第二十話 戦場の苺話
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ホヴォス連邦を代表する五大公爵家スコル家の長女であるレーリアは、連合軍の合同軍議が終わると、ホヴォス連邦の陣地へと戻り、自らの天幕に入った。
天幕の中には赤いドレスが並べられ、机には幾つもの帽子が積み重なり、箱の上にはさまざまな種類の靴が置かれていた。机の宝石箱からは色とりどりの宝石が取り付けられた指輪にネックレス、髪飾りがはみ出し輝きを放っている。
天幕は比較的大きな物だが、大量の服や靴に占拠され、窮屈に感じるほどだった。
レーリアは服や装飾品の間を通り抜け、自分の寝台に歩み寄る。寝台の上には使い古された、小さな熊のぬいぐるみが鎮座していた。
立ったまま寝台の熊を見下ろした後、レーリアは柳眉を逆立て拳を掲げた。そして怒りのままに、熊のぬいぐるみを殴りつけた。
ぬいぐるみに詰まった綿に拳が跳ね返されるが、それでも構わずレーリアは殴りつけた。
「もう嫌! もう嫌よ! こんなところ!」
レーリアは叫びながら、熊を殴り続けた。
戦場にいることが、レーリアには我慢出来なかった。大きな天幕をもらい、大量の服を持っていても、なんの慰めにもならない。住み慣れた屋敷に帰りたかった。
レーリアは好んで戦場に来たわけではなかった。全ては家の没落が原因だった。
スコル公爵家は、ホヴォス連邦の根幹をなす五大公爵家の一つに数えられている。だが栄華を誇ったのも今や昔。レーリアの父であるスコル公爵が政治的に失脚し、その命運は風前の灯と言われていた。
スコル公爵は家を建て直そうと、あらゆる手を打った。その中の一つが、長女のレーリアを戦場に送るというものだった。
「どうして私が! こんなところに! こなきゃいけないのよ!」
叫ぶレーリアの拳に力がこもり、ぬいぐるみの腹がへこむ。
ごく普通の令嬢として生きてきたレーリアに、軍の知識などまるでなかった。それでもスコル公爵が、娘を戦場に送り込んだのには理由がある。
「全部あの女のせいよ。ロメリアさえいなければ!」
レーリアはロメリアの顔を思い出し、全力でぬいぐるみの腹を殴った。
ロメリアは魔王ゼルギスを倒す旅に同行しただけでなく、謀反を起こしたザリア将軍を討ち、救国の聖女と呼ばれている。その逸話はホヴォス連邦でも好意的に語られ、国民は自国にも同様の女性がいないものかと声を上げていた。
スコル公爵はその話を聞きつけ、レーリアを戦場に送り込み、ロメリアと同じことをさせようとしたのだ。
だがレーリアに、戦場で手柄を立てる手立てなどない。唯一の望みはロメリアが戦場で失敗することだった。もしロメリアが大きな失敗をして人々を失望させれば、レーリアが上手く出来なかったとしても、誰も気にしないだろう。しかしその望みも潰えた。
「どうしてあの女は! 成功するのよ!」
レーリアは叫びと共にぬいぐるみを殴る。
ガンガルガ要塞攻略が始まってから、ロメリアは何もせず時間を浪費しているかに見えた。しかし彼女は、ガンガルガ要塞を水攻めにするという戦術を隠していた。軍事に詳しくないレーリアにも、あれが凄いことだということは分かる。
ホヴォス連邦の国民もロメリアの手腕に喝采を送り、そしてレーリアに対しては、お前は何をしていたのかと、失望の目を向けるだろう。
「無茶言わないでよ! 私にどうしろというのよ!」
レーリアはぬいぐるみの足を掴むと、今度は勢いよく振り上げ、寝台に叩きつけた。
寝台の上で熊のぬいぐるみが横たわり、ボタンで出来た瞳でレーリアを見る。レーリアは肩で息をしながら、ぬいぐるみの瞳を見返した。
ぬいぐるみの視線を受けて、レーリアは手を伸ばし、今度は優しい手つきで抱きしめた。
「ごめんね、トント」
ぬいぐるみに付けた名前を呼びながら、レーリアは手にある柔らかな感触に身を委ねた。
子供の頃から一緒にいる友達を抱きしめていると、不意に泣きたくなってきた。
慣れない環境に、レーリアはすでに限界だった。
周りの兵士達と比べれば贅沢な暮らしなのかもしれないが、レーリアはついこの間まで、大きな屋敷に何人もの侍女や使用人に傅かれて生活していたのである。突然戦場に連れてこられ、周りに親しい友人もおらず、心が安らぐはずもなかった。
レーリアはため息をついて周囲を見回す。天幕の中には赤いドレスが幾つも置かれていた。
赤いドレスがレーリアの好みであったが、フルグスク帝国の皇女グーデリアが青を好むため、青いドレスを選び毎朝挨拶に伺っている。しかしグーデリアはレーリアに興味が無いらしく、知り合い以上の関係になれない。ヒューリオン王国の王子ヒュースに媚を売ってみたが、こちらもあまり相手にされていない。レーリアのやることは、どれもうまくいっていなかった。
「姫様」
天幕の布越しに、女性の声がレーリアの名を呼んだ。護衛の女戦士のマイスだ。
マイスの声を聞き、レーリアは背筋に寒気を感じた。
同じ女性の方が、気が休まるだろうという人選だが、レーリアはマイスのことを嫌っていた。いや、恐れていると言ってよかった。
元傭兵の男勝りの女戦士など、深窓の令嬢として暮らしていたレーリアには、あまりにも住む世界が違いすぎた。礼儀も言葉遣いもなっていないし、それにマイスの顔や体には幾つも傷がある。素肌を晒すことにも抵抗がなく、この間など下着姿で外を出歩いていた。
それに聴けばマイスは魔王軍が誇る大将軍と戦い、片腕を斬り落としたと言われている。そんな相手、同じ女だと思えなかった。
「何か?」
レーリアは熊のぬいぐるみを寝台に置き、天幕の布越しに言葉を返す。
「ヘイレント王国のヘレン王女が来たよ」
「ヘレン様が? お通しして」
マイスの報告に、レーリアは居住まいを正して答え、ヘレンが来るのを待つ。
「お邪魔します、レーリア様」
ヘレンがマイスに案内されて、天幕の中に入ってくる。
「いらっしゃい、ヘレン様。今日はどうされたの?」
レーリアはヘレンを歓迎した。だがレーリアはあまりヘレンのことが好きでなかった。
悪い子ではないし顔も可愛いのだが、なんというか性格が合う相手ではなかった。控えめでおとなしく、本を読んでいるのが大好きといった様子だ。社交界の噂話や流行のドレス、新しい髪形や化粧のことなどちっとも知らない。話していて楽しい相手ではないのだが、この戦場で同世代の女の子は貴重だった。それはヘレンも同じらしく、よくレーリアを訪ねてくる。
「申し訳ありません。実は陣地が騒がしく、ここに逃げて来たのです」
「ああ、ここも同じです。ディモス将軍が張り切っていて」
ヘレンの言葉に、レーリアは頷いた。
魔王軍の援軍に備えて、ディモス将軍が気を吐いているのだ。
「それもこれも、ロメリア様のせいです。あの人のせいで」
「相変わらず、ロメリア様のことがお嫌いですね」
レーリアが忌々しいと顔をしかめると、ヘレンがため息をつく。
ヘレンはいい子だが、一つだけ気に入らないところがある。ロメリアのことを評価しているのだ。本が好きそうだし、おそらくロメリアを題材にした小説を読んでいるのだろう。
「言っておきますがヘレン様。本に書かれているほど、あの人は聖女ではありませんよ?」
「そうですか?」
「そうです! 会って一目で分かりました」
ぼんやりとした返事をするヘレンに、レーリアはきっぱりと言っておく。
「まず、いつも着ている真っ白な服ですが」
「綺麗ですよね、あの服」
「ええ、本当に綺麗ですよ、それは認めます。贅沢に絹を使い、細かく刺繍やレースを施してあります。あれだけの装飾を施せば、一着で馬車一台分はしますよ」
「そうなのですか?」
レーリアの言葉に、ヘレンが気の抜けた返事をする。
「あの白い衣は一見すると清廉潔白で、清貧の鏡のように見えるかもしれませんが、実際は贅沢の極みですよ。しかも汚れが目立つ白なのに、服が汚れているところは見たことがありません。汚れたらすぐに取り換えているのです。衣装代にどれだけお金をかけていることか」
レーリアは拳を握り締めた。ロメリアが着ている服一着で、レーリアが持つドレス数着分はするだろう。だがそれだけの価値はある。服に施されている刺繍やレースは本当に綺麗だ。レーリアは白が好みではないが、袖を通してみたいとつい思ってしまう。
「あと、あの髪型と化粧!」
「いつもお綺麗にされていますよね」
レーリアが声を張り上げると、ヘレンがおっとりとした言葉を返す。
「ええ、本当にいつも完璧に整えられています。あのまま舞踏会にでも行けるぐらいに」
レーリアはロメリアの髪型を思い出した。
綺麗にまとめられた髪は本当に可愛く、毎朝鏡の前で真似をしたくなってしまう。
しかし真似をするなどレーリアの矜持が許さず、いつも唇を噛んで耐えている。
「でもロメリア様は、お化粧はそれほどされていませんよね?」
ヘレンが顎に右人差し指を当てて首をかしげる。
「貴方は何を言っているのです。あれこそ完全に化粧の産物じゃないですか」
レーリアは首を大きく横に振った。
「確かに一見すると化粧をしていないように見えますが、そう見せる化粧術を施しているのです。おしろいや頬紅を使い、ちょっとずつ色調を変えて立体感を出しつつ、素肌のように見せているのですよ! あれは相当手が込んでいますよ」
ロメリアの化粧に気付かないヘレンに、レーリアはいら立ちの声をぶつける。
「ええ! そうなのですか?」
ヘレンは驚いているが、見る人に化粧をしていることを気付かせないというのは、大変難しい。一流の画家が画布に絵を描くように、繊細な技法を凝らしてようやく完成する。
「初めて会った時、どんな化粧をしているのか尋ねると『いつも簡単に済ませています』と言っていました。でも絶対に嘘です。相当腕のいい化粧師を、抱えているに決まっています」
レーリアは嫌悪に顔を歪めた。
念入りに髪型や化粧を整え、高価な服に身を包みながら、口では大したことはしていませんとのたまう女が、レーリアは死ぬほど嫌いだった。
「大体、小説や劇で描かれているのと、本人とでは大きく違うではありませんか」
レーリアは話しながら、小説や演劇で描かれている、ロメリアの姿を思い出した。小説や演劇では過剰に美化されており、全く別人と言っていい。
「それは確かにそうですけど、実物のロメリア様も、素敵だと思いますよ。ところでレーリア様も、ロメリア様の小説や劇をご覧になったことがあるのですね」
「そ、それは……あれだけ流行っているのです。話題に遅れるのが嫌で見ただけです」
ヘレンに揚げ足を取られ、レーリアは言い訳をした。
「では、そういうことにしておきます」
ヘレンが笑いながら視線を送る。レーリアは気まずく顔を逸らすしかなかった。
「ところでそのロメリア様ですけれど、こちらに来る時にハメイル王国の陣地を通過して来たのですが、ロメリア様がゼファー様と一緒に歩いているのを見ましたよ」
「へぇ、あの二人が?」
ヘレンが話してくれた情報に、レーリアは声を跳ね上げた。
レーリアの脳裏に、ゼファーの顔が思い出された。いつもおどおどしている冴えない青年だった。一応ハメイル王国の王族らしいが、男として見るべきところはないように見えた。
「もしかして、あの二人デキているのかしら」
「まさか、それはないでしょう」
久しぶりに聞いた色恋話にレーリアは声を弾ませると、ヘレンは首を横に振った。確かにロメリアとゼファーでは釣り合わない。だが二人が付き合ってくれた方が、レーリアにとっては都合がよかった。
ロメリアに男を見る目が無いと笑うことが出来るし、そうでなくても人の恋愛話は格好の暇つぶしの種だ。
今頃二人でどんな話をしているのだろう。レーリアはハメイル王国の天幕で行われている話し合いに思いをはせた。
今回はストロベリートーク




