第五十二話 王妃夢想
いつも感想やブックマーク評価や誤字脱字の指摘などありがとうございます。
小学館ガガガブックス様より、ロメリア戦記のⅠ~Ⅲ巻が発売中です。
BLADEコミックス様より、上戸亮先生の手によるコミックスが発売中です。
漫画アプリ、マンガドア様で無料で読めるのでお勧めですよ。
王国に侵入した魔王軍を討伐し、王都に凱旋を果たしたエリザベートは忙しくも充実した日々を過ごしていた。
王国は活気に満ち、毎日がお祭り騒ぎのような賑わいを見せていた。
全ては魔王の実弟ガリオスを、セメド荒野の戦いでエリザベートがロメリアと共に討ったことに起因する。
魔王軍を倒して回るロメリアは人気があった。しかし一方で王家との不和も知られており、王家を気にして公然とロメリアを讃えることが出来ず、国民の心情は二分していたのだ。
セメド荒野の戦いでガリオスを討った一件は、エリザベートとロメリアの融和を象徴する出来事となり、分裂していた国民感情を一つにまとめる形となった。
魔王の弟を討つという国家的な大勝利を、気兼ねなく祝えることに民衆は喜んでいた。さらに数日後には七十年目となる建国式典を控えており、国を覆う熱気は冷めるどころか高まる一方だった。
浮かれているのは、自身の部屋で仕事をこなすエリザベートも同じであった。ロメリアとのわだかまりがなくなっただけでなく、王国の内政もよい方向に進んでいたからだ。
国内の魔王軍の脅威が一掃されたことで治安は向上したし、ロメリア寄りだった地方領主達も、セメド荒野の戦いを好意的に見ており、王家に対して恭順の意を示している。
エリザベートのお茶会も順調で、これまで難航していた交渉や根回しが楽に進むようになった。おかげで話し合うことが多く、仕事に忙殺されるようになってしまったが、うれしい悲鳴ということにしておこう。
王家、ロメリア、地方領主が同じ方向を向くことで、王国はまとまりつつあった。各騎士団に影響力を持つザリア将軍と、教会の実質的指導者であるファーマイン枢機卿長が王家に対して不服従の姿勢を見せているが、十分対処可能な問題となっている。
「王妃様、そろそろお茶の時間です」
侍女のマリーが、仕事をするエリザベートに次の予定を教えてくれる。
「もうそんな時間でしたか。では陛下の下に行きましょう」
エリザベートはマリーを連れて、執務室で仕事をこなすアンリ王を訪ねる。ノックをして部屋に入ると、アンリ王が文官や武官と共に仕事に精を出していた。
「ん? どうかしたか? エリザベート」
書類に記入していたアンリ王は、仕事中に入室してきたエリザベートに向かって顔を上げた。
以前はエリザベートが執務室に来ることを嫌っていたが、最近は嫌な顔を見せない。その仕事ぶりも落ち着いたもので、以前のように声を荒げることもなくなった。
「いえ、お茶の時間ですので」
「おお、もうそんな時間か。では少し休憩しよう。皆も休んでくれ」
エリザベートが休憩を提案すると、アンリ王はすんなりと受け入れた。以前は無かった柔和さに、家臣達も仕事がしやすそうだった。
部屋に入りマリーが家臣達のお茶を淹れる。アンリ王にはエリザベートが自らお茶を淹れ、茶器を差し出す。
「うん、相変わらず美味しい」
お茶を一口飲み、微笑みながらアンリ王は褒めてくれる。
セメド荒野の戦い以降、アンリ王はこれまでにはなかった落ち着きを見せるようになっていた。てっきり敵と戦えず、不満を爆発させるものと思っていたが、先に帰国していたアンリ王は人が変わったように平然としていた。
アンリ王の変化は、周りにとっては良い変化であった。
以前のアンリ王はなんでも自分で考え、決定を下さなければ気が済まなかったが、最近は家臣に任せることが多く、自らは一歩後ろに引いて、監督する立ち位置を取るようになった。
家臣達からは慕われるようになり、政務も少しずつ成果を上げていた。この統治が長く続けば、善王と名を残すことも出来るかもしれなかった。
すべては良い方向に進んでいる。進んでいるはずなのである。しかしエリザベートは、今のアンリ王に言い知れぬ不安を抱えていた。
「ん? どうかしたか?」
エリザベートがじっと顔を見ていることに、アンリ王が不審に思い小首を傾げる。その眼差しと言葉は優しいのだが、どこか空虚さを感じさせた。
「いえ、その……建国式典のことですが、ロメリアも出席させてよかったですか?」
エリザベートはアンリ王に何があったのか尋ねようとしたが出来ず、つい話題を逸らしてしまった。
「ああ、構わない。ガリオスを討ったのであれば、もはや認めぬわけにもいかぬ」
ロメリアと聞いても眉一つ動かさないアンリ王を、エリザベートはやはり不審に思う。だが理由を尋ねることがどうしても出来なかった。
「ああ、そうだ、ガリオスの死体を捜しに行った捜索隊から報告が来ていた。墜落したガリオスだが、どうやら翼竜ごと川に落ちて流されたらしい。翼竜の死骸は下流で見つかったそうだが、肝心のガリオスの死体は発見できなかったそうだ」
アンリ王が捜索隊の報告を教えてくれる。その報告にエリザベートは震えた。
ガリオスが死んだと思いたいが、死体が出ない以上、安心は出来なかった。
「死体は出なかったが、死んでいるだろう。なに、そう不安がるな」
アンリ王が、震えるエリザベートを安心させるため軽く抱擁した。
抱き合う二人を、家臣達が笑って見守る。一見すると仲の良い夫妻に見えるだろう。しかし夫に抱かれた瞬間、エリザベートは大きな喪失を感じた。
アンリ王の変化は良いことのはずである。
以前のアンリ王は荒々しく、妻であっても怖い時があった。しかし時折見せる笑顔や優しい言葉には胸が熱くなり、抱擁されると愛情を感じた。
今のアンリ王はいつも優しいが、抱きしめられても何も感じない。
「陛下……」
エリザベートはアンリ王を見る。優し気な顔は何を考えているのか分からなかった。
「よし。では皆の者、そろそろ仕事を再開しよう」
アンリ王が茶器を置き仕事を再開したので、エリザベートは引き下がるほかなかった。
「……よかったのですか、王妃様?」
部屋を出たあと、侍女のマリーがエリザベートの内心を心配した。
アンリ王とは、よく話をしなければいけなかった。だがエリザベートは話し合うことが怖かった。アンリ王の心を確かめてしまえば、全てが壊れてしまう気がしたからだ。
「また今度話します。それより、子供達の部屋に行きましょう。今日はエカテリーナと呂姫が来ていることですし」
エリザベートは問題を先送りし、この間再会した友人達のことを思い出す。二人とは一緒に王都に戻り、建国式典まで王宮に逗留してもらっている。そして息子のアレンとアレルを紹介したのだ。
「二人は信頼出来るのですが、子育ての経験がありませんから少し心配です」
「そうですね。王子様達は、なかなか気難しいですから」
エリザベートの言葉に、マリーが頷く。
兄のアレンは泣き虫で、エリザベート以外にはあまり懐かない。魔王軍討伐に出ていた折は毎日のように泣いていたらしい。一方で弟のアレルは泣くことはないのだが、笑いもしない。不機嫌になると口を固く閉ざし、ご飯をあまり食べなくなる。こちらもエリザベート不在の時は、侍女や乳母を困らせていたそうだ。
息子達は人見知りが激しく、初めて会った人には懐かない。
今頃エカテリーナと呂姫は、慣れない子供の扱いに苦慮している事だろう。
急いで子供部屋に向かうと、廊下にまで声が聞こえてきた。しかし聞こえてきたのは子供の泣き声ではなかった。
「ほーら、魔法の電撃で生み出した蝶の絵よ~」
「よし、見ていろ。今から指先一つでこの石を砕いてみせる。大事なのは気の集中だ」
部屋からはバチバチと弾ける音と共に、石を粉砕する破壊音が聞こえてきた。
「おやめくださいエカテリーナ様。室内で電撃は……火が、火が!」
「呂姫様、危のうございます。石の破片が!」
聞こえてきたのは、エリザベートの予想とは違う悲鳴だった。
エリザベートはマリーと目を見合わせ、急いで子供部屋に駆け寄り扉を開ける。するとそこには驚きの光景があった。
空中にはエカテリーナが生み出した紫電が迸り、床には呂姫が持ち込んだのか、へし折られた木材や砕かれた石が散乱していた。
部屋の中央ではエカテリーナが杖を振り魔法を発動させ、その横では呂姫が徒手空拳で構えをとり、指で岩を砕く。
カーテンや床は焼け焦げ、消火のためか水に濡れていた。窓や調度品の壺も、石の欠片が飛び散ったのか、あちこちが割れてその破片が散乱していた。
侍女達は火を消し、無事な調度品を守ろうと必死になって走り回っているが、元凶であるエカテリーナと呂姫はどこ吹く風。目の前にいるアレンとアレルしか見ていない。
一方で泣き虫のアレンは目の前で繰り広げられる魔法を見て、キャッキャキャッキャと笑っていた。そしてアレルはというと、呂姫が見せる技を座りながら食い入るように見つめ、時折手を突き出し、呂姫の真似をしていた。
「おかえりエリザベート。アレン王子は魔法の才能がある。私が言うんだから間違いない」
エカテリーナが杖を放り出してアレンを抱き上げる。普段は高い高いをすると、怖がって泣くアレンだが、エカテリーナのことを気に入ったのか、全く泣かない。
「エリザベート。アレル王子には武人の素質がある。さすがアンリ陛下のお子様だ」
呂姫が生後一年も経たないアレルを捕まえて、太鼓判を押す。
「おっ、王妃様……何とかおっしゃってください」
エカテリーナと呂姫は笑っているが、部屋にいた乳母は顔を青くしていた。火消しに奔走している侍女達も信じられないと驚愕に顔を硬直させている。
母親としては怒るべきなのだろう。だがこの光景を見て、エリザベートはなぜか笑いだしてしまった。
「おっ、王妃様?」
突然笑いだしたエリザベートに、周りの侍女や乳母達が驚いているが、エリザベートは笑いを止められなかった。
アレンとアレルの未来は、王族としてこの国を支え、王座に就く以外にはない。ずっとそう思っていた。しかし王位や王座といったしがらみを捨て、自由に生きるという道が、息子達にあってもいいかもしれなかった。
そんな未来はありえないと分かっていたが、エリザベートはその未来を夢想した。
新年あけましておめでとうございます。
今年もロメリア戦記をよろしくお願いいたします。
新年三が日は毎日更新しようと思いますのでご期待ください。




