第十八話 秘策は胸に秘めるもの
いつも感想やブックマーク評価や誤字脱字の指摘などありがとうございます。
小学館ガガガブックス様より、ロメリア戦記のⅠ~Ⅲ巻が発売中です。
BLADEコミックス様より、上戸亮先生の手によるコミックスが発売中です。
漫画アプリ、マンガドア様で無料で読めるのでお勧めですよ。
周囲を水で覆われ、今や湖上の城となったガンガルガ要塞を眺めて、私は達成感に包まれた。
ガンガルガ要塞から反対側に目を向けると、爆裂魔石で吹き飛ばして生み出された溝がレーン川と繋がり、支流となって窪地に水を注いでいる。全て計算通りだ。
「嬢ちゃん、うまくいったな」
ガンゼ親方が豪快に笑う。
「全てはガンゼ親方のおかげですよ。よくこの難しい仕事を成し遂げてくれました」
私は今回の作戦における、一番の功労者を労った。
「今をときめく聖女様に言われると悪い気はしねーな。とはいえ、本番はここからだ。この状態を維持出来るように、あちこちを確認してくる」
ガンゼ親方は豪快に笑いながら丘を下り、新たに作った支流を点検しに行く。
水嵩は一番深い場所で大人二人分ほどはあるようだ。水量としては十分だが、この状態を維持しなければいけない。
「どうですか、ロメリア様。完璧な仕上がりです。これぞ我が魔導の成果と言えるでしょう」
「ええ、そうですね。貴方がいなければ、この完璧な仕上がりはなかったでしょう」
魔法兵隊長のクリートが自らの手柄を誇るので、私は頷いて讃えておく。
この作戦には工兵の尽力が大きいと言えるが、魔法兵も頑張ってくれた。それにクリートの魔道具の改良も見過ごすことが出来ない。あれが無ければ工期はもう少し遅れていただろう。
もっとも十日で魔道具を改良するのは厳しかったらしく、仕事を終えたクリートは疲労から数日寝込んでいたが、今や軽口も復活した様子だ。ならばこき使える。
「魔導士クリート。あとは堤防となった円形丘陵を整備しなければいけませんね。円形丘陵を点検して、弱い箇所を固めて回ってください」
「え? こ、この丘陵全てですか?」
クリートが声を震わせながら円形丘陵全周を見回す。
一周すれば膨大な距離となるだろうが、魔王軍が水攻めを解くために爆裂魔石で攻撃してくることが予想される。簡単に破壊されないように強化しておけば安心だ。
「お願いします。それを成しえるのは、天才である貴方と魔法兵しかいません」
私がにっこり笑って頼むと、クリートは膝から崩れ落ちた。
「この聖女は鬼だ、いや悪魔だ……俺を殺す気だ……」
クリートは焦点の合っていない目でつぶやいていたが、私は聞こえないふりをした。
大変な仕事だが、絶対にしなければいけない仕事なのだ。クリートに無理をさせてでもやらせる必要がある。
そしてやるべきことは他にもあった。ガンガルガ要塞へと続く支流には、陣地を横切っているため、通行のための橋を架けねばいけないし、水量を安定させるためにレーン川の上流に工兵を派遣して、上流の支流を塞ぐこともしなければいけない。だが何よりも優先すべきは、連合各国との話し合いだ。
「ロメリア様。これはどういうことですか!」
それまでへたり込んでいたシュピリが、勢いよく立ち上がり叫んだ。
「ガンガルガ要塞を攻撃したのですよ。私の狙いは初めから水攻めです」
「攻撃? これが攻撃なのですか? こんなの、見たことも聞いたこともがありません」
私の説明に、シュピリは信じられないと目を見開く。
「東の方では、よく行われている城攻めの方法らしいですよ」
私は子供の頃に読んだ、東方の軍記物を思い出した。
東方では城や要塞を攻める際に、城や要塞の周囲を水で覆ったという記録が残っている。
雨が多いとされる東方ならではの城攻めだろう。この辺りは東方ほど雨が多くないので、水攻めをした記録はない。ただ今回はガンガルガ要塞の特異な地形と、レーン川の雪解け水という条件が重なり、千載一遇の好機となった。
「しかしロメリア様。魔族は溺れ死んでおりませんよ」
シュピリがガンガルガ要塞を指差す。
指の先では魔王軍の兵士達が、続々と城壁を登って来るのが見えた。
確かに、ガンガルガ要塞は浸水しているとはいえ、水位の上昇は比較的緩やかだ。これで溺れ死ぬ者はいないだろう。
「溺れ死ぬことは期待出来ませんが、兵士は退避出来ても食料までは持ち運べません。大半は水に濡れて駄目になります。それにいくらガンガルガ要塞の壁が巨大でも、三万体もの兵士が生活するには狭すぎます」
私はガンガルガ要塞の壁の上を見ると、すでに溢れるほど魔王軍の兵士が集まっていた。彼らはこれから水が引くまで、吹き曝しの場所で生活しなければならない。あの数を考えれば、横になることだって出来ないだろう。
「それに何より、問題は水です。飲み水がない」
「水? 水なんて、周りにいくらでもあるではありませんか」
私の指摘に、シュピリが要塞の周りを覆う大量の水を指差した。
水攻めをしている最中なので、確かに水は周囲にあふれている。だが飲める水というものは、限られている。
「問題は排泄物です。三万体の魔族が出す排泄物は、どこに捨てられると思います?」
私は笑みを浮かべた。
普通ならば、排泄物は離れた場所に穴を掘って投棄する。しかし籠城中ではそうはいかない。
「そんなの、壁の外に……ああ、そうか」
答えた瞬間に、シュピリは私の狙いに気付いたらしい。
籠城中のガンガルガ要塞は、排泄物を壁の外に投棄することで処理している。当然この後も排泄物は壁の外に捨てられるだろう。だがそうなれば周囲の水は汚染される。常に流れる川ではないため、排泄物を捨て続ければ汚染は確実に進み、飲むことは出来なくなる。
「井戸も水没しているため使えません。彼らは食料もなく、吹き曝しの中で横にもなれない。体力が落ちている時に汚染された水を飲めば、高確率で疫病が発生します。加えてあの過密状態。一度疫病が発生すれば、蔓延を防ぐことは出来ないでしょう」
私は壁の上に集まる、哀れな魔族達を見た。
「持って三十日といったところでしょうか。これで戦うことなくガンガルガ要塞は落ちます」
多少時間はかかるが、兵糧攻めを考えれば短い方だ。それにこれなら兵士を損なわなくて済む。費用対効果を考えればお得な方法だ。
「ですが、どうして私に教えてくださらなかったのです。話して下されば」
「敵を騙すにはまず味方からと言うでしょう」
非難の目を向けるシュピリをよそに、私は円形丘陵に陣取る連合各国の本陣を見た。
今回の敵はもちろん魔王軍だが、それ以上に厄介なのが連合軍そのものだった。手柄争いに躍起になっている彼らは、魔王軍以上に面倒な存在と言えた。私が水攻めを考えていると知られれば、妨害してくる可能性が高かった。
そのため、私の策が坑道戦術であると、敵と味方の両方に思わせる必要があったのだ。
「偽装には苦労しました。坑道戦術と思わせるために、ガンガルガ要塞に向けても、穴を掘っていたのですよ」
私はガンガルガ要塞の根元を指差した。
魔王軍にも坑道戦術だと思わせなければいけないので、ちゃんとガンガルガ要塞の手前まで穴を掘っておいたのだ。
しかもそこから水が漏れ出すと困るので、水漏れが起きないよう、土魔法で穴を固め細心の注意を払った。今となっては無用の長物なので、後であの穴は入り口を埋めておかないといけない。
「ですが、私は王に遣わされた秘書官です。その私にも秘密にするなんて」
「それは仕方がないでしょう。貴方が信用出来ないからです」
心外だとするシュピリを、私は蔑みの目で見た。
「貴方は感情が顔や態度に出すぎなのですよ。慌て驚き、苛立てば怒る。そんなことでは私の秘書官失格どころか、王に命じられた密命すら、果たせませんよ」
私が指摘すると、シュピリはそれをなぜ知っているのかと目を見開く。
おそらくシュピリは王から密命を受けている。王が直々に寄越したのだから、密命の一つぐらい与えているはずだ。尤もその内容までは知らない。全てを知っているふりをして、カマを掛けただけだ。しかし動揺しやすいシュピリは、すぐに引っかかり顔に出る。
だがこの驚きぶりからすると、かなり重要な密命が下されているようだ。もしかしたら私の暗殺でも命じられているのかもしれない。
もちろん証拠はないため処罰は出来ない。だがその必要もない。今のシュピリに私は殺せない。恐ろしくもなかった。
「王の密命を受けたのであれば、もっと上手くやりなさい。本心と殺意を隠し、あらゆるものを利用しなさい。仕事をこなして私から信用を勝ち取り、油断させてここぞというところで裏切る。そうでなければ、一生私には届きませんよ?」
私はのぞき込むようにシュピリを見る。
「あっ、ああ、ああっ……」
私の視線に耐え切れなくなり、シュピリはその場で崩れ落ちへたり込んだ。
怯えて座り込むシュピリを見て私は彼女に対する興味を無くし、視線をロメ隊に向けた。
「オットー、ゼゼ、ジニ、ボレル、ガット。連合各国に合同軍議を開きたいと伝令に向かってもらえますか? グラン、ラグン。貴方達は護衛として付いて来てください。ベンとブライは留守を頼みます」
私はロメ隊の面々に指示を出す。この手の伝令や調整は秘書官であるシュピリの仕事だが、今の彼女は使えないだろう。
私の指示に、オットー達が丘を駆け下りる。私もグランとラグンを連れて合同軍議のための準備を始めた。
クリートはニ度死ぬ




