第五十一話 ギャミの迷い①
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魔王軍特務参謀のギャミは、ガンガルガ要塞の西に張られた天幕の中で唸っていた。目の前に地図が置かれ、そこには要塞やレーン川が描きこまれている。
ガンガルガ要塞には魔王軍を示す黒い駒が置かれ、要塞の西、森の手前にも黒い駒が置かれている。これはガンガルガ要塞を救援するためにやってきた、ギャミ達の本陣を示している。
地図には白い駒も置かれていた。これは人間達の連合軍を示している。連合軍のうち、五つの駒はレーン川を越えた場所に置かれている。しかし一つの駒だけが、円形丘陵とレーン川の間に取り残されるように置かれていた。
この一つだけ残された浮いた駒が、ギャミを悩ませる頭痛の種であった。
「さて、どうしたものか……」
ギャミは地図を前に呟いた。
昨日の戦いは混戦であった。水攻めを受けているガンガルガ要塞の救出は、堤防となっていた円形丘陵を爆破したことで達成した。人間達はまだ戦う力を残していたが、戦略的敗北を悟り、撤退を開始した。
これは勝利した魔王軍にとっても好機であった。勝利を掴んだものの、魔王軍も多くの兵士が倒された。特にガリオスの長男ガラルドと次男のガレオン、そして六男のガリスが討たれ、連れてきた六頭の大型竜のうち、雷竜と棘竜が倒されるという事態も起きた。
ギャミとしては撤退する連合軍を追撃せずに見送り、勝利を確固たるものにしたかった。しかし手柄に逸る将兵が追撃を主張し、ギャミは仕方なく追撃の素振りを見せることにした。
もちろんあくまで素振りであり、交戦する気はなかった。魔王軍が追いつく前に連合軍はスート大橋を渡りきり、橋を爆破するだろうと予想していたからだ。しかしここで誤算が起きた。連合軍の一部が追撃の動きを見せた魔王軍に動揺して、全軍を渡河させる前に橋を爆破してしまったのだ。そのため、川を渡り切れなかった連合軍の一部が取り残された。
これは、魔王軍にとってはいい話だった。数に勝る魔王軍は、残された人間の軍勢を皆殺しにすればいいだけだった。しかし……。
「ギャミ様、イザークです。よろしいでしょうか?」
天幕の向こうから、入室を願う声が聞こえてきた。許可をすると、ガリオスの七男、イザークが天幕の中に入ってくる。
「ギャミ様、おはようございます」
「これはイザーク様。おはようございます。お体はもうよろしいですか? 昨日は獅子奮迅の大活躍でしたね」
ずんぐりとした体型の魔族は背筋を伸ばし、礼儀正しく頭を下げる。ギャミは礼儀正しい青年魔族を労わった。
イザークはガリオスの息子とは思えぬほど小柄であり、周囲からはガリオスの息子ではないと言われていた。しかし昨日の戦いで、イザークは何本もの槍、何十本の矢が体に突き刺さったにもかかわらず戦い続けた。その姿は戦神と讃えられるガリオスそのものであった。イザークはまさに自らの証明を、自らの能力で成したのだ。
「いえ、昨日は途中で倒れ、最後の戦いに参加することも出来ない大失態。目をかけて頂いたギャミ様のお役に立てず、申し訳ありませんでした」
イザークは、岩のような鱗に覆われた頭を再度下げた。
そういえばイザークは昨日の戦いで、暴走した暴君竜を止めようと立ちはだかり、踏み潰されて意識を失っていた。普通の魔族なら全身の骨が砕け、死んでいるところだ。だが今のイザークを見る限り、体に不都合はなさそうだった。
「失態などと、イザーク様の活躍に文句をつける者などおりますまい。私こそ少数の敵を倒すことが出来ず、汗顔の至りであります」
ギャミは皺のない頭を撫でた。
昨日行われた最後の戦いは、橋を落とされ、逃げ道を失った人間達との戦いだった。
敵は退路を失った少数の軍勢。一撃で撃破出来るはずだった。しかしどれほど攻撃しても、人間達の防衛線を突破することが出来ず、ついには日が暮れ、時間切れとなってしまった。
「兵士達が申しておりました。昨日の最後の戦いは、何かがおかしかったと。私は不覚にも意識を失い戦いを見ておりません。ギャミ様の目から見て、この敵はどうだったのでしょう?」
イザークがギャミの前に置かれた地図を見て、取り残された人間達の軍勢の駒を指差した。
確かに、昨日最後に行われた戦いは、普通ではなかった。
ギャミはあらゆる手を使い、あらゆる場所から攻撃を仕掛けた。しかし人間の指揮官は、ギャミの攻撃の全てを察知し、正確に潰していった。信じられない受けの強さであった。
「確かに、優れた指揮官ではありますな」
「そうでしたか、ではなおのこと、敵将の首を取らねばなりませんね」
イザークが頷く。その目には必ずや敵将を討ってみせると、決意が込められていた。
敵は倒さねばならない、それは当然だ。人間達は逃げ場がなく少数。敵の指揮官が優秀であるのならば、尚のこと討ち取るべきだ。これはどのような軍事的観点から見ても、異論を挟む余地のない決定事項である。しかし、ギャミの脳裏には、停戦という考えがちらついていた。
昨日の戦いでギャミ達は勝利し、人間達を撤退に追い込んだ。だが絶対的な勝利とは言い切れない。勝敗の天秤は未だ魔王軍と連合軍の間を揺れている。何かの拍子でその傾きが大きく変わることは十分にありえた。
勝利を確定させる方法は簡単だ。連合軍と停戦交渉を行い、撤退するならば攻撃しないと約束する。そしてレーン川を渡河させてやればいい。そうすれば戦争を勝利で飾ることが出来る。だがそのようなことを言えば、ギャミは臆病と笑われ、参謀の地位すら失うことだろう。
ギャミが内心で悩みを抱えていると、天幕の中に伝令の兵士が飛び込んでくる。
「伝令! ギャミ様、ガンガルガ要塞の守将ドレムス将軍が、ガンガルガ要塞の守備兵は、いつでも出撃出来るとのことです」
「援軍は不要! 疫病を外に漏らさぬよう決して門を開けず、守りを固めるように伝えろ!」
伝令の兵士に向かって、ギャミは怒鳴りつけるように命じた。
ギャミ達はガンガルガ要塞を救援に来たが、水攻めを解いた今でも、要塞の内部には入っていなかった。長期間水攻めを受けていたため、要塞内部では疫病が発生していたからだ。疫病が蔓延するのを防止するため、ギャミは兵士を要塞に近づけなかった。そして要塞の守備兵にも、外に出ることを禁じていた。にもかかわらず、ガンガルガ要塞の守将であるドレムス将軍は、何かと理由を付けて要塞から出てこようとする。
「全くドレムスめ、食料に薬、医者は送り届けたのだから、疫病が治まるまでおとなしくしていればいいものを」
「ドレムス将軍は、失点を挽回したいのですよ」
「それがそもそもの間違いなのです。イザーク様。失敗を挽回しようとすれば、心が逸り足を掬われます。指揮官たる者、どんな時でも冷静でなければ」
ギャミが首を横に振ると、イザークがなるほどと頷く。若者が見せる素直さを微笑ましく思っていると、また天幕に伝令の兵士がやって来る。
「今度はなんだ!」
「ギャミ様。人間共の指揮官が、丘の上からこちらを見ているとのことです」
伝令の報告を聞き、ギャミは小さな手を白い顎に当てた。
「ふむ、そうか。ではひとつ、敵の顔を拝んでみますか」
ギャミは頷いて椅子から降りた。