第三十話 決壊
ロメリア戦記コミックス第二巻発売記念更新
前進を開始する魔王軍に対し、ヘイレント王国の軍勢とホヴォス連邦の軍勢は動かず、柵と土塁の前で待機し、盾と槍を連ねて守りを固める。
「弓兵、放て!」
接近する魔王軍の歩兵部隊に、ガンブ将軍が弓兵での攻撃を指示する。
弓兵が天に向けて弓を構え、一斉に矢を放つ。無数の矢が接近する魔王軍に降り注ぐが、魔王軍は盾を掲げて矢を防ぐ。大半は盾で防がれるが何割かの矢が命中し、魔族が倒れていく。
お返しとばかりに魔王軍からも矢が応射され、連合軍に降り注ぐ。こちらも盾で矢を防ぐが、何人かの兵士が倒れる。
傷を負った兵士を見ていられず、ヘレンは目を伏せた。癒しの力を持つ癒し手としてすぐにでも助けてあげたいが、今はどうすることも出来ない。
俯くヘレンの右耳に、大きな鬨の声が聞こえた。顔を上げて右翼を見ると、ヒューリオン王国とフルグスク帝国の兵士が前進を開始していた。
防御に徹するヘイレント王国と違い、両大国は果敢に前進し敵を撃破するようだ。
太陽の旗と月の旗を掲げる軍勢が、竜の旗を翻す軍勢に襲いかかる。両軍激しくぶつかり合い一進一退の攻防が続く。
先に均衡を崩したのはヒューリオン王国だった。ぶつかり合う前線の後方から、味方を押し退けて金色の鎧を着た騎兵部隊が進み出る。彼らが魔王軍の歩兵に触れた瞬間、あれほど強固に抵抗していた歩兵の列が一撃で破壊された。
金色の騎兵部隊の前進は止まらず、そのまま紙を切り裂くように、魔王軍の歩兵の隊列を貫通、あっさりと中央突破を果たした。
「見ましたか! あれこそヒューリオン王国の太陽騎士団です」
「あれが噂の……本当に太陽みたい……」
ベインズが大陸中に知れ渡っている騎士団の名前を教えてくれる。ヘレンはただ感嘆の声を漏らした。
ヒューリオン王国の最強騎士団と言われている太陽騎士団は、一人一人が勇者や英雄を名乗ってもおかしくないほどの精鋭の集まりと言われている。綺羅星の如き戦士達が一箇所に集められた騎士団は、まさに恒星のような輝きを発していた。
そして太陽騎士団に率いられ、ヒューリオン王国全体が勢いを増す。太陽騎士団が開けた風穴に歩兵部隊が突撃し、魔王軍を押し返していく。
ヒューリオン王国の快進撃を見て奮起したのが、隣で戦うフルグスク帝国の軍勢だった。
歩兵部隊の隙間から、白銀の鎧を着たフルグスク帝国の騎兵部隊が前進を開始する。
フルグスク帝国の動きを見て、魔王軍でも騎兵部隊を繰り出す。騎兵同士の激突になるかと思ったが、フルグスク帝国の騎兵部隊が、敵のはるか手前で青白い輝きを放つ水晶の剣を抜く。そしてまだ刃が届く距離ではないにもかかわらず、剣を振りかぶり一斉に振り下ろした。
次の瞬間、水晶で造られた刀身が光ったかと思うと、先端に凝縮された光が、切っ先から飛び出す。一直線に進む光の矢は、疾走する魔王軍騎兵部隊を貫き、軍馬の列が倒れる。
「何あれ? ベインズ、あれも魔法なの? すごい威力!」
「光の魔法を見るのは初めてですか? あれこそフルグスク帝国が誇る月光騎士団ですよ」
興奮するヘレンに、ベインズが教えてくれる。
「あの水晶の剣は、光の魔法を放つことが出来る魔道具です。光の魔法は数ある魔法の中でも最高難度を誇ると言われていて。その魔道具の製作にも、通常の数倍の資金と時間がかかるとされています。ですが発動が素早く、何より相手の盾や鎧をたやすく撃ち抜く威力があります」
ベインズの解説を聞き、ヘレンはただ頷いた。
月光騎士団の光の魔法に晒され、魔王軍騎兵部隊の前列は一瞬で壊滅。倒れた仲間に足を取られ、魔王軍は隊列を大きく乱す。そこに水晶の剣を掲げた騎兵部隊が突撃し、水晶の刃を無慈悲に振り下ろしていく。
「魔法の斉射により敵の陣形を崩し、そのまま騎兵突撃を行うのは、月光騎士団が得意とする必勝戦法です。しかし貴重な魔法兵と高価な魔道具を持つ兵士を、前線で戦う騎兵として運用するなど、フルグスク帝国にしか出来ないでしょう」
ベインズの言葉に、ヘレンは何度も頷く。
魔法兵はどの国でも貴重とされ、後方に配置するのが常識だ。しかし資金と人材が豊富なフルグスク帝国となれば、最前列に置くことが出来るのだ。
太陽騎士団と月光騎士団は、無人の野を行くが如く、魔王軍の防御を突き破り進んでいく。
だが太陽騎士団の行く手を、巨大な影が遮る。背中に帆のような背鰭を持つ棘竜だ。
一頭で騎士百人分の戦力を持つと評された竜は、遠く離れたヘレンにまで届く咆哮を上げる。
その棘竜に対し、太陽騎士団の中から、黄金の鎧に身を包む一人の騎士が飛び出す。竜を前に単身突撃する姿は、絵巻物の如く勇ましいが、あまりにも無謀だ。
「そんな! 一人で竜と戦うなんて無茶です」
「いえ、大丈夫です! あの騎士は太陽騎士団の団長ギルデバランです!」
ヘレンは悲鳴のような声を上げたが、ベインズが力強く語る。
雄牛の如く竜に突進するギルデバランは、手に持つ大剣を掲げる。棘竜に乗る魔族も槍を振り、ギルデバランを迎え撃つ。
棘竜の巨大な口と魔族が振るう槍を前に、ギルデバランが大剣を横に振り抜く。
世界を切り裂くが如き一閃が放たれる。
ギルデバランが駆け抜けた後には、棘竜の首だけでなく、背に乗る魔族の胴体までも両断され、棘竜の巨体が大地に倒れる。
「さすがは太陽騎士団の団長ギルデバラン。竜を一撃か!」
ベインズが興奮した声を上げ、見ていた兵士達も歓声を上げる。
「よし! いいぞ、さすがギルデバランだ! 敵は勢いが削がれた! 今だ、押し返せ!」
ガンブ将軍もギルデバランを褒め称え、ヘイレント王国の兵士達に声をかける。兵士達も味方が竜を倒したことに勢いを増す。
「よし、潮目が変わった。我々も騎兵を出すぞ! 騎兵部隊――」
ガンブ将軍が騎兵部隊に命令しようとすると、本陣にいた兵士の一人が駆け寄って来る。
「ガ、ガンブ将軍! あれを!」
「ええい、一体何事だ!」
命令を邪魔され、ガンブ将軍が駆け付けた兵士を睨む。当の兵士は驚きに目を見開き、戦場とは反対の東の空を指で示す。
ヘレンもつられて背後を振り返ると、後ろには湖上の城となったガンガルガ要塞が静かに鎮座している。要塞に変化はない。だがその空を見ると、ヘレンも驚きに目を丸くした。
「なんだ? あれは?」
ガンブ将軍も顔をしかめる。
ガンガルガ要塞の上空に、奇妙な物体が浮かんでいた。
宙に浮かぶ真っ白な球体は、白昼の月にも見えた。ヘレンが目を凝らすと、球体の下には十人乗りの小型の船がぶら下がっていた。
ヘレンが注視し続けると、球体の形が次第にはっきりと見えてきた。月にも見えた球体は、正確には円筒形をしており、布で出来ているのか風船のように膨らんでいた。ぶら下がる船の中には十体ほどの魔族が乗り込んでいるのが見える。船の内部には緑色の巨大な魔石があり、二体の魔族が魔石に魔力を供給して、風を生み出していた。
「空に浮かぶ船だと!」
ガンブ将軍が驚きの声を上げる。ヘレンも飛空船とも呼べるその存在が信じられなかった。
「こちらに向かって来ている?」
ヘレンは、目を凝らしてつぶやいた。
飛空船は高度を下げながらも、ヘレン達のいるこの場所に向かって来る。その速度は速い。みるみるうちに大きくなる。
「いや、あれは落ちるぞ!」
ガンブ将軍が、徐々に降下する飛空船の軌道を予想する。
確かに、降下速度が速すぎて、水で覆われたガンガルガ要塞の手前に落下するように見えた。その予想は正しく、飛空船はヘレン達のはるか手前で着水した。船の竜骨が水面を切り裂き、水飛沫を上げる。水を押しのけて船が進む中、乗り込んでいる魔族達が斧を持ち、風船のような上部の筒と、船をつなぐ綱を切る。綱が切られたことで風船部分だけが浮かび上がり、風船に取り付けられた魔石と、魔力を供給していた二体の魔族が上昇していく。
一方、船に残った魔族は斧を櫂に持ちかえ、船から身を乗り出して一斉に水を掻く。
船は水の上を滑るように進み、真っ直ぐヘレン達がいるこちらに向かって来る。船に乗る魔王軍の兵士の数は十体余り。船の船首には箱が大量に取り付けられていた。
「いかん! 弓だ! 矢を放て! あれを近付けさせるな!」
ガンブ将軍が叫び、本陣にいた兵士達が慌てて矢を放つ。だがそもそも本陣の兵士には弓を持つ者がほとんどおらず、数本の矢が船体に突き刺さるのみ。
「爆裂魔石だ! 退避だ、退避せよ!」
ガンブ将軍が振り返り、丘の下に布陣する兵士達に向かって叫ぶ。
ヘレンは意味が分からず、ただ向かい来る船を前に立ち尽くす。
「伏せて! ヘレン!」
ベインズが叫び、ヘレンを抱き締めるように押し倒す。ヘレンの目には船から飛び降りる魔王軍の兵士と、乗り手がいなくなってもなお、真っ直ぐにこちらに向かって来る船が見えた。
堤防となっている円形丘陵に船が激突する。直後、閃光と轟音。そして身を千切られるような衝撃がヘレンを襲った。
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