第五十四話 ヒュースの焦燥②
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ヒュースはライオネル王国の兵士達と共に、魔王軍に向けて矢を放ち続けた。だが奮戦むなしく魔王軍はじりじりと迫って来る。そして太陽が真上に差し掛かった頃、円形丘陵の麓にまで接近されてしまった。
一日持ちこたえるどころか、半日が限界だった。こうなれば丘を駆け下りて突撃し、一体でも多く敵を倒すしかない。
いつ突撃の号令が下るのか、ヒュースが固唾を呑んで待っていると、後方より一人の兵士が、円形丘陵を駆け上がってくる。伝令だ。
「伝令! 全軍、第二防衛線に後退せよとのことです」
「後退? 後退だと! 突撃の間違いではないのか?」
ヒュースは思わず聞き返した。
魔王軍は今にも円形丘陵に差し掛かろうとしている。距離が詰まっている今こそ、攻撃をしかけて押し返すべきだ。それを逆に後退など信じられなかった。この円形丘陵を失えば、後ろはもうレーン川だ。
「後退準備! 急げ! 第二防衛線まで下がるぞ」
防衛線を指揮するジニが、迷うことなく後退準備に入る。
「おい、それでいいのか?」
ヒュースはジニに問うてしまった。現場指揮官の指示に疑問を挟むなど許されないが、この状況で後退は戦術の定石から離れすぎている。
「疑問は分かります。私にもロメリア様が何を考えているのか分かりません。しかしロメリア様の指示には、常に何かしらの意味がありました。ならば私達はその指示に従うだけです」
ジニが迷いのない瞳で見返す。前線の指揮官にこう言われては、従うほかない。
「分かった。カトル、後退だ」
ヒュース達が円形丘陵の麓に設置された柵にまで後退すると、東と西で戦っていた部隊も後退してくる。戦線が縮小されたため、第二防衛線には分厚い陣形が形成されていた。
「ヒュース王子、ロメリア様が第三防衛線にお越し下さいとのことです」
丘を降りたヒュースに伝令が駆け寄る。言われるままに第三防衛線を目指す。第三防衛線はレーン川の目の前、これ以上退路はないという最後の場所だ。
「ヒュース様、ご無事でしたか」
第三防衛線まで下がると、ハメイル王国のゼファーが同じく後退して来ていた。その隣には隻眼の騎士ライセルもいる。さらに筋肉が逞しいホヴォス連邦の女戦士のマイスが斧を右肩に担いで後退しており、ヘイレント王国の騎士ベインズもやって来る。
「大型竜達が防壁を乗り越えてきましたね」
黒髪の騎士ベインズが東と西を険しい目で見る。
ヒュース達が後退したため、魔王軍は円形丘陵や東西の防壁を易々と乗り越えてきた。そして防御柵を頼りに立て籠もるヒュース達に対し、突撃陣形を組みあげようとしていた。
「しかも北の丘には大量の兵士か。あいつらが一斉に降りてきたら、防ぎきれるのか?」
傭兵上がりのマイスが砕けた口調で話すが、誰も答えられなかった。
丘を駆け降りる兵士は、破竹の勢いを持つ。これは兵法の常識だ。防御柵があるとはいえ、防ぎきれるとは思えない。しかも後方は川ときている。
「この状況で背水の陣ですからね、兵士達は逃げ場もなく奮起するでしょうが……」
戦場に長くいるライセルが、活路はないと表情を硬くしている。その隣ではゼファーが俯き何かを呟いていた。
「どうした、ゼファー? 大丈夫か?」
ヒュースは親しくしている友人の顔を見た。死を前にして絶望しているのかと思ったが、ゼファーの目には、複雑な問題を解こうとしている理性の光があった。
「これは、もしや……でも、まさか……ここからどうやって」
「おい、ゼファー。何か気付いているのか?」
「皆様お揃いですね」
ヒュースがゼファーに問いただそうとすると、背後から涼やかな声が聞こえてきた。
振り返るとそこには亜麻色の髪に純白の鎧を身につけたロメリアがいた。その左右には長い金髪に青いドレスを着たレーリアと、黒髪に緑のドレスを着たヘレンがいた。
三人の女性の背後には、六人の旗持ちが獅子と鈴蘭、太陽と大鷲、五つの星と車輪の旗を掲げていた。ヒュース達が属するそれぞれの国の旗と、ロメリアの旗印だ。
六人の旗持ち達は、旗を並べ地面に突き刺していく。レーン川を背に、六つの旗が翻る。
「皆様、ここが山場です。そこで一つお願いがあります」
「願い……とは?」
「この旗より後ろに、下がらないで欲しいのです」
どんな無理難題を言われるのかとヒュースは身構えた。するとロメリアは目の前に突き刺された六つの旗を指差した。
戦場に突き立つ六つの旗はよく見える。魔王軍はここを目掛けてやって来るだろう。
「下がらない。それはつまり……逃げるな、ということですか」
「はい、ヒュース王子。端的に言うとそうなります。私達が決して下がらず、不退転の覚悟を示せば、兵士達は奮い立ち、必ずや踏みとどまるでしょう。そうすれば勝てます」
ロメリアはこのどうしようもない状況で、勝てると断言した。その自信の源が理解出来ず、ヒュースは即答出来なかった。
「分かりました。ロメリア様」
代わりに頷いたのは、小柄なヘレンだった。そのあどけない顔には決意が秘められている。
「もとより逃げ場などありません。それで勝てるというのであれば、この旗の下から一歩も動かぬことを誓いましょう」
「そうね、ジタバタしてもどうにもなりそうにないしね」
呆れた声で頷いたのはレーリアだった。これにはヒュースも頭を掻くしかない。
「女の子の方が、肝が据わっている。ここで迷ったら、俺の方が格好悪いな」
ヒュースが頷くと、ゼファーも同じく顎を引いた。そしてヒュースをはじめ、ゼファー、ヘレン、レーリアがそれぞれの国の旗の前に立つ。
「兵士の皆さん、聞いてください」
ロメリアがよく通る声で、兵士達に語りかけた。
「今、魔王軍が我々に向けて攻撃準備を行っています。もうしばらくすれば、魔王軍は一斉攻撃を仕掛けてくるでしょう。その攻撃は熾烈を極めるはずです」
ロメリアに促され、ヒュースも北と東西の三方向を見る。
円形丘陵と東西の防壁を乗り越えた魔王軍は、まだ攻撃を仕掛けてきていない。突撃準備を行っている最中だ。入念に準備を整え、一斉に三方向から攻撃することで、一撃で勝負を決めようという腹だ。
ロメリアの話を聞く兵士達の顔には、悲壮な決意があった。逃げ場もないのなら、ここで勇敢に戦い、果てようと覚悟を決めているのだ。
「もしかしたら、皆さんは私達がここで負ける、あるいは死ぬと思っているかもしれません。ですが違います。魔王軍の攻撃を少しの間凌ぐことが出来れば、我々は勝ちます」
ロメリアは腰の剣を抜き放ち、高らかに掲げて『勝てる』と断言する。
「私の言葉を信じ、皆さんが魔王軍の攻撃を防いでくれれば、必ず私達は勝利します。私も皆さんを信じ、この場から決して後退しないことを約束しましょう」
ロメリアは掲げた剣を地面へと突き刺し、その柄頭に両手を置いた。これより先、決して逃げぬという決意の現れだった。
まるでセメド荒野の戦い、その再現だとヒュースは思った。
ロメリアはセメド荒野の戦いで、迫りくる魔王軍を前に一歩も引かず指揮したと語られている。初めその逸話を聞いた時、ヒュースは美化のしすぎだと思ったものだ。だが話に偽りはなく、全てが事実だったのだ。ならばロメリアは逃げない。もし防衛線を突破されれば、ロメリアは一歩も引くことなくここで死ぬ。
逆に言えば、ロメリアはここさえ凌ぎ切れば必ず勝てると、勝利を確信している。
ロメリアの覚悟と確信が兵士達に伝わり、居並ぶ兵士達の中から一つの雄叫びが上がった。雄叫びは次々に増え、遂には大気を震わす大音声となった。
兵士達の士気はこれで復活した。少なくとも自暴自棄の玉砕はない。ロメリアの言うとおりにすれば、生き残れるかもしれなかった。だがそれが問題だ。ゼファーの前にはライセルが、ヘレンの前にはベインズが、レーリアの前にはマイスが守るように立ちはだかる。
ゼファー達には、守ってくれる騎士や戦士がいる。ヒュースの周りは寂しい限りだ。
「ヒュース王子。貴方に忠誠を誓う者ならここに居ますよ」
ヒュースの前で、お付きのカトルが笑う。
「ありがとよ。この戦いに生き残れたら、俺の騎士にしてやろう」
「それは光栄。農家の五男坊が大出世だ」
カトルはそばかすの浮いた顔を綻ばせる。だが喜びの顔は長く続かなかった。兵士達の雄叫びをかき消すように、東と西、そして北から銅鑼や太鼓の音が響き渡った。
魔王軍が準備を終えた合図だった。