第二十三話 牢獄問答
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会議を終えたガニスは、その足で馬車に乗り、ローバーンの外れに向かった。
馬車の窓からは、陰鬱な円形の巨大な建造物が見えてくる。これぞローバーンに住む魔族が、その名を聞くことすら恐れるダリアン監獄の姿だった。
罪を犯した魔族が収容される場所であり、多くの魔族がこの監獄で獄死している。
馬車がダリアン監獄に到着し、ガニスは馬車から降りて監獄を見上げる。まだ日も高いというのに、どこか薄暗く感じられた。
ガニスは看守に案内されてダリアン監獄の中に入り、鉄格子が連なる狭い廊下を歩く。監獄の内部はカビ臭く、糞尿の匂いが充満していた。
看守に先導され、ガニスは一つの牢獄の前にたどり着いた。この牢獄は、かつてはゲルドバという魔族が捕らえられていた場所だった。
ガニスが中を見ると、鉄格子の向こう側には薄汚れた衣を着た一体の魔族が床に座っていた。
それは奇妙な魔族だった、床に座る体は異様に小さく、まるで子供ほどの背丈しかない。その顔には皺一つなく、頭はツルツルとしている。
顔や背格好だけなら、童とも思えるほどの姿だが、その佇まいからは、まるで幾千もの年輪を数える老木のような印象を受けた。
ガニスは看守を下がらせ、囚人と鉄格子を挟んで対峙する。ガニスを見た囚人の顔が歪み、肉が裂けたかのように口が開かれる。
「これはこれは。ローバーン鎮守府長官であらせられる、ガニス様ではありませんか」
囚人は口を大きく広げ、まるで三日月のような笑顔を浮かべる。
気味の悪い笑顔に、ガニスは顔をしかめたが、自分からこの顔を見に来たのだった。
「ああ、久しぶりだな、ギャミよ」
ガニスは囚人の名を呼んだ。
牢獄に囚われるこの男こそ、魔王軍最高にして最悪の頭脳を持つと言われる、元特特務参謀ギャミであった。
「しかしガニス様ほどのお方が、このような汚い牢獄に足を運ばれては、大事なお体が汚れます。ローバーンの宮殿なり御殿なりにすぐにお戻りください」
ギャミは床に座しながら、深々と頭を下げる。
床に頭がつきそうなほどの平身低頭だが、その言葉は慇懃無礼の見本と言ってもいいほどの不遜さが感じられた。
「お前をこの牢獄に押し込んだことを、今も恨んでいるのか?」
ガニスはギャミに尋ねた。
ギャミをこのダリアン監獄に捕らえた者こそ、誰を隠そうガニスだった。ギャミにはガニスを恨む筋合いがある。
「いえいえ、私がガニス様をお恨みするなど、とんでもございません」
ギャミは顔を上げ、芝居がかった口調で大袈裟に首を横に振った。
「この愚かなギャミは、二年前に人間共に大敗を喫しました。多くの兵士を死なせ、大金をかけて育成した翼竜部隊千頭を失う大失態。もはや弁解のしようもございません」
芝居がかったギャミの口上は、さらに続く。
確かに、ギャミは二年前に、飼い慣らした翼を持つ竜、翼竜を用いて人間共の食料生産地域を攻撃するという作戦を立てた。しかし人間の反撃に遭い敗北し、多くの損害を出した。
「ガニス様の温情により、処刑を免れて生き長らえました。かくなるうえは、残りの人生を亡くなった兵士達の鎮魂に捧げる所存でございまする」
ギャミは深々と頭を下げ、そして動かなくなった。その頭を見てガニスはため息をついた。
このギャミという男、割とよく頭を下げるのだが、決して自分の不利な時には頭を下げない。
二年前もそうだった。ギャミは敗北し、敗戦の責任を追及された。処刑されてもおかしくはなかったが、この時もギャミは一切の助命嘆願をせず、決して頭を下げなかった。
不利な時に頭を下げれば、弱みを握られてしまうと分かっているからだ。
逆にこの男は自分が有利な時には、軽々と頭を下げる。たとえ自分が頭を下げても、最終的には相手の方が頭を下げるしかないと分かっているからだ。そして今、ギャミは頭を下げていた。
「やめよ。お前の芝居に付き合うつもりはない」
ガニスは頭を下げるギャミを睨んだ。
わざわざガニスがダリアン監獄まで足を運び会いに来たということは、ギャミの頭脳を必要としており、監獄から出すつもりであることは明白だ。
ギャミとしても、こんな監獄からはさっさと出たいはずだ。しかしそう言わず、ここに残ると言う。苛立たしい男だった。他者を苛立たせる天才と言えるだろう。
「全く。どうしてお前はそう性格が悪いのだ。俺はお前の命を救ってやったのだぞ」
ガニスは再度ため息をついて、頭を下げるギャミを見た。
ギャミは魔族の感覚では、醜い顔や体躯をしていた。さらに性格も最悪で、自分以外の相手を阿呆だと思っている。そんなギャミを多くの魔族は嫌っていた、ギャミが敗北した時には、多くの魔族が処刑せよと声高に叫んだものだった。だがガニスは処刑の声を押し除けて、ダリアン監獄へ収容することで落ち着けたのだ。
「まぁいい、それよりもガンガルガ要塞が一大事だ。水攻めを受けている」
「ええ、そのようでございますね」
ガニスが前線の最新情報を伝えると、ギャミは驚きもせずに頷いた。
ダリアン監獄では差し入れや手紙は禁止され、面会も厳しく制限されているはずだった。だがいかなる方法を用いてか、ギャミは外の情報を得ているのだ。油断ならない男だった。
「このままではガンガルガ要塞は落ちる。そうなればディナビア半島の北、ジュネーバを維持出来ない。ゲラシャなどは要塞を放棄すればいいなどと言っておるが……」
「話になりませんな」
会議の内容をガニスが伝えると、ギャミが一言で切って捨てた。
「ガニス様。ジュネーバに兵士はどれだけおります?」
「少ない。兵は出せないだろう」
ガニスが答えると、ギャミは顔をしかめた。
二年前の計画ではジュネーバにも多く兵を配置し、ガンガルガ要塞が攻撃された時はローバーンからだけではなくジュネーバからも兵を出し、二方向から援軍を送る予定だった。しかしゲラシャがガンガルガ要塞やジュネーバを放棄し、ローバーンでの籠城を声高に叫んだため、ジュネーバに多くの兵士を配置することが出来なかったのだ。
「ガンガルガ要塞からも兵は出られぬ。となると、ローバーンの戦力だけで人間共の軍隊と戦わねばならん。だが……」
「人間共も、当然その動きは警戒していましょうなぁ」
ガニスの言葉にギャミも頷く。攻撃を予想している相手を、短期間で突破するのは難しい。
「翼竜部隊、航空戦力は現在どれぐらいおりますかな?」
ギャミは自らが作り上げた部隊の状況を尋ねる。
ギャミは千三百頭の翼竜を品種改良して飼い慣らし、航空戦力として新たな部隊を創設した。しかし二年前の敗戦で多くの翼竜を失い、三百頭にまで数を減らしていた。
「ああ、翼竜はこの二年で数を増やしておいた。現在では五百頭ほどいる」
ガニスは翼竜部隊が継続していることを伝えた。
翼竜部隊は、翼竜の飼育そのものに大金がかかることに加え、騎乗する兵士は風の魔道具が使用出来る、魔法兵でなくてはいけない。
魔道具は高価だし、魔法兵は希少であるため簡単に揃えることは出来ない。しかし翼竜は地形や城壁を飛び越えて移動が可能であるため、非常に有用な兵種と言えた。
「ただ、今は手元には残っていない。人間共の生産施設を襲撃している」
「ふむ、なかなか手堅い一手ですな」
ギャミが一言評し、ガニスは内心安堵した。貴重な航空戦力をそんなことに使うなと、馬鹿にされるかと内心不安だったのだ。
「残っている翼竜は五十頭だ。だからガンガルガ要塞救援に出せるのは、せいぜい五頭から十頭だ。あとまずい報告もある。人間共は山や峠に物見櫓を立てて、翼竜を監視している。弓兵で翼竜を攻撃する方法も考案され始めている。そのせいで何頭か翼竜を失った」
「当然ですな、事前に予想されていたことです」
ガニスの言葉に、ギャミは短く言葉を返して頷いた。
「ローバーンから派遣出来る兵力は十五万ほどだ。どうだ、ギャミ。それで勝てるか?」
「率いる将軍次第ですな。誰ですか」
「ダラス将軍だ」
「凡才ですな」
ガニスが配下の将軍の名前を言うと、ギャミは一言で切って捨てた。ひどい言い草だが、ガニス自身、ダラス将軍に頼りなさを感じている。だからこそ、ここへ来たというのもある。
「本来ならガリオス様に軍を率いてもらいたいのだが、お前も知っていると思うが、ガリオス様は今なぁ……」
ガニスは言葉を濁した。
二年前、ギャミは人間共に敗北し、命からがら逃げ戻ってきた。しかし体格に劣るギャミが一体で敵地を逃げ切ることなど出来ない。ギャミの逃走を支えた者こそ、魔王の実弟ガリオスであった。
魔王軍最強の男は、自身も死にそうなほどの深手を負いながらも生き延び、ギャミと共に敵地を切り抜けて来た。すでに傷は癒え、体力は完全に回復しているとガニスは聞いているが、このところガリオスには奇行が見られ、以前とは様子が変わっていた。
「二年前から、ガリオス様は変わられた。これはお前のせいでもあるぞ」
ガニスはギャミを非難の目で見た。
「ガリオス様を元に戻し、戦場へと連れ出せ。それはお前の仕事だ」
ガニスは看守から預かった鍵で、牢屋の扉を開ける。
ギャミは仕方ないと、ため息をついて立ち上がった。




