指揮官を叩きます」
ヒュースが問うと、ロメリアは視線を円形丘陵の上に向けた。その鋭い瞳は竜の旗の下に立つ、赤い鎧の将軍と子供のように小柄な魔族に向けられている。
「グランとラグンは怪腕竜を、オットーは剣竜を。カイルはここに残り本陣の指揮を。皆様におかれましては、川を渡ってきた連合軍と合流してください」
ロメリアは矢継ぎ早に指示を出す。
「ロメリア様、馬を集めました」
「三百、いえ、三百二十いけます!」
グレンとハンスが騎兵部隊を引き連れて来る。
「十分! 行きますよ、私に続いて!」
ロメリアが手綱を引くと、馬が前脚を掲げ空に嘶く。そして馬の脚が地面に着くや否や、ロメリアは魔王軍へと突撃する。グレンとハンスが騎兵部隊を率いて後に続く。
ロメリアの突撃を見て、円形丘陵の上で指揮を執っていた赤い鎧を着た将軍と、小柄な魔族は、すぐさま危険を察知し、反対側へと逃げて行く。
ロメリアの背中を見送ったヒュースは、呆然と周囲を見た。
「信じられん。あの聖女様、俺達の命を救っただけでなく、戦争の結果すら変えてしまった」
ヒュースは感嘆の息を漏らし、円形丘陵を矢の様に駆け上がるロメリアを見た。
六つの国が集まった連合軍は、ガンガルガ要塞を攻略するために来ていた。しかし要塞攻略の足掛かりを失い、戦略目的は達成不可能となった。さらに援軍としてやってきた魔王軍を撃退することも出来ず、戦術的な敗北も余儀なくされていた。だが目の前では、魔王軍を殲滅する勢いで連合軍が勝利している。このままいけば魔王軍の援軍を撃破し、ガンガルガ要塞を再度包囲することも不可能ではない。
ロメリアは川の水が減ったことで撤退可能と言った。だが川の水を減らした本当の目的は、グーデリアの魔法で凍結させて、連合軍を渡河させることだったのだ。
「そうだ、ゼファー。お前、さっき何か言っていたが、この状況を予想していたのか?」
ヒュースは振り返りゼファーを見る。ゼファーはハメイル王国では天才軍師の呼び声も高いらしい。この状況が見えていたとするなら、確かに天才だ。
「いえ、とんでもありません。私もグーデリア様が川を凍らせるなど、気付きませんでした」
ゼファーは首を横に振った。その顔は本当に分かっていなかったのだろう。
「ただ背水の陣は、退路を断つことで、兵士に奮起させることが本来の目的ではありません。真の狙いは、敵の攻撃を誘うことです」
ゼファーが戦術を語ってみせた。確かに退路のない相手を前にすれば、攻撃するしかない。
「しかしロメリア様は、よく連合軍が助けに来ると分かったな」
ヒュースはレーン川の対岸に陣取る、連合軍の本陣を見た。そこには川を凍結させたグーデリアだけではなく、ヒューリオン王国のレガリア将軍やホヴォス連邦のディモス将軍、ヘイレント王国のガンブ将軍にハメイル王国のゼブル将軍がいた。
連合軍は魔王軍に対抗するため、緩く連帯を組んでいる。だが仲良くやっているわけではない。手を結んでいる一方で、足では互いに蹴りつけ合っている。当然、窮地に陥ったライオネル王国を、見捨てる可能性もあったはずだ。
「それは……おそらく我々の存在があったからでしょう」
ゼファーに指摘され、ヒュースは気付いた。ゼファーはハメイル王国軍を率いるゼブル将軍の息子だし、ヘレンはヘイレント王国の王女として人気がある。レーリアはどうか知らないが、ホヴォス連邦はスート大橋を爆破し、ヒュース達が取り残された原因となっていた。そしてヒュースはヒューリオン王国で微妙な立場であるが、王子を死なせたとなれば、軍を率いるレガリア将軍の失点となる。将軍達にはヒュース達を助ける理由があったのだ。
「ああ、そうか。だからこの旗か」
ヒュースは、目の前に立つ各国の旗を見上げた。
この旗は魔王軍からもよく見えるが、川向こうの連合軍からもよく見えたはずだ。ロメリアがヒュース達をこの旗の下に立たせたのは、兵士達に奮起を促すためだけではない。対岸にいる連合軍に、ヒュース達の存在を見せる目的もあったのだ。
「はぁ〜、なにはともあれ、助かったのですね」
緊張の糸が切れたのか、ヘレンがその場にへたり込みそうになり、ベインズが支えた。
「全く、こうなると分かっているなら、あらかじめ教えておいてくれればいいのに。だってさっき手旗信号で、連合軍とやり取りを仲介したのは私なのよ?」
レーリアが口を尖らせる。ヒュースもそれには同感だった。
「いえ、それは違います。レーリア様」
眉を顰めるレーリアをゼファーがたしなめる。
「指揮官は戦場に挑むとき、勝つための最後の一手というものを持って挑みます。しかしその一手は決して敵に悟られてはいけないのです。もし私達が事前に話を聞いていれば、わずかに心が緩み、その変化を魔王軍の指揮官が感じ取っていたかもしれません」
ゼファーは北の円形丘陵を見た。先程まで魔王軍の将軍がいた場所だ。
「もちろんそのようなことは、ごく稀にしか起きないでしょう。しかしその万が一が起きた場合、この勝利はなかったでしょう」
ゼファーの視線は、兵士を率い円形丘陵を駆け上るロメリアに注がれていた。ヒュースも釣られてロメリアを見る。
救国の聖女と名高いロメリアだが、その腕前はもはや疑いようもなかった。