第二十六話 竜との戦い
灰色に覆われたギリエ渓谷では、金属をこすり合わせたような叫び声が、むき出しの岩肌に響いていた。
岩の上に巨大な爪を持つ竜が飛び乗り、爬虫類特有の縦に割れた瞳を見開き、口を限界まで開いて威嚇の声を上げている。
獣脚竜。竜種の中でも中型に属する竜だった。前足は小さく、その名を示す巨大な後ろ足で全重量を支えている。
後ろ足には大きく湾曲した爪を持ち、その動きは俊敏かつ獰猛。切り立った岩肌も難なく上り、自身の倍近い高さまで跳躍するなど、この大陸に生息する魔物の中でも強力な部類に入り、訓練を受けた兵士でも、一対一で戦うことは危険とされている相手だった。
その獣脚竜が十数匹、岩肌の上に散らばり、私たちを見下ろし、叫び声をあげていた。
「落ち着いて行動するのです、そこ、陣形を乱さない。隙間を作れば飛び込んできますよ」
私は声を張り上げ、兵たちを叱咤する。
五十人の兵が槍を連ね、方陣を形成している。
そろえられた槍を前に、獣脚竜はうかつには飛び込まず、岩の上に陣取り、警告の声は上げるものの、決して降りてこようとはしない。
竜は狡猾だ。見た目ほど頭は悪くはない。むしろほかの魔物よりも知能が高いだろう。
魔物は人間に対して非常に攻撃的で、意味もなく殺そうとする。だが竜は狂暴ではあるもののその攻撃性を抑え込み、時には人間を欺こうとする。
ここに住む竜たちは、私たちが危険な相手であると認識し、もはや砦には近づかない。槍や弓矢の間合いを理解しており、安全な高所をとり、威嚇はするが降りては来ない。
こうなると討伐には手を焼くが、私は焦らず指揮を執る。
ふいに視線を感じ見上げると、一匹の獣脚竜が、縦に割れた瞳で私を見下ろしていた。
獣脚竜は鱗に体色を持ち、個体によっては色が違う。私を見ていた竜の鱗は、赤みがかった光を放っていた。おそらくこの群れの長だ。じっと私をにらみつけ、視線を外さない。
どうやら私が指揮官だとわかっているようだ。そして私がこの中で最弱であるということも。
私はその瞳を見返し、笑う。
お前たちは確かに賢い。危険な敵を認識し、間合いを理解し、警戒する慎重さを持っている。
しかしそれでも、お前たちは獣だ。ならば怖くはない。
「総員、ゆっくりと後退せよ」
私の号令により、槍を構える兵士たちがじりじりと後退する。背後には大きな岩が二つあり、細い道のように続いていた。私は小道を目指してゆっくりと後退した。
じりじりと後退する兵士たちを見て、竜の群れが反応しわずかに前のめりになる。
私はゆっくりと、できるだけ引きつけながら後退させ小道の前まで移動すると、くるりと背を向けた。
「総員、撤退」
私の号令に兵士たちも槍を掲げて、背中を向けて逃げだす。
無防備な姿で逃げだす私たちに、岩の上から見下ろしていた獣脚竜たちが一斉に飛び降り、襲い掛かった。
小道を逃げる私たちを竜が追いかけてくるが、道を抜けた先で待っていたのは、幾本もの突き出された槍の穂先だった。
事前に伏兵を配置し、待機させていたのだ。
待ち構えていた伏兵に竜たちが貫かれ、悲鳴を上げる。
「撤退停止、集合」
逃げた兵士たちは打ち合わせ通りに撤退を停止し、集合して隊列を組みなおす。
「反転、前進。包囲網を作れ」
反転して伏兵に合流。さらに陣形を厚くする。
私たちの待ち伏せに気づいた竜が、首を返して戻ろうとするが、方向転換した竜の体に、幾本もの矢が降り注いだ。
巨大な岩の上にも伏兵を配置し、弓を持たせている。上から弓を射かけられ、竜たちは逃げることもできない。
悲鳴を上げる竜を見て、私はうまくいったと安堵する。
偽の退却からの待ち伏せ攻撃。こいつらは必ずこれに引っかかる。
竜と言えどこいつらはやはり獣だ。敵を警戒する理性を持っているが、背中を見せて逃げる敵を前にすれば、どうしても獣の本能が勝り、追いかけずにはいられなくなる。
しかし、この作戦も回数を重ねることで練度が上がってきていた。魔王軍相手にはこんなにうまく行くとは思えないが、いずれ実戦でもやってみたい。
「ロメリア様、無事ですか?」
実戦で試す場合の課題を考えていると、待ち伏せの部隊を指揮させていたレイが駆け寄ってきた。
しかし怪我がないことなど、見ていてわかっただろうに。
「ええ、かすり傷一つありませんよ」
十分に距離を取っているし、兵士たちが守ってくれているので守りは盤石だ。
しかしそれでもレイは安心できないらしく、いつももっと下がるように言ってくる。
「いえ、竜たちは侮れない敵です。やはりもう少し奥で控えていてください」
「大丈夫ですよ、それに、前線でつかめることもあります」
魔物が相手とはいえ、戦場には微妙な機微というものがある。地形の変化や兵士たちの緊張、敵の注意がどこに向いているのか。前線でしかわからないことも多い。戦う力がなく、頭しか使えないのだから、多少の危険を冒してでも、戦場の機微や空気というものを肌で感じておきたい。
視線を上にあげて、岩の上に配置した弓矢部隊を見る。槍を抱えたアルが部隊を指揮している。上も順調そうだ。最近はロメ隊だけではなく、砦にいた兵士たちも経験を積み強くなってきている。
本格的にギリエ渓谷の討伐を開始して一ヵ月が過ぎた。この地に住む魔物の掃討も半分ほど進み、掃討のめどが見えてきている。
前を見ると、狭路に誘い込んだ竜を倒せたようで、さっきまで聞こえていた悲鳴のような叫び声はなくなった。狭路では竜の死体が積み重なり、小さな山になっている。
「とどめを刺してください。死んだふりをしているかもしれませんので、注意して」
用心してとどめを刺すように指示し、兵士たちが歩み寄ったその時だった。山のように重なった死体がはじけ、突如二匹の竜が空中に躍り出た。
仲間の死体に隠れていた!
兵士たちがわっと驚く中、二匹の竜は驚嘆の跳躍力で岩を蹴り、槍を連ねる兵士たちの頭上を飛ぶ。
兵たちが慌てて槍を上に向けるも、竜の跳躍は長槍さえも飛び越え、包囲網の外に着地、二匹の竜が私の前に躍り出る。
二匹のうち一匹はあの赤い体色をした群れの長だ。群れの仲間を殺された憎悪を瞳に宿し、私めがけてとびかかる。
巨大な口が開かれ、私の視界を覆った瞬間、突如横合いから、唸り声をあげて槍が飛び込み竜の首を撃ち抜き、勢いもそのままに竜を岩肌に縫い留めた。
まるで破城槌のような槍の一撃に、縫い留められた竜は即死する。
残る一匹はというと、私に巨大な脚爪を向け貫き、蹴り殺そうとしていたが、爪が私に届く直前、体に赤い線が走ったかと思うと、足と首が切断され空中で分解、頭と足が宙で跳ねた。
地面に落ちた胴体が、頭を失ったことに気づいていないのか、手足をばたつかせるが、すぐに動かなくなり死に絶えていった。
「大丈夫ですか、ロメリア様」
レイが慌てて駆け寄る。
死が目の前にまで迫っていたが、その危険は一瞬で取り除かれた。
どちらかわからぬ血しぶきが頬にかかり、しずくが垂れる。
私に届いたのは流血の一滴のみ。
「ほら、危ないでしょう。やっぱりもっと下がってください」
レイが危険を主張する。
竜を縫い留め、串刺しにした槍を投げたのがアル。空中で首と足を切断したのがレイだ。
アルはだいぶ距離が離れているのに、まるで丸太を投げたような威力で槍を投げ、レイは目の前にいたというのに、抜刀の瞬間すら私には見えなかった。
「いやぁ、すごーく安全だと思いますよ」
顔についた血をハンカチで拭いながら、レイに言い返しておく。
ここで戦うようになってから、二人は何匹もの竜を狩り、覚醒を繰り返して力をつけている。もはや竜では相手にならず、以前戦った魔王軍の隊長とでも互角以上の戦いができるだろう。
ほかの兵士も、強敵との戦闘で力をつけているが、二人は別格と言っていい。
しかもこれほど成長を続けても、二人ともまだ底が見えない。魔法もまだ完全に使いこなせてはおらず、伸びしろは大きい。二人の成長が今後の鍵となるだろう。
「私もあなたたちに負けていられませんからね、次に行きますよ、あと十匹は狩りたい」
日に日に強くなっていく二人を頼もしく思いながら、自分も成長しなければならないと決意を新たにする。
王子と旅をした三年、そして現在も鍛錬は続けているが、戦うことだけはどうしても上達しない。どうも私には戦闘の才能がないのだろう。
ならそれ以外の部分に注力すべきだ。指揮官としてなら戦場で役に立てる。
心配性のレイを無視して、竜の討伐に向かった。
ようやく書下ろし部分に到達
これからは三日に一度ぐらいの割合で更新していくと思います




