第三十二話 手の温もり
ロメリア戦記コミックス第二巻発売記念更新
自分を見捨て、去っていくディモス将軍を見て、レーリアは絶望に覆われた。
「そんな……お父様……どうして……」
レーリアはその場にへたり込んだ。父親に見捨てられたことが信じられなかった。
絶望がレーリアを支配しかけたが、押しつぶされる寸前、怒りが萎えた足腰を奮い立たせた。
「冗談じゃない! お父様の都合で、殺されるなんて御免よ!」
父に対する怒りで、レーリアは立ち上がった。
絶対に生き延びてやると前を向いた時、レーリアの視界に見知った者の姿が見えた。
「え? ヘレン?」
レーリアは驚いて二度見した。泥に塗れているが、円形丘陵の麓で倒れた兵士の体をゆすっているのは、間違いなくヘイレント王国の王女ヘレンだった。
「ベインズ。しっかりして! ベインズ。目を開けて!」
ヘレンは倒れた兵士に、涙ながらに声をかけていた。
レーリアはヘレンが声をかける騎士を知っていた。ヘレンがいつも連れている騎士ベインズだ。生きてはいるようだが、意識を失っていた。
「ヘレン? 貴方、どうしてこんなところに」
「レーリア? 助けて! 水に落ちた私をベインズが助けてくれて……でも私をかばったせいで頭を打って意識が戻らないの。お願い、助けて!」
レーリアが歩み寄ると、ヘレンは泣き顔を向けて助けを求める。
助けを求められて、レーリアは歩みを止めた。
状況は理解出来た。おそらく濁流に落ちて流された二人が、ここに流れ着いたのだろう。だがレーリアにヘレンを助けることなど出来ない。控えめに見ても、今の自分は誰かを助けている余裕はない。父親に切り捨てられ、ディモス将軍にも見捨てられた。
それに非力なレーリアに男性は担げないし、治療も出来ない。助けろと言われても無理だ。さらに言えばヘレンのことを好きかといえば、それほどでもない。友達というよりは子分や取り巻きに近い感覚だ。命を懸けてまで、助けなければいけない間柄ではない。
「わた、私は……」
レーリアは、一歩後ろに下がった。
自分に出来ることはない。今は自分が生き残るだけでも精一杯なのだ。
レーリアは拳を握りしめて決断した。
「しっかりしなさい、ヘレン! 立って! ほら、そっちを持って」
泣くヘレンを叱咤し、レーリアは倒れているベインズに歩み寄って右腕を左肩に担いだ。
レーリアは自分のとった行動が意外だった。だが先ほど途方に暮れて泣いているヘレンを見た時、父親に切り捨てられ、誰も手を差し伸べない自分の境遇と重ねてしまった。
「ありがとう、レーリア様……」
「レーリアでいいわよ。今さら敬語もないでしょ。私もヘレンって呼んでいたし」
泣きながら礼を言うヘレンに、レーリアは砕けた口調で話す。
「それよりも、一生感謝しなさいよ。この貸しは大きいからね」
レーリアは着せられるだけの恩を着せた。大きな態度をとっている間は自分を保てた。
「うん、ありがとう」
「だから、泣かないの。ほら、しっかり持って」
泣くヘレンを、レーリアは叱咤する。
この丘を登って、なんとしてでも生き延びる。レーリアはヘレン共にベインズを抱えて丘を登ったが、一つの影が三人の行く手を遮った。黒い鎧に身を固めた、魔王軍の姿だった。
ホヴォス連邦の兵士は皆が殺され、誰もいなかった。
魔族の縦に割れた瞳孔が、レーリアとヘレンを見る。
「あっ、ああ……」
ヘレンが声を震わせる。一方レーリアは内心ため息をついた。
こうなることは分かっていた。今の自分に他人の面倒を見ている余裕はなく、人助けなどしていれば、魔王軍に追い付かれることは明白だった。だがレーリアに後悔はない。
「ヘレン」
左肩にベインズを背負いながらレーリアは、右手をヘレンに差し出した。ヘレンも左手を伸ばしレーリアの手に指を絡める。
互いの手は震えていた。死ぬのが怖くないわけがない。だがヘレンの手の震えを感じていると、レーリアは自分の恐怖が半分になった気がした。
友達と死ねるのなら、そう悪い人生ではなかったのかもしれない。
一体の魔族が血に濡れた槍を掲げる。レーリアとヘレンは堅く手を結びながら、恐怖のあまり目を瞑った。
肉を貫く音が戦場に生まれた。
獅子と鈴蘭の旗の下で、私は己の不覚を悟った。
「ロメリア様! 堤防が!」
本陣に控えていた秘書官のシュピリが、魔王軍の攻撃により破壊された円形丘陵を見る。
魔王軍は飛空船とも言うべき新兵器で、円形丘陵を破壊しにきた。
誰もが予想しなかったことだが、私は気付いてしかるべきだったと、自分自身を責めた。
飛空船など予想外の代物だが、しかし空からの攻撃は予想出来たのだ。
魔王軍は翼竜部隊を持ち、空から一方的に爆撃を仕掛けることが出来る。しかし戦争が始まった時、なぜか空爆は行われなかった。
魔王軍が爆撃を行わない理由はただ一つ、空に私達の注意を向けたくないからだ。なぜ空に注意を引きたくないのか? 本命とされる攻撃を空から行うからだ。
翼竜が姿を見せなかった時点で、空から何かが来ることは予想出来たのだ。
私は唇を噛みしめて破壊された円形丘陵を見ると、崩れた場所からは水が流れ出し、ヘイレント王国の軍勢を呑み込んでいく。
「いけない、このままでは」
私は即座に水の流れを予想した。
流れ出た水はヘイレント王国の軍勢を呑み込み、下流である南へと流れる。このままではホヴォス連邦の軍勢も水に呑み込まれ、いずれここにも流れ込んでくるだろう。
私が丘の下を見ると、眼下には五万人の兵士達がいた。
将軍であるオットーが、ベンとブライと共に一万五千人の重装歩兵を率いて、魔王軍の攻撃を受け止めている。オットーの左翼には、グランがゼゼとジニを引き連れ、一万人を指揮していた。右翼では、ラグンがボレルとガットと共に一万人の兵士に命令を出している。
グランとラグンの部隊は弓兵だったが、現在は半数が弓を槍に持ち替え、こちらも魔王軍と激しく交戦していた。
「オットー、グラン、ラグン。前進してください。前進です!」
私は前線で戦うオットー達に、とにかく前進を命じる。流れてくる水から、兵士達を逃がさなければいけなかった。
丘の下にはまだ兵士達が残っていた。予備兵として手元に置いていた一万人の歩兵に、五千人の騎兵、そして魔法兵三百人だ。
「カイル、グレン、ハンス、クリート! 予備兵を丘の上に、水から逃がすのです」
私の指示に、カイル達は慌てて頷き、兵士達に丘の上に登るように指示する。だがとても間に合うとは思えなかった。どれだけの兵士が水に呑み込まれるか、想像もつかない。
悔しさに歯を噛み締めると、冷風が私の頬を打つ。北に目を向けると、フルグスク帝国の陣地から膨大な魔力が放たれ、穴が開いた円形丘陵の上に巨大な氷柱が三つ出現した。
冷気を発生させていたのは、右手を掲げる銀髪のグーデリア皇女だった。皇女が掲げた右手を振り下ろすと宙に浮かんでいた氷柱が落下、流れ出る水を堰き止め凍らせていく。
「すごい、なんて魔力だ!」
ライオネル王国の宮廷魔導士でもあるクリートが、驚嘆の声を上げる。
大量の水を凍らせるなど、信じられない力だった。しかしおかげで全滅の危機は回避された。
私は戦場を見ると、流れ出る水は勢いを弱めている。だがヘイレント王国の軍勢は半分以上の兵士が水に呑み込まれ、ホヴォス連邦の軍勢も足場に水が流れ込み、泥濘に沈んでいる。そこに大型竜が突撃して来た。
水から這い上がったヘイレント王国の兵士が、暴君竜に襲われている。泥水に足を取られたホヴォス連邦の軍勢を、さながら移動要塞となった雷竜に蹴散らされていた。
私は前を見ると、こちらでも大型竜が動き始め、双剣を握る魔族が怪腕竜の背に乗り前進してくる。ハメイル王国の軍勢にも剣竜が迫り、魔王軍が攻勢を仕掛けてきた。
このままでは陣形の中央部を担う、ホヴォス連邦とヘイレント王国の両軍が殲滅される。中央部の瓦解は連合軍の全滅を意味していた。
「カイル、貴方はここで指揮を頼みます。私は丘の上からグレンとハンスを率いて北上し、ホヴォス連邦を援護します。貴方は一万の予備兵を丘の下から北上させ、攻撃を受けているホヴォス連邦を援護してください」
私は将軍のカイルに指揮権を譲り、予備兵を率いてホヴォス連邦の援護に向かうと決めた。
「オットー達には無理をさせることになりますが、頼みます」
「ご安心ください。予備兵がなくとも十分戦えます」
私が指揮を頼むと、カイルは力強く頷いてくれる。
「グレン、ハンス。騎兵の準備を!」
「お待ちくださいロメリア様! 他国を助けるために、行かれるのですか!」
グレンとハンスに命令する私に対し、秘書官のシュピリが声を上げる。この劣勢の状況で、大事な予備兵を他国の援護に回す判断が信じられないのだろう。
確かに連合軍は、足の引っ張り合いばかりしてきた。軍議でも私やライオネル王国を蔑ろにする、敵同士のような間柄だ。しかしもはや、そんなことを言っている状況ではない。
「このままでは連合軍は崩壊し、下手をすれば全滅します。私達が生き残るためにも、彼らを救わないといけません」
私の全滅という言葉を聞き、シュピリが表情を一変させる。
「事態はそこまで差し迫っています。クリート魔法兵隊長」
私は本陣に待機しているクリートを見る。彼の率いる魔法兵三百人が最後の予備兵だ。
「貴方達は前進し、怪腕竜に攻撃を仕掛けてください」
私は命令しながら、前線を指差した。
指の先では強大な腕を持つ怪腕竜と、重装備に身を固めた装甲巨人兵が前進してきていた。
「し、しかし。私達だけで竜を倒すのは……」
いつも大口を叩くクリートが、今回ばかりは言葉を濁す。
「貴方達にそこまで頼んではいません。攻撃を仕掛け、援護するだけで十分です」
私も竜を倒す魔法までは、期待していない。
「オットー! 怪腕竜が来ます。貴方が相手をしてください。しかし無理に倒さなくても構いません。竜を引き付ければそれで十分です! いいですか、倒す必要はありません!」
私が叫ぶと、オットーは前線で戦槌を掲げる。
予定ではグレンとハンスを、怪腕竜にぶつけるつもりだった。ほとんどの予備兵を他国の援護に使ってしまうため、怪腕竜に対する手駒が足りない。
「では後を頼みます」
私はカイルに指揮を任せ、自分は馬に跨る。馬の鞍には鈴蘭の旗が差してあった。
「グレン、ハンス! 準備は出来ていますか!」
「いつでも」
グレンが不敵に笑いながら答える。彼の背後には騎兵部隊五千人が待機していた。
「では行きますよ!」
私が手綱を引くと、馬が前足を掲げて嘶いた。
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