第四十二話 川を背にした撤退戦
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ハメイル王国のゼファーは、鷲が羽ばたく旗の下で神経をすり減らしていた。
父ゼブルより、突然一万人の兵士の指揮を任されたからだ。
すべての原因は、ホヴォス連邦のディモス将軍にあった。
飛空船の攻撃により堤防となっていた円形丘陵が破壊され、流れ出た水に足を取られたホヴォス連邦の軍勢は、魔王軍の攻撃により劣勢に追いやられた。
形勢を不利と見たディモス将軍は、主力部隊を引き連れて離脱を図った。しかし魔王軍に追撃されており、殲滅されるかもしれなかった。
ライオネル王国のロメリアは、戦線中央部で苦境に立たされているホヴォス連邦とヘイレント王国の救援に向かったため、ゼブル将軍が主力部隊を率いて救援に向かったのだ。それはいいのだが、ゼブル将軍は残った一万人の兵士をゼファーに与えたのだ。
初めは目の前の魔王軍と戦っているだけでよかった。離脱を図ったディモス将軍はゼブル将軍の援護を受けて体勢を立て直し、スート大橋の前で反撃に転じた。おかげで左翼は優位となり魔王軍を押し返していた。だがしばらくすると、中央部のホヴォス連邦やヘイレント王国の陣地から、多数の怪我人と癒し手が護送されてきた。怪我人の中には、意識不明の重体となったガンブ将軍も含まれており、ハメイル王国の陣地は連合軍の救護場となってしまった。
段取りも何もない状況で、ゼファーは前も後ろも見ねばならず、必死になって指示を出した。
ゼファーは何とか仕事を熟すことが出来たが、これを手柄と誇るわけにはいかなかった。
まず前線はライセルが先頭に立ち、兵士を率いてくれたため、ゼファーは後ろから援護の予備兵を、必要とされる場面で投入するだけでよかった。
また護送されてくる怪我人や癒し手は、ヘイレント王国の王女ヘレンが受け持ってくれた。
彼女はここに来た時は泣き崩れていた。だが重傷を負ったガンブ将軍や、多くの怪我人を見るなり奮い立ち、癒し手達を率いて治療の陣頭指揮を執ってくれた。彼女は送られてくる怪我人の傷を見て、癒し手を割り振り、的確に治療活動を行った。おかげでゼファーが後ろを見る必要はほとんどなく。怪我人を運ぶ輸送隊を組織し、護送に勤めるだけでよかった。
ただ予備兵を割きすぎたため、戦力が枯渇しかけた。だが治療を受けて意識を取り戻したヘイレント王国のベインズが、同じく治療を受けたヘイレント王国の兵士を率い、戦闘に参加してくれたのでことなきを得た。
ゼファーが戦場の中央部に目を向けると、そこには五つの星の旗と銀の車輪の旗があった。
ロメリアの援護によって息を吹き返した、ホヴォス連邦とヘイレント王国の兵士達だ。
ホヴォス連邦の旗の下では、公女のレーリアが斧を持つ女戦士のマイスと共に立っていた。
レーリアに兵士を指揮する技術はないはずだ。ただ声をかけているだけだろう。だが戦場でドレス姿の女性は目立つ。旗の下で声を出すその姿は、まるでロメリアのようだった。
戦場のさらに奥ではヒューリオン王国に襲いかかっていた暴君竜が、突如方向転換をして魔王軍の本陣に向かいだした。その背中には驚くことに、王子であるヒュースが跨っていた。
ヒュースは暴君竜を操り、なんと魔王軍の本陣にぶつけた。おかげで魔王軍は指揮系統が乱れ、攻撃の手が弱まった。連合軍が押し返し始めたが、しばらくすると魔王軍の本陣から、撤退を知らせる太鼓の音が響き渡った。
魔王軍は戦線を一時縮小し、暴れ回る暴君竜を捕らえ、乱れた指揮系統を回復したいのだろう。これは連合軍にとっても渡りに船であった。ガンガルガ要塞の水攻めを維持出来ず、さらにヒューリオン王国の太陽騎士団を失い、魔王軍の本陣を攻撃する手段も失われた。この戦争は敗戦が決定している。こちらも撤退する好機だと、ゼファーも撤退の太鼓を鳴らした。
息を合わせるように、連合軍の各国でも撤退の太鼓が鳴らされ、連合軍が続々と南下してスート大橋の前に集まって来る。
ロメリア不在のライオネル王国に続き、レーリアとマイスが、ホヴォス連邦とヘイレント王国の兵士を率いるように南下してくる。
「レーリア様。ご無事でしたか」
「ええ、ゼファー様。なんとか生き延びました。ヘレンは怪我人の手当ですか?」
ゼファーはレーリアの言葉に頷きながら、怪我人が集められた場所を見る。救護場となった一角では、多くの怪我人と癒し手の中で、ヘレンが忙しく動き回っていた。
「マイス。私達も怪我人の治療や輸送を手伝いましょう」
レーリアの言葉にマイスが頷く。そして撤退してきたホヴォス連邦の兵士達が、救護活動に加わる。ヘイレント王国の兵士達も、一部がベインズの部隊と合流してヘレンを手伝い始めた。
ゼファーが兵士達を集めて撤退の準備をしていると、フルグスク帝国がグーデリアを先頭に撤退してくる。
「ゼファー様。撤退の状況はどうなっている」
「撤退は順調です。グーデリア様こそ大丈夫ですか?」
ゼファーはグーデリアを気遣った。
彼女こそ、この戦一番の功労者だろう。飛空船で堤防が破壊された時、グーデリアが魔法で流れ出る水を凍らせてくれなければ、あの時点で連合軍は全滅していたかもしれないのだ。
「私は何ともない。それよりヒューリオン王国の撤退は間に合うのか」
「大丈夫です、ロメリア様も一緒です。もう到着されます」
ゼファーが北を指差すと、太陽の旗と鈴蘭の旗が撤退してきた。先頭にはロメリアとヒュースの姿があった。ヒュースはそばかす顔の兵士をお供にして、ゼファー達の元にやって来る。
ヒュースの無事を見て、グーデリアは胸に手を当て無事を喜んでいた。
「ヒュース様、グーデリア様、ロメリア様。ご無事でしたか」
ゼファー達のところに、ホヴォス連邦のディモス将軍が護衛の兵士と共にやって来る。
「魔王軍の反撃が開始されます。早く橋を渡り撤退しましょう」
ディモス将軍は、レーン川に架かるスート大橋に目を向ける。
川を渡って橋を落とせば、とりあえず魔王軍の追撃を心配する必要はなくなる。
「分かっている。橋を渡る順番だが、ロメリア様はどうすべきだと思う」
ヒュースはロメリアに意見を求める。
「フルグスク帝国とヒューリオン王国、ヘイレント王国の順番で渡ってもらいましょう。その次にホヴォス連邦、ハメイル王国。殿は我が国にお任せを」
ロメリアの言葉に、ヒュースとディモス将軍が頷く。
「では今のうちに、橋を爆破するための爆裂魔石を設置しておきましょう」
「いえ、ディモス将軍。それは最後にしてください」
「なぜです! もし魔王軍に橋を渡られたらどうなるか、下手をすれば全滅ですぞ!」
「分かっています。橋は我が軍が必ず落とします。爆裂魔石の設置は行わないでください」
「もういいです! 魔王軍の攻勢が収まっているうちに撤退しましょう!」
ディモス将軍は声を荒らげて、橋の前に陣取るホヴォス連邦の軍勢に戻って行った。
「ではヒュース。我らは撤退しよう」
グーデリアがヒュースに向けて手を伸ばしたが、ヒュースはその手を取らなかった。
「いや、君は先に行ってくれ。ヒューリオン王国は連合軍の盟主国だ。真っ先に逃げるわけにはいかない。だが俺一人が残っていれば顔は立つ。ロメリア様と共に橋を渡るよ」
ヒュースは決意を固めた顔を見せる。盟主国としての意地があるのだろう。お供にそばかす顔の兵士を一人付けて、ヒュースは残る。
「分かった、だがあまり無茶をするなよ」
グーデリアは愁いを帯びた瞳でヒュースを見た後、兵士達と共にスート大橋を渡って行く。一方ヒュース王子は、ロメリアと共に魔王軍とスート大橋との間に布陣するライオネル王国の軍勢と合流する。ライオネル王国軍は防衛線を作り上げ、魔王軍の攻撃に備える。
フルグスク帝国が橋を渡り終えると、次に意識の戻らないレガリア将軍と、ヒューリオン王国の軍勢が続く。さらに負傷したヘイレント王国のガンブ将軍が、担架に担がれて兵士達と共に橋を渡って行く。そしてホヴォス連邦のディモス将軍が、橋を渡り始めた。
順調に続く撤退を見てゼファーは頷く。すでに半数以上の兵士が、スート大橋を渡ることが出来た。しかしヒュース王子をはじめ、各国の王族達は多くが橋を渡らずに残ったままだった。
「レーリア様、ヘレン様。そろそろ橋を渡ってください」
ゼファーは救護場に赴き、治療行為に奔走する、レーリアとヘレンに声をかけた。
「父の後に、私もライセルや兵士達と共にスート大橋を渡ります。残っているホヴォス連邦とヘイレント王国の皆さんも、それに同行してください」
ゼファーがスート大橋を指差すと、ハメイル王国の軍勢が橋を渡る準備を開始していた。
「そうね。ヘレン、そろそろ切り上げるわよ。治療は橋を渡ってからにしましょう」
「分かりました。皆さん、怪我人の搬送をお願いします」
ヘレンは癒し手達に声をかける。立てない怪我人を兵士達が助け起こし運んでいく。
ゼファーは最後に誰も残っていないことを確認し、レーリア達と共にスート大橋の前に移動する。橋を見るとゼブル将軍が川を渡り終え、ゼファー達の順番が回ってくる。
「怪我人を先に行かせましょう。ヘレン様、レーリア様、それでよろしいですか?」
「ええ、もちろんです。ベインズ、順番を譲ってあげて」
「私もいいわよ、マイス。怪我人を優先で」
ヘレンとレーリアがそれぞれ指示を出し、ベインズとマイスが頷く。
怪我人の列がスート大橋を渡って行くが、怪我人ゆえその歩みは遅い。だがここに残るハメイル、ホヴォス、ヘイレントの兵士を合計しても二万人を超えない。この人数ならすぐに橋を渡れるため、後回しとなっても問題はないとゼファーは計算する。
ゼファーがレーリア達と共に順番を待っていると、北から喇叭の音が鳴り響いた。
音に驚いて振り向くと、魔王軍が軍勢を整えて、こちらに向かって前進を開始していた。
魔王軍の本陣に目を向けると、暴君竜が手綱を掴まれ捕らえられていた。その周囲には負傷した三本角竜や剣竜、怪腕竜がいた。魔王軍は竜をぶつけて暴君竜を捕らえたらしい。
怪我をした竜達は蹲り動かない。怪我が治れば復活するだろうが、しばらくの間は竜の脅威がなくなったと見ていい。
「ちょっと、大丈夫なの!」
「大丈夫です、レーリア様。落ち着いて。撤退は間に合います。というか、魔王軍は攻撃するつもりがありません。その気があるなら、全速でこっちに向かって来ているはずです」
ゼファーは北から迫る魔王軍を指差す。
魔王軍は短時間で見事に陣形を立て直し、真っ直ぐこちらに向かって来ている。だがその速度は遅い。距離を考えれば撤退は十分間に合う。
「この戦争は魔王軍の勝利が決定しています。私達が撤退するのなら、追いかけてはこないでしょう。慌てずに落ち着いて行動してください。押し合って倒れ、川に落ちるのが一番危ない」
ゼファーが冷静になるよう呼びかけると、レーリアやヘレンが頷く。
魔王軍との間に防衛線を構築しているライオネル王国の軍勢とロメリアも同じ考えらしく、慌てる素振りはない。
ゼファーが前を向いてスート大橋の脇を見れば、橋の手前に大量の爆裂魔石が箱に積み上げられていた。ゼファー達が橋を渡り終えれば次はライオネル王国だ。順次撤退し、最後に爆裂魔石を設置しても十分に間に合う。よっぽどのヘマをしない限り、橋を奪われる心配はない。
ゼファーは頭の中で何度も手順を確認し、手抜かりが無いことを確かめた。
間違いはないと、ゼファーが頷いたその瞬間だった。
突如スート大橋が爆発し、轟音と衝撃が、その場にいた全員の鼓膜と肌を激しく揺さぶった。
目の前ではスート大橋が破壊され、木っ端みじんに吹き飛んでいた。
さて、そろそろガンガル要塞戦、中盤のラストです。




