第二十八話 恩師達に再会したら、過去の話を暴露された
「しかしロメリア様の先生ですか」
ミアさんが驚くように二人を見る。
「子供の頃のロメリア様はどうでした、さぞや優秀な生徒さんだったんでしょうね」
私の子供時代のことを訊ねると、二人が苦笑した。
「あ~っと、昔話はそろそろ切り上げて……」
止めようとしたが遅かった。
「あなた、レルレーヌの詩を暗唱できますか?」
クインズ先生の問いに、ミアさんは少し困惑しながらうなずく。
「ええ、それぐらいなら」
レルレーヌは有名な詩人で、少し教養のある人ならだれもが知っている名前だ。
「真白き月が森を照らす。でしょう?」
ミアさんが冒頭部分をそらんじると、ヴェッリ先生が半笑いの顔で私を見た。
「続きを言えますかな? お嬢様?」
「そ、そんなの簡単ですよ」
あーえーっと。何だっけ。……そう、これだ。
「それが何という物憂い、私は小道を歩いていこう。でしょう?」
確信はなかったが言い切ると、両先生は苦笑いし、ミアさんが困った顔をしていた。
「あの、ロメリア様。それ別の詩ですよ、しかも後半はレルレーヌじゃなくてミンボーの詩です」
二重の失敗を指摘され、目をそらす。そんな目で私を見ないで。
「い、いいんですよ、別に。詩なんて知らなくたって死ぬわけじゃなし」
なんとか言い訳を口にするが、ヴェッリ先生があきれた声を出す。
「いやー貴族の令嬢がレルレーヌ言えないとか、ないだろう」
「ダンスもろくに踊れないし」
クインズ先生も畳みかける。
「ワッ、ワルツは踊れますよ?」
「ワルツしか踊れない令嬢がありますか!」
ぴしゃりとクインズ先生に叱られる。
「ロメリア様は勉強やダンスが苦手だったんですか」
ミアが少しショックを受けている。完璧だと思われるのも困るが、イメージを壊されるのも困る。なんとか立て直さねばならない。
「いえ、違うんですよ、ダンスと詩が苦手だっただけで、それ以外なら」
なんとかごまかそうとしたが、私の過去を知る二人を前にしては分が悪かった。
「歌や楽器もだめだめだったよな?」
「作詩の才能もありませんでした」
「教えた中で合格点出せたのは行儀作法だけだった。まぁ、これが出来てなかったら人として外に出せないけど」
先生方は私の過去を次々と暴露し、築いていたイメージがガラガラと崩れていく。
「これでも私は腕がいいと評判で、教えた生徒はどれも平均以上にはできるようになったのですが、お嬢様ほど覚えの悪かった生徒はいませんでした」
クインズ先生が嘆かわしいと嘆き、ヴェッリ先生も続く。
「ロメリア。俺は現在の詩聖と数えられるポートレールにさえ教えていたのに、いまのは少し悲しかったぞ?」
二人の言葉に、私のイメージ防衛戦線は完全に瓦解する。もういい、修復はあきらめよう。
「面目ありません」
こうなっては繕っても仕方がなかった。それにあれだけ時間をかけてくれたのに、こんな体たらくでは二人には謝るほかない。
「ただ勘違いしないでくださいね、ミアさん。お嬢様ほどの生徒はいませんでした」
「そうだな、これまでだいぶ生徒を見てきたが、こいつ以上の生徒はいなかった」
「どういうことです?」
ミアさんが訪ね返すと、ヴェッリ先生が答えた。
「俺は詩と音楽を、クインズは行儀作法とダンスを教えるために雇われたが、専門は違ってな、俺は政治学と戦史研究。こいつは数学と経済学が専門だった。金になる学問じゃねーし、女が数学や経済とか言っても相手にされないだろ? 家庭教師は副業だった。まぁそっちしか仕事はなかったわけだけど」
二人とも尊敬すべき先生だったが、世の評価は芳しくない。というか、全く評価されていなかった。理解できない世の不条理だ。
「詩もダンスもさっぱりでしたけれど、私たちが読んでいた本や研究に興味を持ちましてね、そっちはすぐに上達しました」
「どれだけ詩を教えても覚えないくせに、戦争があった年表とか速攻で覚えやがったからな」
「ステップの一つも覚えられないのに、数学は得意だったんですよねぇ」
二人には本当に申し訳ない。しかしどうしても詩の暗記やダンスのステップが覚えられないのだ。
「しかし私の経済理論を完全に近い形で理解したのはこの子が初めてでした。お嬢様ほど教えがいのある生徒はいませんでしたよ」
正面から言われると少し照れる。
「はぁ、よくわかりませんが、やっぱりロメリア様はすごかったんですねぇ」
ミアさんは感心してくれる。
「ただ、賢い女というのは社交界ではウケが悪いですから、教えていたことは内緒にしました。でもまさかこんな形で役立てるとは、思いませんでしたよ」
私も教わっているときは、実際に使うことになるとは思わなかった。
「ところでロメリアよ。この砦、面白い作りだな」
ヴェッリ先生が砦の作りに気づく。
「聞けば砦の中に敵を誘い込んで、弓で仕留めたそうじゃないか」
実際の戦場に来てヴェッリ先生はうずうずしているようだった。
これまで研究はしていても、実際に戦場に来た経験はなかっただろうし、アルやレイが考えた戦術は、先生の好奇心を大いに刺激したようだ。
「ああそれならアルとレイ、この砦の部隊長に聞いてください。面白い話が聞けますよ」
一日で砦を建てた話や、矢を十字に打つ戦術は先生にとっては興味深いだろう。それに先生とレイたちが仲良くなってくれれば、二人の戦術理解度や幅も広がるかもしれない。ヴェッリ先生には兵たちの教師役、そして私の相談役にもなってほしい。
「私は経理を担当しましょう。給料の分配や資材の管理などはお任せください。あと、侍女を数人雇う許可を。当座は私とミアさんで何とかしますが、お嬢様のお世話をする者は必要になりますので」
先生には逆らえないが、それは少し待ってもらいたい。
「でも、自分で何とかできますよ? これまでもそうしてきましたし」
そんなことで人を雇うのなら、兵士や武器をそろえたい。
「ホホホホホッ。面白い冗談ですこと」
先生は嘘くさい笑い声をあげた。顔は笑顔だが、その表情は北方の永久凍土よりも冷たい。
私はこの顔を覚えている。子供の頃宿題をまったくやらなかった時の目だ。
「……いえ、先生の言うとおりにしてください」
私はあっさりと白旗を上げた。先生には逆らわないほうがいい。
それによくよく思い出せば、私は伯爵令嬢だ。淑女なのだ。
王子との三年間の旅では自分のことは自分でしてきたが、貴族として身の回りの世話をする侍従がいなければ、格好つかない時も出てくる。先生の言うように侍女は必須だ。
「ああ、でも先生。雇うのならこの地方の人でお願いします」
一応注文を付けておく。間者の心配はまだ早いが、長く仕えてもらうのなら、信用できる人物でないといけない。
「わかっています。身元が確かで家族が大勢いて、ある程度教育が行き届いている若い娘を厳選するつもりです」
言うまでもないようだった。さすが先生。
「ではさっそく仕事にかからせてもらいます」
先生はスカートを軽く持ち上げて一礼し、うやうやしく去っていった。