第三十一話 ここにいる意味
ロメリア戦記コミックス第二巻発売記念更新
飛空船が堤防に激突した直後、閃光と衝撃がヘレンの体を襲い、視界が黒く覆われた。気が付けばヘレンはベインズに抱きかかえられていた。
「……レン! 無事ですか? ヘレン!」
「べ、ベインズ? こ、これは!」
ヘレンが身を起こすと全身が痛んだ。だが周囲の光景を見て、痛みなど吹き飛んだ。
円形丘陵の一部が吹き飛び、大きな穴が開いていた。周囲には船の残骸が散乱しており、船に爆裂魔石が取り付けられ、爆発したのだと理解出来た。
ヘレンは崩れた丘陵を呆然と見る。
穴からは水が漏れ出し、丘の下に流れ込んでいた。
「退避だ! 退避せよ! 丘を登れ! 堤防が決壊するぞ!」
叫んでいるのはガンブ将軍だった。崩れた丘陵を挟んだ向こう側で、兵士達に丘を登るように指示している。だがその声に被せて、鳥のような声が聞こえてきた。
ヘレンが声のする方向を見ると、船から飛び降りた魔王軍の兵士が手に袋を持ち、崩れた丘陵に向かって来るのが見える。
「いけない! 逃げて!」
ヘレンもガンブ将軍と同じく、丘の下に布陣する兵士達に向かって叫んだ。
軍事に疎いヘレンにも、向かい来る魔王軍の兵士達が、何をしようとしているのかが分かった。彼らが手にする袋の中に入っているのは爆裂魔石だ。崩れた丘を完全に破壊するつもりなのだ。
水飛沫を上げながら魔王軍の兵士が走り、手にした崩れた丘に向けて袋を投擲する。袋が落下すると同時に二度目の爆発が起き、ヘレンは衝撃を受けて再度倒れた。
「ああっ……」
すぐに身を起こしたヘレンは、絶望に顔を歪めた。
丘陵の一部は完全に崩壊して、大量の水が外へと流れ出していた。流れ出た水は濁流となってヘイレント王国の兵士を呑み込んでいく。
死んでいく兵士達にヘレンは涙を流したが、その涙を凍らせるような冷気が頬を打つ。
「今度は何!」
すぐさまヘレンは冷気がした方向を見る。冷気はヘイレント王国の右隣、北に位置するフルグスク帝国から発せられていた。円形丘陵の上では皇女グーデリアが右手を掲げ、青白い光を全身から放っている。放たれた光は帯となってヘレンの頭上に注がれていた。
ヘレンが見上げると、頭上には視界を覆うほどの巨大な氷柱が三本も浮かんでいた。
グーデリアが掲げた右手を振り下ろすと、三本の氷柱が穴の開いた円形丘陵に落下、水の流れを堰き止めて、さらに周囲の水を凍結させていく。
「すごい、なんて魔法なの!」
ヘレンはただ驚嘆した。
大量の水を瞬時に凍結させるなど信じられなかった。ただ、流れ出る水はまだ完全には止まっていなかったが、濁流の勢いは確実に弱まり、流された兵士達が水から這い上がる。だが命からがら水から逃れた兵士の頭を、巨大な口が齧り取った。
いつの間にか前進してきた暴君竜が、水から這い上がった兵士を、その牙で噛み砕いていく。さらに魔王軍が襲いかかり、ヘイレント王国の兵士達が次々に殺されていく。
「ああっ、兵士達が……」
「ヘレン、ここは危ない!」
涙するヘレンの手を、ベインズが掴み引っ張る。しかしその直後、二人が立つ丘陵に亀裂が走る。度重なる衝撃に加えて水がせき止められておらず、丘が削られ脆くなっているのだ。
「危ない、ヘレン、逃げて!」
ベインズが叫ぶが、次の瞬間ヘレンの足場が崩れた。ヘレンはベインズの手を握り締めたが、手が滑り宙に投げ出される。
ヘレンは悲鳴と共に、濁流に呑み込まれた。
ホヴォス連邦の公女レーリアは、青いスカートをたくし上げ必死に走っていた。
「誰か! 助け、助けて!」
レーリアは走りながら叫んだ。すでに靴は脱げ、体中が泥だらけになっている。レーリアの周囲には魔王軍の軍勢が現れ、目につく人類全てを殺そうとしているからだ。
戦争が始まってしばらくすると、空を飛ぶ船、飛空船が現れた。飛空船は堤防となっていた円形丘陵を吹き飛ばし。流れ出た大量の水が、ヘイレント王国の軍勢を呑み込んだ。
流れ出た水はホヴォス連邦にも迫り、あわや全滅の危機に陥ったが、フルグスク帝国の皇女グーデリアの大魔法により、流れ出る水が凍結され、全滅の危機は回避された。しかし流れ出た水はホヴォス連邦の足場を泥濘へと変え、兵士達の足を掬った。そこに魔王軍が雷竜と共に攻撃を仕掛けてきた。
巨大な雷竜は、動く災害と言っても過言ではなかった。ただ歩くだけで、兵士達の陣形が破壊され蹴散らされる。さらに雷竜の背中には籠が取り付けられ、弓を持つ兵士が乗っており、上から次々に矢を射かけてくる。陣形を踏み潰す移動要塞に、泥水で機動力を奪われたホヴォス連邦の軍勢は為す術もなく蹂躙された。
ホヴォス連邦の軍勢は魔王軍の攻撃を支えることが出来ず、陣形が突破されて、レーリアがいた本陣にも魔王軍が現れた。
レーリアは命からがら逃げ出し、円形丘陵の上を南へと走った。
「ちょっと、誰か助けて! 助けなさいよ!」
レーリアは声を荒らげて助けを呼んだ。
だが声に応える者はいない。周囲にはホヴォス連邦の兵士達がたくさんいるが、彼らは目の前の魔王軍と戦うのに必死で、レーリアを助ける余裕がない。
護衛の女戦士マイスもいなければ、兵士達を指揮するディモス将軍とも離れ離れになってしまった。レーリアは後ろを振り向き、本陣に戻るべきかと考えたが、背後はすでに味方より魔王軍の方が多い。ホヴォス連邦の本陣は見えず、五つの星が煌めく旗も倒されていた。
「どうなるのよ、これ!」
悲鳴に近い声をレーリアは上げた。
本陣が潰される。軍事に疎いレーリアにも、これがまずい状況であることは理解出来た。
「と、とにかく逃げないと……」
レーリアは、生き延びることをまず考えた。自分に出来ることはそれしかない。
南へと目を向ければ、ライオネル王国の旗が見えた。ロメリアに借りを作るのは癪だが、今そんなことを言っていられなかった。
とにかくライオネル王国の本陣を目指し、レーリアは南に向かって走り始めた。すると円形丘陵の外側を、ホヴォス連邦の騎兵部隊が、歩兵を引き連れて南下するのが見えた。
騎兵部隊を率いる者の姿を見て、レーリアは目を輝かせた。ホヴォス連邦のディモス将軍だった。
「ディモス! ディモス将軍! 私です! レーリアです! 助けて!」
レーリアは必死で声を張り上げ、手を振りながら円形丘陵を下った。丘陵の下には流されてきたヘイレント王国の兵士が何人も倒れていたが、助けている余裕はない。自分の命が最優先だった。
「助けて、私はここです!」
レーリアが声の限りに叫ぶと、ディモス将軍が声に気付きレーリアを見た。
目が合ったことにレーリアは安堵したが、ディモス将軍はすぐにそっぽを向き、そのまま南下し走り去ってしまう。
「ちょっと、どうして? なんで! 私はここよ! 戻ってきて!」
レーリアは何度も叫んだが、ディモス将軍や騎兵達は無視して行ってしまう。
「なんで……どうしてよ……」
レーリアは絶望に立ち尽くした。
ディモス将軍は間違いなくレーリアの姿を見たはずだった。騎兵を数人でも寄越してくれれば、助けることは出来たはずなのに。
「……まさか! お父様が? お父様が私を切り捨てたの?」
見捨てられた理由を考え、レーリアは最悪の答えに気付いてしまった。
レーリアはこの戦場で、ロメリアのような聖女となるべく連れてこられた。しかし軍事に関して何も知らない自分に、戦果など挙げられるはずもない。だが戦いの最中、レーリアが敵の手にかかり死んだとすれば、国のために命を投げ出した悲劇の聖女とすることが出来る。
レーリアの父スコル公爵は、娘の命と引き換えに、家を立て直すことを選んだのだ。
レーリアの視界が、絶望に覆われた。
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