第十七話 ポケットと戦場を満たすもの
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ハメイル王国のゼファーは、円形丘陵を登るとため息をついた。
丘の上から見えるガンガルガ要塞は、高い壁だけでなく新兵器とも呼べる起重機や投石器、連弩により武装され、禍々しいまでの威容を誇っていた。
ゼファーは参謀の一人として連合軍に参加しているが、ガンガルガ要塞攻略のためにいい策を出せず、先ほども父であるゼブルに怒鳴られてしまった。
「よぉ、ゼファー。今日もため息か?」
声がした方向を見ると、日に焼けた肌と金髪を持つヒューリオン王国の王子ヒュースがいた。
ここはハメイル王国の陣地だが、ヒュースは放蕩王子の名に恥じぬ遊び人ぶりで、交流の名目で各陣地を遊び歩いている。特にゼファーとは歳が近いためによく訪ねて来る。
「これはヒュース王子、お出迎えせず失礼しました」
ゼファーはヒュースに頭を下げる。
予告のない来訪だが、大国の王子相手にそれを指摘は出来なかった。それにゼブル将軍はヒューリオン王国と繋がりを持てることを喜んでおり、しっかりと対応するように言い付けられている。おかげでゼファーの仕事は、半ばヒュースの接待係となっていた。
「ヒュースでいいと言っているだろう。それでため息だが、また親父さんに怒られたのか?」
「はい、今日も叱られてしまいました」
ヒュースは気安く声をかけてくれるが、ゼファーはわきまえて敬語で話す。
「ゼブル様はお前に期待しているのさ」
ゼファーの肩を叩いてヒュースが慰める。
「そんなに落ち込むなよ。愛しのあの人に、いいところを見せなきゃいけないんだろ?」
「なっ、ロメリア様は関係ないでしょう!」
ヒュースが茶々を入れ、ゼファーは顔を赤らめて否定した。
「私はハメイル王国のために頑張っているだけです」
「あの人とは言ったけれど、ロメリア様とは言っていないけど?」
ヒュースの半笑いの言葉に、ゼファーは顔をしかめる。
まんまと罠にかかってしまったが、実際ゼファーはロメリアに懸想していた。
柔らかな亜麻色の髪に優しげな顔、決意を秘めた瞳。あれほど美しい人に、ゼファーはこれまで会ったことがなかった。しかもこんな自分のことも気にかけ、怪我をした時はハンカチを差し出してくれるほどに優しい。
ゼファーは右手をポケットの中に入れた。
ポケットの中にはロメリアに貰ったハンカチが入っている。新しいハンカチをお礼として返したので、貰った物が残っているのだ。ゼファーはこのハンカチを毎日持ち歩いている。
「しかし、あの聖女様を狙っている男は多そうだぞ、がんばれよ」
ヒュースの指摘に、ゼファーは顔をさらにしかめた。
確かに、聖女ロメリアに思いを寄せる男は多いと聞く。あれほど美しい人なら当然だろう。
「でも今はお前の手柄より、本人の方が問題か。あの聖女様、大見栄を切っちまったからなぁ」
ヒュースが昨日のことを思い出したのか、呆れた声を出した。
ゼファーもその感想には同感だった。昨日軍議の席で、ロメリアはあろうことかライオネル王国のみで、ガンガルガ要塞を攻略してみせると豪語したのだ。
「あれで失敗したら、取りなし出来ないぞ」
「そうですね、父は昨日から失敗した時、どうやって糾弾するかを考えているようです」
ゼファーも同意のため息をつく。
ロメリアを非難することはしたくないが、ゼブル将軍には逆らえなかった。
「唯一の希望は、聖女様がガンガルガ要塞を攻略することだが、ゼファーは出来ると思うか?」
「さて、どうでしょう」
「ちゃんと答えろよ。国では一番の参謀なんだろ」
「ちがいます。ただ養成所の成績が良かっただけです」
ゼファーはヒュースの間違いを正す。
参謀を育成する養成所で、ゼファーは好成績を収めた。だがそのせいで周りからは名参謀だなどと言われているが、ただの偶然でしかない。
「それはいいから、お前の見立てではロメリア様は、ガンガルガ要塞を攻略出来るか?」
ヒュースが真っ直ぐな瞳で見る。
普段は気安く人懐っこいヒュースだが、時折人の心を覗き込むような目をすることがある。その視線に晒されると、ゼファーは嘘を言えなくなってしまう。
「無理……でしょうね。出来ません」
ゼファーは首を横に振った。
「ロメリア様は坑道戦術を考えているのでしょう。それは明らかです」
ゼファーは、南にあるレーン川に目を向けた。
レーン川には、川幅が変化するほど大量の土が投棄されていた。あれでは穴を掘っていることがガンガルガ要塞からでも分かってしまうだろう。だが排土に気を使っても結果は同じだ。
「坑道戦術は地面に穴を掘り、内部に侵入する。もしくは壁の下に穴を掘って崩落させ、壁を崩すというものです。しかしこれは使い古された手であり、ガンガルガ要塞は対策が講じられています」
ゼファーは脳裏に、ガンガルガ要塞に備わる坑道戦術に対する設備を予想した。
ガンガルガ要塞は地下から易々と侵入されぬように、壁の下、地中にも穴を掘って壁を築き、地下からの侵入を防ぐ防御壁を構築しているはずだ。
要塞の内部に侵入することは出来ず、壁を下から崩すことも出来ない。おそらくライオネル王国は表門の近くにまで穴を掘り、その穴から飛び出すことで要塞に肉薄し表門を爆裂魔石で吹き飛ばす計画を立てているはずだ。しかしこの作戦も、魔王軍には予想されている。
なぜならガンガルガ要塞の内部には縦穴があり、地中の音を拾い接近を察知する、音の物見櫓ともいえる備えがあるはずだからだ。
魔王軍はライオネル王国の軍勢がどの辺りから出てくるか、すでに見当を付けているだろう。魔王軍は穴の出口に連弩や火炎弾の照準を合わせているはずだ。
「では、ライオネル王国も終わりか。ロメリア様は策士としても一流ということだったが、評判倒れだったわけだな」
ヒュースの言葉に、ゼファーは表情を曇らせる。
ロメリアは伝聞では指揮官としても一流であると言われていた。実際、何度も兵を率いて魔王軍討伐の陣頭指揮を執ったという話なので、戦歴は十分と言えるだろう。その評判を考えればこの状況はなんともお粗末だ。
一体どうなるのか、ゼファーは気が気ではなかった。
「男同士で、何を話しておるのだ?」
氷の如き冷たい声が響き、ヒュースと共にゼファーが後ろを振り向くと、そこには銀の髪に深い青のドレスを身に着けたフルグスク帝国の皇女グーデリアがいた。その右隣には金の髪を縦に巻き、青いドレスを着たホヴォス連邦の公女レーリアが取り巻きのように侍っている。さらに二人の後ろには、緑のドレスを着た女性がいた。黒い髪に大きな瞳を持つヘイレント王国の王女ヘレンだ。
「別に、男同士の内緒話さ」
ヒュースが適当に答え、グーデリアがわずかに微笑む。
グーデリアは厳冬の如く常に感情を見せないが、ヒュースといる時だけは、雪解けの季節を垣間見せる。
「ゼファー様。すまんが今日もここに厄介になっても構わぬか? ここでレーリア様やヘレン様と共にロメリア様の戦術を観戦しようと思ってな」
グーデリアに直々に頼まれては、ゼファーとしては嫌とは言えず、頷くしかなかった。
ヒュースと同様、グーデリアもレーリアとヘレンを伴い、ゼファーの下にやって来る。もちろんゼファーに女性を惹きつける魅力があるわけではない。
彼女達の目的は、ヒューリオン王国の王子であるヒュースだ。
レーリアはグーデリアの覚えをよくしたいと、ヘレンを巻き込んで毎朝グーデリアに挨拶に伺っている。そしてグーデリアはヒュースを気にかけている。そのヒュースがゼファーのところにやって来るため、ハメイル王国の陣地に世界各国の王族達が集まるのだ。
ゼファーは内心ため息をついた。
正直各国の王族を相手にするのは気が休まらない。ロメリアの訪問なら大歓迎だが、ゼブル将軍が許すとは思えず、望まぬ客の相手ばかりさせられている。
「しかし、これでロメリア様の化けの皮が剥がれますわね、グーデリア様」
レーリアがへつらいの笑みを見せる。
「全くあの人は。国では聖女だと煽てられているようですが、軍議の席でもすまし顔で、イライラさせられました。今日でその顔が崩れるのかと思うと清々します」
レーリアの嘲笑を聞き、ゼファーは耳を塞ぎたい気分だった。
世界各国の王族を苦手としているゼファーだが、レーリアのことだけは嫌いだった。
自己主張の激しい髪型や、気の強そうな顔も好みではなかったが、何よりも嫌なのは強者に媚びる態度だった。
ヒュースとグーデリアに対して、まるで取り巻きのように媚びへつらう。一方で控えめなヘレンに対しては子分のように扱っており、大人しい相手には強気に出る性格が嫌いだった。
「おっ、聖女様のご登場だ」
ヒュースの声が聞こえ、ゼファーはライオネル王国が陣地を築く南に目を向ける。
獅子と鈴蘭の旗の間に、純白の鎧を身につけた亜麻色の髪をした女性が見えた。
遠目にも凛々しく、存在感が感じられる。自分とそれほど歳は離れていないはずなのに、なんて立派な人だとゼファーは改めて思う。
旗の下に立つロメリアは、配下の兵士達と話している。おそらくロメリア二十騎士達だろう。次に赤い服の秘書官と話し始めた。
あの話が終われば、ライオネル王国の攻撃が始まるはずだ。
「……妙です」
旗の下に立つロメリアを見ていると、ゼファーはおかしなことに気が付いた。
「ん? 何がだ?」
「ライオネル王国の兵士の姿が見えません」
ヒュースの問いに、ゼファーはガンガルガ要塞の前を指差した。
窪地にそびえるガンガルガ要塞の周りには、倒壊して焼け落ちた攻城塔や投石器の残骸以外には何もない。兵士は一人も窪地にいなかった。今から要塞を攻めるというのに、なぜライオネル王国の軍勢が展開していないのか。
「ん? それは坑道戦術で下から攻めるからだろ?」
「下から攻めるんだから、上に兵士はいらないじゃない」
「それでも陽動のために、周りに兵士を置くべきです」
ヒュースとレーリアの素人考えに対し、ゼファーは首を横に振った。
戦争とは騙し合いである。どれだけ相手の意表を突けるかが、勝敗を分けるといってもいい。
これまで何度も戦場を経験しているはずのロメリアが、ゼファーが考える程度の陽動を、思いつかないわけがない。
ゼファーは不意に背筋に寒気を感じた。
自分はとんでもない思い違いをしているのではないか? ロメリアは自分には考えもつかない戦術を練っているのではないか?
ゼファーは自分の考えに戦慄し、旗の下に立つロメリアを見た。
獅子と鈴蘭の旗の下、ロメリアは剣を天に掲げ、今まさに命令を下そうとしていた。
ロメリアが剣の切っ先をガンガルガ要塞に向け、勢いよく振り下ろす。
直後、ガンガルガ要塞を覆う円形丘陵の一部が爆ぜた。
「な、何事!」
大気を震わせる爆音と衝撃にレーリアが驚き、裏返った声を上げた。
ゼファーが音の発生源を見ると、爆発が起きたのはロメリア達が立つ丘からやや離れた場所の、レーン川にもっとも近い丘だった。
ゼファー達が爆発に驚いていると、爆ぜた丘からさらに爆発が起きる。爆発は円形丘陵の外側へと伸びていき、レーン川に向かって連続して発生していた。
「なんだ、何が起きている!」
ヒュースが声を上げる。ゼファーはただ目を凝らして、爆発が起きている箇所を見た。
連続して爆発が起きた場所では深い穴が開き、穴がまるで道のように溝が続いている。
「道、いえ、溝が出来ている?」
ヘレンが驚いてつぶやく。
爆裂魔石の爆発で、あそこまで綺麗に溝が出来るとは考えにくい。事前に地下に穴を掘り、最後に上の土を、爆裂魔石で吹き飛ばしているのだ。
連続した爆発はレーン川へと進撃し、ついには川にぶつかる。爆発が川のほとりにたどり着いた時、今日一番の轟音と衝撃がゼファーの肌と鼓膜を震わせた。
爆音にもゼファーは視線を逸らさず、一部始終を見続ける。すると溝はレーン川と繋がり、川の水が出来たばかりの溝に流れ込む。
溝は水路となり、ガンガルガ要塞を囲む窪地に大量の水が流れ込んだ。
豊富な雪解け水を湛えたレーン川の流れは止まらず、水はガンガルガ要塞にも到達する。要塞の壁の上にいた魔王軍も流れ込んでくる水に驚いているが、水を相手に矢を放つわけにもいかない。
「む、ここまで水が来たか」
グーデリアが視線を下に向けると、ゼファー達がいる丘の下にも水が到達し、ついに窪地の全体に行き渡った。だがそれでも水の流入は止まらず、水嵩はどんどん増していく。
「おいおい、これは」
ヒュースが感心しているとも、呆れているともつかない声を上げた。ゼファーもなんと言っていいか分からない。
目の前では水面から顔を出す、ガンガルガ要塞の姿が見えた。
実はこの話が長いから、二分割しようかと思ったけれど引っ張りすぎと思ってやめた




