第五十五話 アンリ王の演説
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バルコニーへと出たアンリは、眼下に広がる広場を見下ろした。
広場には王国の騎士団が集い、旗を並べていた。黒地に金の鷹が描かれた黒鷹騎士団。青い旗に狼の意匠の青狼騎士団。赤い月の紋章を掲げる赤月騎士団。他にも王国を代表する騎士団が、それぞれ選り抜きの精鋭百人を式典に参加させている。
連なる旗の中には、白地に鈴蘭の旗もあった。旗の下には白い鎧を着たロメリアと、カシュー守備隊が整列している。カシュー守備隊はセメド荒野の戦いで功績があったということで、生き残った七百人の兵士全てに式典に参加する栄誉を与えた。
アンリは旗の下に立つロメリアを見た。
戦場でも見たが、白い鎧は美しいものの装飾は少なく、実用主義は相変わらずのようだ。
アンリは視線をさらに外に向けると、整列する騎士団の外側には、数万人の民衆が集まっていた。皆がこの建国式典を祝いに来ており、アンリの登場に拍手喝采を送り、歓声を上げてくれていた。
アンリは民衆に手を振りながら、歓声が静まるのを待ち、軽く咳払いをしてから口を開いた。
「こうして建国七十年目を、諸君と共に祝えてうれしく思う。それに先日は王妃エリザベートが、ロメリア伯爵令嬢と共に、魔王の実弟ガリオスを討ち倒すという快挙を成し遂げた。誠に喜ばしいことだ」
アンリは事前に作られた草稿を読み上げただけだが、エリザベートとロメリアを讃える内容に民衆は喝采を上げた。
「皆の助けがあれば、これからもライオネル王国は発展していくことだろう」
アンリが述べると、聴衆の中からは『英雄王のお陰だ!』と声が上がった。
声がした方向に向かって、アンリは軽く手を振って応えた。
英雄。そう、英雄になりたかった。
アンリが最初に英雄という言葉を知ったのは、子供の頃、寝る前に母に読んでもらった物語だ。物語の英雄に子供だったアンリは魅了され、いつか自分も英雄になると信じて疑わなかった。もちろん子供じみた夢だったが、魔王軍の出現が幻想に形を与え始めた。
怪物の様な魔族に、戦乱に荒廃する国土。まさに物語の冒頭そのものだった。
英雄になるのならば今だと、アンリは国を飛び出した。
思えばあまりにも無謀な旅だったが、何故か上手く行った。エリザベート達を仲間にしてからは、旅は更にうまく進み、ついに魔王ゼルギスを討ち取った。まさに英雄の偉業だった。
アンリ自身、自分のことを英雄だと思っていた。しかし……。
「英雄と呼んでくれてありがとう。しかし私は英雄ではない」
アンリが民衆に声を掛けると、また拍手が起こった。謙虚さの表れと受け取ったのだろう。だがこれは偽らざるアンリの本心だった。
自分は英雄ではない。
エリザベート達がガリオスを倒す光景を目にした時、アンリはその事実に気付いてしまった。
彼女達の成したことは、まさに英雄の偉業だった。
一方で自分は魔王討伐以降、何も成せずにいた。
神に愛された英雄は自分ではなく、エリザベート達だったのだ。自分はただ、英雄のおこぼれをもらい、勘違いしていただけに過ぎないのだ。
その事実に気付いた時、アンリは自分の罪深さに震えた。
これまで自分は多くの犠牲を出してきた。英雄には必要な犠牲だと、気にすら止めなかった。だが自分は英雄でも何でもなかったのだ。ならばこれまでの犠牲は、全て必要のない犠牲だったことになる。
英雄にあらざる者が英雄として振る舞った罪。それは償わなければならない。
「私は諸君に謝らねばならん。私はこれまでに多くの犠牲を出しすぎた。特に魔王軍の討伐に、時間をかけすぎたことは、全て私の責任だ」
アンリは民衆に頭を下げた。
これには民衆や、後ろで演説を聞いている家臣や貴族達からもざわめきが起きた。
草稿にないこと以上に、王が頭を下げるなど、あってはならないことだからだ。
だが頭を下げずにはいられなかった。自分の英雄願望のために、どれほど多くの犠牲を出してきたことか。
どんなに詫びても、許しては貰えない大罪だ。
「今後二度とこのようなことがないと約束しよう。その証拠として私は魔王軍と戦うことを目的とした騎士団を作るつもりだ。今残っている全ての騎士団を解体し、その力を結集した最大最強の騎士団! 魔王軍と戦うための騎士団! 退魔騎士団を結成する!」
アンリは力強く宣言した。すると今度は喝采と同時に動揺が起きた。
退魔騎士団の構想に民衆は歓声を上げていたが、居並ぶ騎士団の騎士達は戸惑い、顔を見合わせている。背後にいる家臣や貴族達も、寝耳に水の話にざわついていた。
アンリは後ろを無視し演説を続けた。
「そしてその退魔騎士団の初代団長を!」
アンリは一度言葉を切り、広場に立つ鈴蘭の旗、その下にいる白い鎧を着た女性を見る。
「ロメリア伯爵令嬢に任命する!」
アンリは宣言と共に、鈴蘭の旗の下に立つロメリアを指差した。
宣言の後、広場は水を打ったような無音となった。しかし次の瞬間、民衆からは割れんばかりの大歓声が起きた。
音が衝撃となって伝わるほど、民衆達は熱狂していた。だが眼下に集った騎士団や背後にいる貴族達は、驚きと不安に声も上げられなかった。
アンリは笑いながら振り返った。
「ん? どうした? 何か気に入らないのか?」
アンリはエリザベートや家臣、そして貴族達を見る。
エリザベートは、何に驚けばいいのか分からないといった様子だ。家臣達は、こんな話聞いていないと目を丸くしている。
殺気立っているのが貴族達だ。自分達の騎士団が解体されると聞いては、心穏やかではないだろう。だが一番顔色を変えているのは。ファーマイン枢機卿長とザリア将軍だった。
「はっ、話が違いますぞ!」
ファーマイン枢機卿長が、たまらず声を上げた。
確かに事前の取り決めでは、アンリは全く違う内容を話す予定だった。
「ああ、そうだったな。君が作った草稿とは、少し違ったな。たしか『ロメリアをローバーンへと送り込み、魔王軍に支配された土地を切り取る』だったな。壮大で英雄的なところは、実に私好みの文面だったぞ」
アンリは、ファーマイン枢機卿長が書いた演説の一部を語ってみせた。
それを聞いた、貴族達の視線が今度はファーマイン枢機卿長に集まる。
自分を英雄だと思っていた頃なら、得意満面で演説しただろう。だが酔いの冷めた頭で考えれば、馬鹿げた話だ。疲弊した国民を前に戦争継続を宣言すれば、下手をすれば暴動が起きる。いや、それが二人の狙いだったのだろう。
「しかし、貴方が言い出したことではありませんか。あの草稿は、アンリ王のためを思って」
「なら、お前達が謀反を計画しているのも、私のためを思ってか?」
アンリが謀反を言い当てると、ファーマイン枢機卿長は目を見開いて驚く。
ロメリアを謀殺しようと、アンリはファーマイン枢機卿長とザリア将軍を呼び出した。だがアンリが立ち去った後では、二人は謀反の計画を練っていたのだ。
わざと暴動が起きるような演説をさせ、混乱に乗じて謀反を働く。それが彼らの計画であり、アンリの計画でもあった。
「い…一体、なんのこと、でしょうかな?」
ファーマイン枢機卿長は謀反を否定したが、その声は上ずり、目は彷徨っている。一方ザリア将軍はさすがに腹が据わっており、謀反を指摘されてからは無表情を貫いていた。
「お前達の謀反の計画は全て掴んである。この部屋を見よ。私の手足である親衛隊が殆どいないだろう? 現在、謀反を計画した者達を逮捕しているところだ」
アンリが話すと、ファーマイン枢機卿長は顔色を急変させた。
もっとも、これは嘘だ。アンリは謀反の証拠など掴んでいない。だが謀反が計画されていると想像すれば、どこが襲撃されるかなどは予想がつく。あとは気取られぬよう、ギリギリまで何もせず、ここに来る前に親衛隊に命令を出し、市庁舎や兵器庫、街の門などを押さえさせた。
「今頃は、黒鷹騎士団の本隊を任されている、カレナ副将も捕縛されていることだろう」
黒鷹騎士団の名前をアンリが出すと、ザリア将軍の眉が動いた。
式典には黒鷹騎士団も百人が参加している。だがその殆どは北の国境であるガザルの門を守護していた。しかし二人の謀反に合わせて、黒鷹騎士団も王都に向かって来ているはずだ。
ただし、こちらは親衛隊の手が足りず、捕縛は全くの嘘だ。しかしザリア将軍を動揺させることは出来たらしい。
「ファーマイン、ザリア。お前達を許すわけにはいかん」
アンリは立ち尽くす二人を見た。
ファーマイン枢機卿長は教会の神聖性を穢し、ザリア将軍は国内の魔王軍を放置した。
ザリア将軍との確執は、自分にも原因がある。だがだからといって敵を放置し、民を苦しめたザリア将軍の行動は、騎士の誓いにもとる行為だ。決して許すことは出来ない。
この二人を王国から取り除くこと。それが自分のなすべき仕事の一つだ。
「大人しく謀反を認めて縛につけ。さすれば命だけは助けてやろう」
アンリは温情を示した振りをして、二人に自白を迫った。
謀反の証拠は掴んでいない。そのため多くの貴族の前で、謀反を認めさせる必要があった。しかし長きにわたり権力の座についていた二人は、自分から口を割るようなことはしなかった。
やはりこれしかないか……。
アンリは静かに覚悟を固めた。
ファーマイン枢機卿長とザリア将軍。二人を王国から取り除くには、捕らえて裁判というやり方は不確実だった。政財界や軍部に強い繋がりを持つ二人のことだ。裁判をしてもうまく切り抜けてしまうかもしれない。
もっと決定的で、誰にも覆せない証拠が必要だった。
アンリはザリア将軍の腰を見た。左腰には将軍自慢の長剣が吊るされている。
本来なら城に入る前に、親衛隊が剣を預かるのだが、親衛隊に手を回し、ザリア将軍から剣を取り上げずにおいたのだ。
「謀反を認めぬか。ならば次は処刑台で会おう」
アンリは冷たく言い放ち、ザリア将軍を前に背を向けた。その瞬間、ザリア将軍から冷たい殺気が放たれる。ザリア将軍が、腰の剣に手を掛けたのが見ずとも分かった。
アンリは王の特権として剣を帯びている。その気になれば防ぐことも出来たが、アンリは何もせず、ただ背筋を伸ばした。
英雄にあらずとも、無様な死に方だけはしたくなかった。
アンリは目を閉じ、斬られる覚悟を決める。
背後で剣を抜く音が聞こえ、次の瞬間、鮮血が舞った。