第五十四話 英雄の願望
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建国式典当日、王都の空は雲一つない快晴となり、絶好の祝典日和だった。
青い空には、魔法の祝砲が放たれ、白い煙を上げて建国七十周年を祝っていた。
エリザベートは王妃として式典に参加しなければならなかったが、まだ会場入りはせず、城の離れにある離宮の庭園にいた。
「ほら、アレン王子様。これが炎の魔法で作った竜ですよ〜」
庭園の芝生の上では、エカテリーナが杖を振るい、炎で竜を生み出してみせる。高度かつ繊細な魔法であり、膨大な魔力と知識を持つ、エカテリーナならではの魔法と言えた。
エカテリーナの魔法を見て、泣き虫のアレンが手を叩く。
「よしアレル王子、よく見ろ。これが無拍子だ」
エカテリーナから少し離れたところでは、呂姫が緩く拳を構えたかと思うと、突きを放った。しかしエリザベートの目には、呂姫の拳が見えなかった。
エリザベートに見えないのだから、幼いアレルに見えるはずもない。しかし呂姫の前に座るアレルは口を開けながら、じっと呂姫を見ていた。
アレンと同じようにアレルがこんなに人に興味を示すのも珍しく、エカテリーナと呂姫には、毎日子供の面倒を見てもらっている。
「悪いわね、呂姫、エカテリーナ」
「いいのよ、あんたも大変でしょう」
「気にしないで~ 子供達の面倒は私達に任せてくれていいから~」
エリザベートの言葉に、呂姫とエカテリーナはそう言ってくれる。
「ごめんなさい、式典の間もお願い出来る?」
二人の好意に甘えてしまってはいけないと思うが、今は二人に頼るしかなかった。
現在、王都ではファーマイン枢機卿長とザリア将軍が妙な動きを見せていた。二人が何者かと、密会を重ねているという情報が入っているのだ。
誰と会っているのか、密偵を放ち調べさせているが、未だに情報がつかめない。謀反が計画されているかもしれず、その場合標的としてアレンとアレルが狙われるかもしれなかった。
ファーマイン枢機卿長とザリア将軍が相手であれば、いつどこに刺客が潜んでいるか分からず、誰が裏切っていても不思議ではない。
その点、エカテリーナと呂姫なら信頼出来る。何より二人は大抵の刺客や兵士より強い。アレンとアレルが懐いていることからも、二人以上に息子達を任せられる者はいなかった。
「エリザベート、ここにいたのか。そろそろ式典の時間だぞ」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにセルゲイ副隊長と四人の親衛隊を連れたアンリ王がいた。
「ん? エカテリーナに呂姫。今日も子供達の相手をしてくれているのか? すまないな」
アンリ王がかつての仲間に礼を言う。
「いえ~、気にしないでください。アレン王子は魔法が好きなようで~」
「アレル王子は君に似て、武芸の才能があるぞ」
エカテリーナと呂姫の言葉に、アンリ王は頬を緩めた。
「そうか、なら君達を王子の教師にするかな?」
アンリ王が冗談を言う。そして子供達の前に行って、アレンとアレルを抱き上げた。
子供達は父親に抱かれ、うれしそうに笑っていた。
その姿を見て、ふとエリザベートは、アンリ王が子供を抱くのは久しぶりだということに気付いた。
アンリ王は子供が嫌いという訳ではなく、よく顔を見に来てくれる。だが抱くことはあまりなかった。
貴重な親子の時間をエリザベートが眺めていると、アンリ王の背後にいたセルゲイ副隊長が、式典が行われる城の方を見る。
「陛下、そろそろお時間です」
「ああ、そうだったな」
アンリ王は子供達を下ろす。せっかくの時間を邪魔されたが、彼らも仕事だ。
「エカテリーナ、呂姫。子供達を頼んだ」
「はい、お任せください」
「任せてくれ」
念を押すようなアンリ王の言葉に、エカテリーナと呂姫が頷く。
子供達を二人に任せ、エリザベートはアンリ王と共に城へと向かった。
「陛下、先程のことですが、陛下がアレンとアレルを抱かれるのを久しぶりに見ました」
エリザベートは子供達を抱く夫の姿を思い出した。
「ああ、そうだな。実を言うと、子供達を抱くのが怖かったのだ」
「怖い? 魔王ゼルギスを倒した英雄が、子供が怖かったのですか?」
エリザベートは少しおかしかった。
「ああ、怖かった。英雄から、父親になってしまうことがな」
「そんなことを……考えておられたのですか?」
エリザベートにはアンリ王の言葉は予想外だった。父親の自覚が持てないと言うならまだ分かるが、英雄から父親になることを恐れるとはどういうことだろう?
「英雄から父親になると、いけないのですか?」
「いけないということはない。だが私は、一度父親になってしまえば、二度と英雄になれなくなるような気がしたのだ」
「そう……なのですか?」
エリザベートはよく分からなかった。
アンリ王との夫婦仲が冷え切った時、何とか改善しようと多くの人に話を聞いた。その折、世の中にはいろんな男性がいることを知ったが、こんな話は初めて聞いた。
「エリザベート。私は英雄になりたかったんだ」
「何を言われるのです。陛下はすでに英雄です。それを疑う者はおりません」
エリザベートは本心からそう答えた。
アンリ王はまさしく英雄である。
人類の危機とも言える状況の中、海を渡り敵地に潜入し、魔族の王と決闘の末討ち倒した。
これを英雄と呼ばずになんと言うのか。古今東西、歴史上の将軍や神話の英雄にすら比肩する偉業だ。アンリ王の名は、千年先の歴史書にも記されることだろう。
「確かに私は英雄的な偉業をなした。だがそれは私の力ではない。君達の力があったからだ」
謙虚なアンリ王の言葉だが、エリザベートは言い知れぬ不安に襲われた。
「そ、それは、仲間ですから。助け合うのは当然のこと……」
「違う。そうではない。そうではないことを、君達は知っているはずだ」
「へ、陛下。それはどういう……」
エリザベートは言葉の意味を問いただそうとしたが、間の悪いことに、二人の歩みは式典が行われる謁見の間に到着してしまった。
「アンリ王陛下、エリザベート王妃、御成」
扉の脇に立っていた兵士が、アンリ王とエリザベートの入場を告げる。
謁見の間に入ると左手には大きな窓がありバルコニーが見えた。外には広場があり、国中の騎士団と、多くの民衆が建国式典に参加するため集まっていた。
右を見ると広間があり、窓と対面する形で玉座が置かれている。広間の両脇には貴族の紳士淑女が集まり、入場してきたアンリ王とエリザベートに対して頭を垂れていた。そのなかにファーマイン枢機卿長とザリア将軍の顔もあった。
エリザベートはアンリ王に先程の言葉の意味を尋ねたかったが、すでに状況がそれを許さなかった。
アンリ王が玉座につき、エリザベートは玉座の左後ろに置かれた王妃の椅子に腰掛ける。
エリザベートは前に座るアンリ王の横顔を見たが、何を考えているのか分からない。今日まで踏み込んだ会話を避けていたが、さすがにこのままという訳にはいかなかった。
エリザベートはこの後の予定を思い出す。
建国式典はこの後、王が貴族達に祝賀を述べ、その後はバルコニーに出て、集まった騎士団と民衆に演説する手はずになっている。演説を終えれば宴となり、少しは話が出来るはずだ。
その時、アンリ王の真意を何としてでも聞きださなければならなかった。
「皆の者、よく集まってくれた」
アンリ王が立ち上がり、集まった貴族達に祝賀を述べ始める。
エリザベートも拝聴していると、広間の壁際を一人の男が、身を屈めながら駆け寄ってくる。エリザベートが使っている密偵の一人だった。
密偵はエリザベートの背後に立つと、そっと一枚の紙を差し出した。式典の最中ではあっても、知らせるべきと判断して持って来たのだ。
エリザベートはすぐに内容を確認する。そこには、驚くべきことが書かれていた。
衝撃のあまりエリザベートは呼吸が出来ず、今何が起きているのか分からなかった。
気が付けば、いつの間にか祝賀の言葉を終え、アンリ王は玉座についていた。
「へ、陛下……」
不安と驚きのあまり、エリザベートの声は細く小さかった。だが、その声はアンリ王の耳に届き王が振り向く。
「あ、貴方は……貴方は一体何を……」
エリザベートは、震える手で密偵から受け取った報告の紙を掲げた。
紙にはファーマイン枢機卿長とザリア将軍が、密会している相手の名が記されていた。その人物は何を隠そう、目の前にいるアンリ王だった。
アンリ王が政治的な仇敵と言える、ファーマイン枢機卿長やザリア将軍と密会をしている。
もはやエリザベートの想像の埒外だった。
なんのために三人が集まり、何を話していたのか想像もつかない。だが、一つだけ言えることは『何か』が起きる。それだけは間違いなかった。
「何を、しようとしているのです」
エリザベートの震える声に返事はなく、アンリ王はただ微笑みを返した。
その瞬間、エリザベートは理解した。三人が共謀して『何か』を起こす。その『何か』は今これから起きるのだと。
エリザベートは周囲を見た。この部屋には家臣や国の主だった貴族が集まっている。だがそれにしては警備の数が少ない。王の手足といえる親衛隊の姿が見えない。アンリ王を警護していたセルゲイ副隊長のほか、数人がいるだけだ。
彼らは守るべき王の側を離れて、何をしているのか?
エリザベートの思考が姿の見えない親衛隊に向いた時、アンリ王が立ち上がりバルコニーに向かう。その足取りは早い。
エリザベートはすぐに気付いた。
演説だ。アンリ王は演説で『何か』を言うつもりなのだと。
「待って、待ってください」
エリザベートは慌てて立ち上がり、アンリ王を止めようとした。
だが、アンリ王は足を早め、逃げるようにバルコニーに出てしまった。
アンリ王につられて、エリザベートもバルコニーに出ると、広場に集まった数万を超える民衆が、割れんばかりの歓声と拍手でもって出迎えてくれる。
エリザベートの後ろからは、貴族や家臣達、そしてファーマイン枢機卿長とザリア将軍も続いて出てくる。
アンリ王がこれから『何か』を言う。だがもはや止める術がない。
王が数万の民衆の前で話したことは、たとえそれが家臣や貴族達の承認を得ていなかったとしても、公式の発言となり取り消せない。
何が話されようと、エリザベートもはや耐えるしかなかった。
民衆が静まるのを待ち、アンリ王が口を開く。
演説が開始された。
次回更新は一月七日を予定しております